ノ ー ト

好 き な 読 書 を 中 心 に 考 え 中 を 記 録 す る ノ ー ト

2010年09月

学校の問題~序~

随分前から書こうと思っていた記事で、書きたいことはたくさんあるのですが、
ブログにかけられる時間がまとまってはそんなにないので、
少しずつシリーズ化して書いていこうと思います。

私は学校が苦手で、
スペインで学校に通ったり、大人になってから職業訓練校などに通ったものの、
基本的に、日本の学校教育の中では中学校までしか学校に行かなかったのは、
非常に正解だったというか、自分の経歴としても、
自分のパーソナリティーを物語るうえで一貫性のあるものになってよかったと思う。

娘ができてから、やっぱり自分の二の舞はさせたくないなんて出しゃばった気分になって、
「そういえば、学校のこういうところが嫌だった」「あれも嫌だった」なんて記憶がよみがえり、
また再度、学校に関して考える機会が生まれています。

私は何かが特に秀でて出来るわけではなかったし、
休み時間のドッジボールや、身体測定に恐怖を覚えるような子供だった。
給食も時間内に食べられず机の中に隠すような時代もあった。
多分、学校の中で行われる1つ1つの事柄に、
全面的にスムースに良い感情を持って臨んだことなぞ、なかった気がする。
若干得意にも思っていた図画工作や美術の授業でも、
先生から「もう少し子供らしい絵が描けないの?」と言われたりして、
故意に下手(実物だったら有り得ないバランスとスケール)にして、
絵を描いたりしたこともあった。


大人の側か制度上の問題でしかないのに、それを棚に上げて、
みんな精神論で解決しようとする学校が嫌でした。
何故、誰かが勝手に決めた“時間内”に給食を食べ終えられないだけで、
バツの悪い感情を抱かなくてはならないのか。
何故、「休憩時間」だというのに半ば強制で、やりたくもないドッジボールをしなくてはならないのか。
そこに必然的な道理や理屈なんてないのに、
ただただ体制側のムードや感情が決めたことに対して、一方的に背負わされる不自由さ。
私の、精神論が苦手なところは、学校によって育まれたものだと思う。
「思いやりをもって」とか、「相手の立場になって」なんて抽象的なことは誰でも言える。
むしろそれを言うことで、自分は加害者でも責任者でもないと見せかけるのならば、
それはただの逃げ口上であり、責任の転嫁でしかないと思う。
本当の「思いやり」とは、多分、具体的な解決策を提示することでしか果たされないようなものだと思う。
私の大好きな思想家が、反「反原発・反核」を語ったことがあるけれど、
その趣旨は、原発と核ありきの社会の中にいて、ただアンチを唱えることはただのポージングでしかない、
本当の「反原発・反核」ならば、それに代わる代替策を提示することでしかない
というものだった。
それとよく似ています。

22歳頃、古本屋でバートランド・ラッセルの「怠惰への賛歌」という文庫本を見つけて、
この本は、多分私のその後のものの見方に決定的な影響を与えたと思うのだけど、
上に書いてきた私の学校への不満は、
この本の中の第3章「建築と社会問題」が全てを語ってくれていると思ったほどだった。
多分、建築や都市空間などを改めさえすれば、
社会の大部分の問題は自ずと解決する問題でしかないんじゃないかと、ラッセルの言うとおり、思った。
特にラッセルの語る「古い建物の子供と母親への害悪」などは特に興味を引いた。
団地住まいの未成年による犯罪が多いのは、団地に住んでいたからよく分かるのだけど、
間取りの問題が影響していると思う。
誰かの言葉、
「女性の人権と社会進出を実現させたのは、社会の成熟や男性の理解ではない。家電の進化である」
は、本当にそうだと思う。
女性の、あくまで“男性社会”でしかないものへの社会進出が本当に良いものなのかは、さておき。
多分、人は発明に遅れてついてくる。
だから群衆の未熟さを精神論で解決することは、かなり効率的ではないのだと思う。
ラッセルも言っていることだけど、芸術的動機によって建築がなされたことは本当は少ないのだと思う。
ある観念を植え付けるための政治的な目的が建築にはあって、
けれどそれらを芸術的な表現面と錯覚してしまっているのが実態なのかもしれない。

