ノ ー ト

好 き な 読 書 を 中 心 に 考 え 中 を 記 録 す る ノ ー ト

2010年11月

ぼくを探しに the missing piace

このブログでも何度か文章を引用している元の本(過去記事)、
「おばんざい 京の味ごよみ」(朝日新聞京都市局編・中外書房)は、
私が折に触れて目を通す大好きな、いわば“料理コラム本”なのですが、
以前も書いた通り、
昨今のなんちゃって町家ブームに代表されるような、うわっつらな京都案内ではなく、
昭和41年当時にすでに変わりゆく京都の暮らしを、
日々のおかずを通して、京ことばで綴ったものなのです。
これは祖母が残した本(初版)で、
私にとっては祖母と母という2人の京おんなを偲ぶ為の唯一の手段のような気がして、
ことのほか思い入れが強い。

この本のコラムは3人の大正生まれの京おんな、
秋山十三子・大村しげ・平山千鶴の3氏によって、
各回担当制で書かれたものです。


先日、この3氏が書いた文章をもっと読みたいものだなぁと思って検索すると、
大村しげ氏はとても有名な方らしく、著作もたくさん残っている。
他の2氏は、殆どが絶版状態。
60年代か70年代位に書かれた本が欲しいと思い、続けて検索していると、
大村しげ氏のある本の帯だか何かに、
例の婦女子に大人気のスタイリスト(?)I氏の文章があるらしい。
とたんに興が冷めた。
もうI氏の手が伸びていないものはないのだろうか。
確かに彼女の方が大村氏に対しての造詣ははるかに深いのだろうし、
それが御商売なので、とかく文句を言うのも間違っているかもしれないけれど。

特定の有名スタイリストとか、そういう人が推薦しているだけで、
ある人たちにとっては付加価値であるのかもしれないけれど、
私にとってはただただ興醒めの元でしかない。

あの渋谷系の人たちは貪欲なので、全てをスローライフだとか、
つつましやかな清貧のシンプルライフだとかに一括、編集し直してしまう。
戦前から続く当たり前の京の暮らしを、
自分たちの、ほんの一時でしかないバブルの反動や反省の道具に利用してしまうのだ。
今は、賢い暮らし方を知っていることが、まるで免罪符※のように扱われているけれど、
(※免罪符は本当は贖宥状<しょくゆうじょう>と訳すのが正しいらしい)
スローライフやシンプルライフ関連の本や写真集を売り買いすることは、
もしかすると、かつてのカトリック教会がやった“贖宥状の売買”や、
“お札の売買”にかなり似ているんじゃないか、
とフト思う。

私が特に、『暮らしの手帖』の模造品や、スローライフ関連のものを嫌悪する理由は、
多分、そういうところにあるのかもしれない。
ちなみに11月4日付けの記事「覚書 ~隷属 主題から発想することと労働~」の前半は、
こういった渋谷系や、道具云々を掲げるスローライフ喧伝者を念頭にして書いた。
特に下記部分↓。
○○を知っている私、××に価値を見い出している私 が自己表現だと思っている人は、
問題にする主題/主語が何であるか、ということに依存しているが、
「主」が何であるか・誰であるか に依存しているのはまるで奴隷的発想のよう。


でもこうして考えると、
私は渋谷系やらに反感を抱く事で自分のバランスを取ろうとしていたことがわかる。
多分、私には過剰なものや重複するもの、そういうものは削ろうとし、
自分に不足しているものには憧憬を抱いたり、補おうとする。
まぁ、なんの新しい話でもないのですが。
シルヴァスタイン氏の有名な絵本「ぼくを探しに(the missing piace)」を思い出す。
“何かが足りない
それでぼくは楽しくない
足りないかけらを探しに行く”
 の“ぼく”を。


日本のamazonの書評に、原題のthe missing piaceのmissingとは、
元々あったものが欠けているという意味で、
そう読むと面白いというようなことが書いてあった。
ただの欠けらではなく、元々あった欠けらを失くした球体というのは、
“ホリスティック”な状態の破綻を意味しているんでしょうか。
そういえば、「people」という曲(アメリカ合衆国では誰しもが飽くほどの道徳ソングなのでしょうが)
にはそんなようなくだりがあります。
訳すと非常に恥ずかしいんですけども...