つい先日購入した「コズモグラフィ」(バックミンスター・フラー著)という本には、
「人間の行動の改良を試みるのではなく環境を改良すること」と書いてありました。
私が<デザインサイエンス>と呼ぶ機能とは、新しいアーティファクトを環境に導入して利用可能にすることによって人が自発的に利用するように誘導しながら、問題の発生源だった過去の道具と行動を放棄するきっかけを人に与えて問題を解決することだ。
「コズモグラフィ」第1章26頁より引用
これが本当の「思いやり」という行動なのではないかと思う。
具体的でない思いは所詮“思いすごし”でしかない。
この本の訳をされている、フラーが他者に対して初めて認めたデザイン・サイエンティストである、
梶川泰司氏は以前ブログで、
「大切なことは命令形ではなされない」というようなことを書かれていた記憶があるのだけど、
私が老荘思想に感じる過干渉でない自由さにも通ずるような、
強制的に行うのではない変革の姿が、
ラッセルの言うところの「いかなる変革も力ずくではなしてはならない」という変革の姿がここにある気がしました。
そして、宮沢賢治の童話を読むと、彼がしたかったことはこういうことじゃないか、と思う 。
特に「銀河鉄道の夜」や「グスコーブドリの伝記」などに表われているように。
宮沢賢治が童話を表現の場にしたように、だから、
ラッセルやフラーが書いていることは、子供の方がよく分かるんじゃないか、と思う。
多分、今のそれなりに上手く立ち振る舞いが出来るようになった私よりも、
給食が時間内に食べられずにパンを机の奥にぎゅうぎゅう押し込んで隠していた小学1年生の私の方が、
きっと素直に理解が出来たんじゃないかと思うのです。


今、私は非常に猫背なのですが、
これはランドセルを長時間背負っていた登下校の習慣と、
あの憎むべき学校の規格の机と椅子によって生みだされたと確信しています。
4歳の娘を見ると、彼女は長時間同じ姿勢を取ることなんてまだしたことがないので、
羨ましいほど背筋がまっすぐ伸びています。
猫背の状態と背筋がまっすぐのびた状態だと、酸素量が2倍違うそうです。
猫背だと肺が圧迫されるので呼吸が浅くなり、血液やリンパの流れが悪くなるそうです。
私は貧血でむくみ症なので、猫背も相関して悪循環が起きていると思う。
第一、酸素不足に1番敏感に反応するのは脳で、脳の大脳皮質らしいのに、
ああいう猫背を誘発する机とイスに座らせて勉強させてもまったくもって意味がないということです。
あんな机とイスで「集中力がない!」と怒られても、何の説得力もないと思う。
そういうことを今度書きます。


代理人とウラン

先週の土曜日、「ベンダ・ビリリ!~もう1つのキンシャサの奇跡」という映画を観てきました。
映画の後にはピーター・バラカン氏によるトークショーもありという企画でした。
例の如く映画の上映は松本シネマセレクトによるもの。

この映画、日本では松本が皮きりで(と言っても松本では1日だけの上映ですが)、
順次その他の都市でも公開されていくそうなので内容に関して具体的に書きたくないのですが、
乱暴に言うと「コンゴ民主共和国の首都キンシャサに生きる、路上生活者の音楽バンド“スタッフ・ベンダ・ビリリ”の
数年間を描いた、フランス人による映画」です。
この“スタッフ・ベンダ・ビリリ”のバンドメンバー(10名)には、
小児麻痺(ポリオ)の身体障碍者が半数ほど含まれています。
ただ、本人たちは、“障碍者を健常者と同じように扱って欲しい”という思いから、
自らを障碍者バンドと名乗らず、路上生活者バンドと名乗っているそうです。
日本のような、障碍者も路上生活者も差別されている社会では、
彼らの両者を線引きする考え方が興味深い。
この映画の音楽はもう、掛け値なしの良さ。
いわゆるバスキング・ミュージックが好きな方はたまらないんじゃないかと思いました。

映画の中で1人の男の子が、空き缶と針金から自分で楽器を生みだして演奏しているのだけど、
それがこの映画を本当に強烈な印象にしていると思う。
彼はもちろん楽譜なんて読んだことはない。
耳で聞いて覚え、即興で作り出すだけ。
つくづく、音階は誰かが所有する特許技術でもなんでもなくて、私たちの側にあるものなのだと思う。
音楽理論の教育を受けたり、音符を何と呼ぶかを学ばなければ
音階が私たちに存在しないなんてことはない。
娘をヤマハなんちゃらの音楽教室に通わせようかと思っていた自分を反省。
もちろん通ったっていいわけだけど、意識化しなくてはいけないことがある。
それは、娘にとっての音楽教室の意味と、
私にとっての“娘に通わせる音楽教室の意味”は全然違うものだということ。
私にとっては所詮、他人の子供を娘に出し抜かさせる行為でしかないのではないだろうか。
音楽を学ぶ機会を子供に与えても、同時に、
他人を出し抜く事(≒資本主義)ありきだと教えてしまうのだとしたら、
それが本当に私が娘にしてやりたいことなのだろうか。
それは娘に、端から、
自分で楽器を編み出すという最高のクリエーションの楽しみを、
単なる競争に堕してしまわない充実した音楽の道を、諦めさせることではないだろうか。

この映画から、インフラが破壊されつくされた、
世界最貧国の首都キンシャサで生きる人々の逞しさを知る事が出来ます。
だけど、なぜインフラは破壊されたのか、
なぜ、コンゴ民主共和国とコンゴ共和国という2つのコンゴがあるのか、
それらは映画では一切語られません。
それがこの映画を純粋な?音楽映画にしている部分だし、
映画を製作する白人側が言いたいことを、わざと当人達にに代弁させるという、
昨今のドキュメンタリー映画で多用される捏造に近いやり方からすると、
とてもさっぱりした素直な仕上がりになっているとは思う。
中嶋君のやっていた「喫茶クラクラ」で上映した映画「ジャマイカ 楽園の真実」は、
レゲエの映画なのだけど、もっと政治色が強くて、
IMFの酷いやり口やアメリカ合衆国の自由貿易の不自由さを痛烈に批判するものだった。
それだけジャマイカの人々は世界の歪んだ構造を理解していた。
しかし、この「ベンダ・ビリリ」には、キンシャサの彼らがはっきりと西側批判をしたシーンは1つもない。

コンゴ民主共和国の8割の人はキリスト教徒なのだそうですが、
映画で、混み合った列車の中でキリスト教信者か宣教師かが
メガフォンで説教をするシーンがあったのですが、
「選挙を信じるな!」と叫んでいたのがとても印象的でした。
映画の後のトークショーで、バラカン氏が言っていたのだけど、
キンシャサではいわゆる私たちが職業と呼ぶような職業についている人々は5パーセントにすぎなくて、
あとの95%の人々はその日暮らしで生きているそうだ。
経済という経済がないのだそうだ。皆、助け合ってなんとか生きているのだという。
「選挙なんて信じるな。」
彼らのように本当に人が助け合って分けあって生きられるなら、
政治に期待なんてしなくていいのかもしれない。

「将来の為に責任を持って政治に関心を持ちましょう」なんて言うけど、
政治に期待するってことは、基本、責任転嫁でしかないのではないでしょうか。
なにも褒められたことでもなんでもないんじゃないか。
そう、この映画を観て思いました。
政治家は私たちの代理人だけど、
代理で彼らに仕事をさせている間、私たちは一体何をしているんでしょうか。
主に店で売っている商品を買うためのお金を稼いでるだけじゃないでしょうか。
私が日課としてしていること、それは
アルバイト先のスーパーの鮮魚売り場で、
毎日1万円くらいのまだ食べられる商品を廃棄処分で捨てていることくらいで、
人助けなんて何にもしていません。
私は何にもしてないのに、私の代理人であるという政治家は何かするのだろうか。
いや彼らはお金をもらってするんだからするべきだ、と思うなら、
政治はただの産業じゃんか、という気がする。
私は助け合いとか分かち合いとか、本当はそういう言葉は好きではありません。
まるで依存し合わなくては本来人が生きるのは無理、と言っているみたいだから。
私にはぼんやりしたり、空想したりする時間がある程度は欲しいので、
1日中助け合うためにあくせく働いたり、忙しくすることで、
そういう時間がなくなるのは正直嫌です。
だから皆が皆、孤独な時間を楽しめるようだったらいいと思う。
助け合うこと、それは素晴らしいけれど、
過剰に助け合わなくては生きていかれないようにしているのはいかなる存在なのか。
助け合うことが、その存在を追求することを忘却させるのだとしたら、こんな皮肉はないと思う。
それは相互扶助でもなんでもなく、ただの傷の舐め合いのような気がする。
ボランティアの気に食わない部分はそういうところかもしれません。
いくら「政治には期待しない」と、私たちの側の心持ちばかりを慰めていても、
政治家はいつまでたってもいなくなりはしないから。