♪A feeling deep in your soul 
Says you were half,now you're whole.
No more hunger and thirst
But first be a person who needs people.
People who need people
Are the luckiest people in the world♪


♪心の奥底が言っている、
あなたは半分だったけど、今は全部だ、と。
もう飢えや乾きはない
でもまずひとを必要とする人であれ。
ひとを必要なひとが世界で一番ラッキーなひとだから


この歌からすると、
私にどんな嫌悪しているものがあったとしても、
それを私は必要としているということになるのかもしれません。
自分自身について考えたり気付いたりするときに、
必要なきっかけだったり材料だったりするのは確かですし。
♪people who need people are the luckiest people in the worldならば、
好きなものよりも、嫌いなものの方が多い私だとしても、
私も一等幸運な人間の部類だ、ということになるのでしょう。

ネットで、当たり屋みたいにつっかかってくる人や、誹謗中傷をしている人たちは、
きっと、自分を知りたくて知りたくてしようがない飢えと渇きに充ちた人たちなのでしょう。
その自覚ができた時に、多分、
本当に自分が求めているものがどこにあるかの“感”は戻ってくるでしょう。
今は彷徨っているけれど。
けれど、長く続き過ぎた飢えと渇きでは、背に腹は代えられぬ思いで、
手近なものを口にして、インスタントな満足感を得てしまいがちなのが難だったりして。
そういう手の施しようがない状態にならないよう、自分も気をつけなくちゃ、と思う。

しかしながらno more hunger and thirstというのは拙速な気がする。
絵本「ぼくを探して」では、
最後に球体(欠けてるから球体じゃないんだけど)は、探していたかけらと出会うものの、
結局、その欠けらとは別れてまた1人で転がっていく、
というのがお話の結末。、
何だかこっちの方が含蓄があっていいなぁと思う。
いやでも、同じ歌手の曲に「free again」という、
別離の後にまた元の自由な自分に戻れたわ♪という歌があるじゃないか、
と思ったけれど、それはまた別の話し。

とりあえず、嫌いなものから学んだという雑感でした。

タピエスと松田功さん



前回の記事で文章を引用したスペインの画家、アントニ・タピエスは、
知っていると“ツウ”な画家でもなんでもなく、
多分スペイン(や欧州)では、有名すぎるくらいの画家なんじゃないかと思います。
美術界の事情とか、そういうのは全く知らないので、
これも当てにならないかもしれないけど。
どちらにせよ、タピエスと特別縁があるようなことを書いたけれど、
「ゴッホとは特別縁がある」なんて言うことが、白々しく響くものなのだとしたら、
私のも随分白々しいものだったのかもしれません。
だって、タピエスの原画は(記憶上)3枚しか見たことがないのだから。

私が最初にタピエスの絵を見たのは、イタリア旅行中だったのだけど、
偶然、タピエスの絵のある展覧会に立ち寄って観たのでした。
気に入ったのでその時名前を覚えました。16歳の時。

日本に帰ってきて、父の友人がタピエスにインタビューしているのを読んだ。
それが18歳の時。

以前働いていた旅館&喫茶店の常連さんだった松田功さんの、
坂城町の家に遊びに行った時に、タピエスの原画を見せてもらったのが24歳の時。
両手に挟んで、膝の上に絵を置いて眺めたタピエスは格別なものがあった。
その絵を聞きつけた画商が、何度もミロの原画と交換しないかと松田さんに言ってきたそう。
それを松田さんは全部断った。

当時松田さんはロートレックにご執心で、
面白い面白いと画集を見ては私に語ってくれた。
松田さんは当時84歳くらいだった。
でもその後、わりとすぐに亡くなってしまった。
私にとって、
他人で、お通夜やお葬式まで参列した相手は、菅沼さんと松田さんの2人しかいない。

松田さんには心臓に病があって、
松本市の信州大学付属病院に定期的に通ってきていたので、
私が働いていた旅館には泊まりがけで来ていた。
松田さんに部屋で聞かせてもらった戦争体験の話やら、茶道の話し、
その他諸々を話し合える、私にとって大事な友人でした。
戦争が終わって今日からみんな平等ですよ、と言われた時、
今までだって一等兵同士はみんな平等だった、何が違うのかと思った。

と言っていた松田さんは、戦後、政治によってもたらされた「平等」というもの自体を、
信じていなかった気がする。
それは政治によって与えられるものではない、という確信があったからだと思う。

松田さんは坂城町のご自宅に自分で茶室を造り、庭木を植えていた。
茶道について(所作ではなくその心意気だけだれど)も教えてもらった。
旅館に泊まりに来る時も茶道具一式持ってきてくれて、お茶を点ててくれた。
以前このブログで書いた、
“ウンチクぬきに抹茶を淹れてくれる友人”とは松田さんのことです。