映画では語られなかったので、コンゴ動乱のことを調べてたら、
コンゴがコンゴ自由国というベルギー国王レオポルド2世の
私領地だった時代(1882-1908年)のことを知った。
住民は象牙やゴムの採集を強制されて、
規定の量に到達できないと手足を切断されたらしく、
レオポルド2世によって“前代未聞の圧制と搾取”がなされていたそうです。
お金持ちのユダヤ人のホロコーストは問題にしても、
黒人奴隷の大量殺戮には無関心でいる私たちは何なのだろう。
この象牙やゴムの莫大な儲けによってレオポルド土建王は、
ブリュッセルに宮廷や王宮をしこたま建設した。
アール・ヌーヴォー様式などで。
このレオポルド2世支配下の20年間に、
コンゴの人口は2500万人から1500万人に激減したと推定されるそうです。
詳しいサイトはこちら

以下はレオポルド土建王がコンゴ自由国で儲けたお金で建てさせた建物や公園↓

ラーケン公園・ラ―ケン王宮・ラ―ケン王宮温室・ブリュッセル王宮の改築
ウェルウェ公園・テルビューレン公園・王立中央アフリカ博物館
 などなど

ここにはとりあえず絶対行かない。
まぁ、こんなこと言いだしたらどこの王宮や美術館にも行けないことになるけれど。


今回初めて知ったのだけれど、
広島に落とされた原爆のウランの75%は、コンゴのカタンガのシンコロブエ鉱山のもので、
(残りのウランは日本がドイツ経由で輸入しようとしていたのを米軍に取られた疑いが高いようです
 ※参照サイト
そして、長崎に落とされた原爆のプルトニウムもコンゴ産のウランから作られたものだという。
1960年のコンゴ独立の際にこの鉱山はベルギーによって閉山され、
坑口がコンクリートで塞がれたことになっているらしい。
コンゴ動乱というのも、1960年にベルギー領コンゴがコンゴ民主共和国としてベルギーから独立した後、
ベルギーがシンコロブエ鉱山のあるカタンガ州の分離独立を工作し、
その結果発生した内乱なのだ。
しかし、2000年になってからも落盤事故が何度か起きているらしいから、
実はまだこの鉱山は機能しているようだ。
ここのウランが中国や北朝鮮に密輸されている疑いもあるとかで、
今もコンゴはウランなどの資源を巡って大国の利権争いの戦場となっている。
それで今も国連コンゴ安定化派遣団(MONUSCO)というPKOがコンゴに常駐していたいのでしょう。

2004年、
広島・長崎に落とす原爆に使うウランの確保のためにアメリカがベルギーと結んだ独占購入権の密約文書が、
ベルギーの歴史家によって英国公文書館で発見されたというニュースがあったらしい。
それに対して、
田口晃・北海道大学教授(欧州小国史)は
ベルギー政府がウラン鉱石販売で得られた税金などを秘密口座に蓄えていたことも知られていないと思う。当時ベルギーはナチスドイツが占領していた一方、ドイツは原爆製造を進めているとも考えられていた。このためドイツなど枢軸国側と戦争状態にあったベルギー・ロンドン亡命政府が米・英に極秘裏に協力したのは当然だった。
と言っているそう。
レオポルド2世はイギリス人の探検家スタンリーにアフリカを探検させてコンゴを発見する。
そのレオポルド2世の圧政に異論を唱えて調査団を送ったのはまたイギリスだったらしいけれど、
これは世間で言われているような人道主義の観点からそうしたのではなく、
イギリスもコンゴからゴムや鉱山の利権を得るためだったんでしょう。
※原爆とコンゴ産ウランについての詳しいサイトはこちら

天皇家はベルギー王室と特に仲がよく、ブリュッセル王宮によくお泊まりだそうだ。
上記のコンゴ産ウランの流れを考えると、
天皇家とベルギー王家の関係はただものならぬものを感じる。

折しも『コンゴ242人レイプ被害 国連「武装勢力に裁きを」』のニュースが。
イラクからの米軍撤退で、また今度はコンゴが騒々しくなってきたのだろうか。
しかし、コンゴ民主共和国の東部は本当に世界最悪らしい。
「戦争の中で彼女たちはレイプされ続け、兵士たちの奴隷状態に置かれている。
女性たちが解放されるのは、多くは自殺したか死んでいるのが病院で確認された時である」と。

映画のチラシには、スタッフ・ベンダ・ビリリの彼らのことを、
“ファンキーな奴ら”と評して書いてある。
ファンキーな奴ら、それで済ましてしまっていいのだろうか。
「ベンダ・ビリリ」とは「外見をはぎ取れ(内面を見よ)」という意味らしい。
スタッフ・ベンダ・ビリリは今月末日本公演で来日する。
日本の招聘元のプランクトンや協力団体は彼らに、
日本に落とされた原爆のウランとプルトニウムはコンゴ産です、と伝えられるのだろうか。

もう一つの戦争

※だいぶ書き直しました

給食の記事の続きは実はまだ何も書いていません。アップは先になりそうです。


アベル・カレバーロ本人の演奏による「アメリカン・プレリュード№1~エヴォカスィオン~」
“エヴォカスィオン”という語には死者の霊を呼び起こす、喚起、回想などの意味があります。



先日、ヴェネスエラとコロンビアの国交断絶のニュースが飛び込んできました。
私には、ヴェネスエラ人と日本人のハーフで、両方の国籍を持っている友達がいます。
彼は今、アメリカ合衆国のマイアミに奥さんと住んでいます。
I君といって、彼と私は彼が12歳の頃からの知り合いです。
12歳の時、単身でヴェネスエラから日本のおじいちゃんのところにやってきたのです。
多分、ちょうど私がスペイン語を話せるからといって、
私たちは引き合わされたのですが、彼の日本語の上達の方が早かったので、
スペイン語云々なんて、はっきり言って私たちの関係には何の影響もなかったと思う。
ただ、当時のI君は、恐らく南米の子供たちの多くがそうであるように、
スペイン諸国からラテンアメリカを独立させ、
ラテンアメリカの統一を志したヴェネスエラ出身のシモン・ボリバルを心から尊敬し、
ヨーロッパの、とりわけスペインの数々の悪行について熱く語る少年だったので、
私はいつも彼から、
「渡部さん(私の旧姓)はどうしてスペインになんか行ったのさ!?」と、ことあるごとに問われ続けました。
何故スペインを選んだのか、私には確固たる理由はなかったけれど、
彼には私を責めるだけの確固たる理由があった。

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(つづきはここから)

ビザの代理申請を扱う旅行会社で働いていた時は、
仕事がら、赤い「ビザ本」という、
渡航者の国籍別の入国条件がまとめられた本にしょっちゅう目を通すことになります。
それを読んでいるうちに、海外渡航における不平等がいかに国家間であるかよく分かります。
私たち日本国籍の人間は観光目的なら大抵、ビザなしでどこにでも行ける。
思い立ったらその日にでも飛んでいけます。
けれども大抵の国の人たちにそんな自由はないのです。
今や欧米諸国や大国には、多くの人たちが資金さえあれば簡単に留学・遊学できるので、
その渡航先を選んだ理由は非常に曖昧で希薄なものになりがちです。
国境は捏造されたものなので、その意味でいけば、
自由に往来する、そのこと自体は本来何も悪いことではないし、やましさを感じることはおかしいことだ。
そういう自負と気概が、ともすると、
自分が、外資をバックにその国に入国しているんだという感覚を麻痺させてしまいます。
そして出入国管理における法は、年々改訂されているものの、
その不均衡さは前時代的で、かつての植民地時代の名残を今にも留めていると思う。

だから、自由往来可能な現代の西側諸国人は、
「何故その国を選んだの?」と、その国がかつて植民地にしていた国の人々から
積極的に質問されたらいいのです。
そこで何が語れるでしょうか。
私には、海外に行くことの醍醐味はこれに尽きる気がする。
一個人が過去や歴史を背負いきることなんて出来るわけもないし、する必要もありませんが、
ただ、そういう問いは確実にあるということ。
そして、その問いを持った人が目の前にいるのだ、ということ。
I君が教えてくれたのはそういうことでした。

これはもしかすると、レヴィナスが言った“顔”にあたるのかもしれないとも思った。
“顔”、それは、
「内容となることを拒むことで現前する。
この意味において、顔は了解し内包することのできないものである」
というような、私に切迫してくる何ものか、けれどもその内容は開示されないもの。
例えば壁にある鍵のかかったドアのようなもの。何が鍵なのかは判明していない。
ドアの先にあるものをドアは語ってはくれないが、
別の空間がそこにあるという暗示を私に与えてくれる。
ドアとは開閉するものと、認知する私がいる限り。

それからは、
「せっかくスペイン語ができるんだったら、役に立てればいいのに」と他人から言われようにも、
もうスペインとはチャラチャラした気持ちではつきあっていられない気がした。
小説が好きな私ではありますが、最終的に翻訳家を目指すにしたって、
今のところ私くらいのスペイン語能力では、
お気に入りのスペインの作家といっても1人くらいしか見つけられない。
日本の小説家だって限られた人しか好きにならないのだもの。
大体、スペイン語で優れた小説を書く作家は中南米の方がはるかに多いだろうし。
あるウルグアイの小説家が大好きになってからは、
もう1度スペイン語圏に行くのだったら絶対ウルグアイだと心に決めたりして、
脱スペインの気持ちは日に日に膨らむ一方だった。
これもI君の影響。

あと、ある南米のサルサ歌手が、
「我々もアメリカ人だ。USAだけがアメリカじゃない」と言ったのを知ってから、
USAのことを単に“アメリカ”と表記することは一切止めた。
これもきっと、I君がいたから。

けれども最近、ひさしぶりにメールのやり取りをしたら、
彼は今、ブートキャンプ(米軍の新兵訓練)に入るための貯金をしていて、
最終的には米海兵隊の航空メカニックを目指しているという。
「兵士としての人生をいく」という文章を読んだ時、本当に信じられなかった。
あれだけまっすぐな子供の目で卑怯さや不正を告発していた彼が、米軍に入るという。
クリスマスで日本に遊びに来た17歳の彼に会った時、
私がチャベス大統領のことを軽はずみに褒めたら、
強い調子で反論してきたことを思い出す。
I君は向こうでは富裕層だし、富裕層を狙った誘拐事件が多発しているヴェネスエラでは、
未成年の彼はとても不自由を感じて暮らしていた。
日本にいるとき彼は
「日本はいいね。自由に外出できるし、安全。
おまけにすぐに食べられるものがどこにでも売っていて安いし、すごい。」と言っていた。
ヴェネスエラの貧困を垣間見る気がした。
だから本当は、彼は日本で暮らしたがっていた。
彼の日本の祖父が彼を、経営の後継者にしたがってはいたけれど、
結局は日本人の風貌じゃないから、また、彼の奥さんがヴェネスエラ人ではなおさら駄目、
というくだらない、本当にくだらない人種差別によって、彼の日本永住の夢は砕かれた。

彼はヴェネスエラでは獣医の免許を取得していて、
動物好きの彼は昔から獣医になりたがっていた。
家庭用のペットや小動物には興味がもてず、大型の家畜の診療を切に望んでいた彼だったけれど、
チャベス大統領によって多くの土地が接収された牧畜業の社会主義化の実態に幻滅して、
その夢をあきらめてしまった。
あと、ヴェネスエラでは確実に人を診る医師と獣医では、前者の方がエリートで歴然とした差があるらしい。
成績の問題で彼は医師にはなれなかったのかもしれない。
彼の弟は医師の道を歩んでいて、その兄弟間の劣等感もあるのかもしれないと思う。

彼は、約1年半の日本滞在後の小学校の夏休み明けに、
戻ってくるはずの日本に戻ってこなかった。
彼の母いわく「日本に行ってから言うことを聞かなくなった。悪い子になって帰ってきた」そうだ。
それは親からの自立で成長だったのだけど、概してそれを親は認めたくないのだろう。
それで母親は息子を手放したくなくなったというわけだった。
12歳で国家の違いによる人の暮らしの違いをまざまざ見てしまった彼なのだ。
批判精神がそこで培われたのは想像に易しい。
そして彼が日本に来た理由は、自分の親と日本の祖父母を結びつけるためだった。
何が彼を日本に単身渡らせたのか。それは親と祖父母間の関係の至らなさのはずでしょう。
そんな親が自分のことを棚に上げて、結果「言うことをきかなくなった」と言う。
ひどいもんです。
I君の日本の同級生にR君というガキ大将的存在の友人がいて、
頭髪が生えない病気があったので(今は完治)常に帽子をかぶっていた。
R君の見た目は不良だったけれど、本当に心優しい男の子だった。
けれどI君の母はI君とR君が付き合うことを禁じた。
「どうして?お母さんは人を外見でしか見ていないよ!」とI君は何度も母親を説得したけれど、
母親は考えを変えなかった。
I君の、元々父親にはすでに抱いていたけれど、母親に対する失望と不信もここに始まり、
結局その溝は埋まらなかったように思う。
これは彼のヴェネスエラに対する失望と不信に重なっている気がする。
彼の両親は結局離婚し、彼の弟は母親と暮らしているそうだ。
ヴェネスエラには彼の居場所がないのかもしれない。

祖国の喪失と脱ヨーロッパと反チャベス。
彼が行く先はもはや合衆国しかなかったのかもしれない。
そういう若者が合衆国には、米軍には沢山集まってくるのだろうと思う。
田中宇さんが下のように書いている。
アメリカはここ数年、極端なチャベス敵視策を展開し、その結果、チャベスを中南米の英雄に仕立ててしまったが、これはもしかするとアメリカの「失策」の結果ではなく、世界を多極化させるために故意にやったことなのかもしれない。アメリカがイラクをわざと泥沼化したり、ウズベキスタンの大統領をわざと怒らせてロシア寄りにさせてしまったりしたのと同じ「故意の失敗」だったのではないかと感じられる。

ヴェネスエラは、中南米は、内部から崩れている。
富裕層と貧困層が引き裂かれ、対立することで消耗させられている。
しかし、この富裕層はもともとヨーロッパからの移民なのだ。
信州大学に留学してきていたアルゼンチン人の友人は、イタリアとの二重国籍だったし、
イギリスの70年代のお笑い集団“モンティ・パイソン”フリークの人の話では、
ヴェネスエラの鉱山の町ではビジネスでパイソンネタが使えるそうだ。
イギリスのケンブリッジ大学で生まれたブラックユーモアの感覚が、
ベネスエラの地方で通用するということだ。
ラテンアメリカは非常に多国籍で、ヨーロッパ系住民が多いとI君も言っていた。

チャベス大統領はIMFと世界銀行から決別し、米州自由貿易圏(FTAA)構想を蹴散らし、
遺伝子組み換え農産物を否定しキューバにならって有機農業を推進している。
すごい決意と表明。
しかし何を言っても、チャベスのことは陰謀論に振り回された暴君としか、
富裕層や西側諸国には理解されないだろう。
私たちがもうすでに、チャベスが闘っている相手をしっかり受け入れてしまっているからなのだ。
以前も引用した河合隼雄氏の
「灯りを持っていない人に灯りを渡して明るくするのは簡単なのです。
厄介なのは、すでに灯りを持っている人です。灯りを取りかえるのは難しい。
もうすでにその人は充分明るいつもりなのですから」
を思い出す。

私は陰謀論は好きじゃない。
オカルトやミステリーのノリで首を突っ込むのは何もしていないよりも悪い時があると思う。
本当のことも私にはわからない。
ただ想像できるのは、チャベスにとっては、私達が陰謀論とみなすものも決して絵空事ではなく、
実感をともなった“現実そのもの”なのだろうということ。
そして間違いなく、I君が米軍に入って悲しむ国家元首はチャベスしかいないと思う。
もう1つのI君の祖国、日本の国家元首はきっと何も感じないことでしょう。

どうかI君、兵士として死なないでください。
そして自らの怨恨ではなく、国家によって植え付けられた架空の怨恨によって、
誰かを殺したりしないでください。
本当に闘う相手は無数にあって、しかもそれらは銃弾や兵器ではどうしようもできないものばかりです。
親と向き合うことや差別と向き合うことの方が、戦争で人を殺すことよりも難しい。
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