私は基本的に頂いた手紙は時期が来ると全部捨ててしまうのですが、
松田さんから貰った手紙やはがきを処分したことだけは、いつも惜しいと思う。
だから、
何故か私の習字が好きだった松田さんがくれた、硯と筆だけが形見。

上記の旅館のご主人が亡くなったと聞いて、
まずその旅館に問い合わせたのが、
松田さんが自費出版した「生き残った兵隊の綴方」という本の行方。
旅館のご主人と喫茶店の従業員用に2冊、生前の松田さんから頂いていたのだ。
旅館のご主人が亡くなったら、もう、松田さんの戦争体験を語り継ぐ人はいないと思った。
あの本をもう一度読んで、誰かに伝えていかなくちゃ、と思う。
松田さんには、家族が、年老いた独身の妹さんしかいなかった。
その妹さんとも連絡が取れないので、もう亡くなったのかもしれない。
けれど、その旅館には松田さんの本はどこを探してもないのだそうだ。
どうも電話で察するに、先方は「私が持ちだしたのでは?」と疑っているようでもあった。

でもさっき、もしかするとと思って、
「上田地域図書館情報ネットワーク」で検索したら、1冊だけ旧真田町の図書館にあるらしい。
松本平もそうだけど、上田地域の図書館で借りた本はどこの図書館に返してもいいので、
坂城町から真田町まで動いているということは、どなたかが借りて読んだ方がいるのだろう。
それがとても嬉しい。

でも思い起こせば、松田さんの茶室にも一枚の大きな油絵の抽象画が掲げてあって、
それはある有名な画家のものらしかった。
松田さんは、若い美術家や工芸家の世話を随分してきたので、
彼らから託された作品をたくさん持っていた。
だからきっと、松田さんの人柄とその戦争体験は、どこかで脈々と語られているのかも。
そう信じたい。

松田さんは若い人たちと接するのを大事にしていて、
死ぬ間際も、ある悩んだ若者を外に連れ出そうと、旅をしていた。
「命に関わるから、そこまでしなくても」と周りに言われても、
病気を押して出かけていた松田さんは、とり憑かれているようでもあった。
その旅行から戻って体調を悪化させ、すぐに松田さんは亡くなった。

当時、その旅館では勤務時間の長さから言って、私は中心的な役割だったのだけど、
私は精神的にムラがあり、とたんに付き合いが面倒くさくなったり、
集団の中で楽しくやるということに極端に嫌気がさす時があるのですが、
それを松田さんにはよく叱られた。
「元気が出ないんですもん」と言う私に松田さんが返した
元気っていうのは出すもんだ」という言葉をよく思い返す。
色々言っても、あなたの今やっていることは丸茂(その旅館です)でしょ。
他に本当の自分がいるわけじゃないんだ。まず目の前の職場を変えていけないなら、
偉そうなことは言えないよ。

というようなことも度々言われた。

物理学の本(と言っても、ブルーバックスの初心者用に書かれた本)を読んでいる私に、
物理なんて、結局人を大量に殺めるために機能してきただけじゃないか。
そんなの読んでも平和にならないよ
」と松田さんが言ってきたので、
喫茶店で他のお客さんの前で口論になったことがある。
どうしてわかってくれないのか、と当時は思ったけれど、
意見の合意や正しいことを言うことが松田さんの目的ではなかったんだろうと思う。
「松田さんは何でも戦争のことに絡めて考えすぎだよ!」という私の気持ちを
見透かしていたと思う。
でも、生き残った兵隊、それこそが松田さんにとって生涯の自己規定だった。
最後まで、私の前でも松田さんは「生き残った兵隊」として語ってくれたのだと思う。
首から心臓病の薬であるニトロ入りの錠剤を常にぶら下げていた松田さんは、
ここに爆弾が入っているんだよ」と皮肉に笑っていた。

ある美術評論家は“書くことと描く事の一致を夢見て(長崎県美術館のサイトから引用)”、
タピエスと詩画集(「物質のまなざし」)を出していて、
その中に以下の一文があるそうです。
泥の上をのぞけ おまえの身分証明を 見つけること 最低のを。
これを松田さんは知っていたのだろうか。

どうして松田さんが、明るい色彩のミロではなく、
暗い色彩のタピエスを手元に置くことを選んだのか、今はよくわかる気がする。
再現としての絵画ではなく、物質そのものとしての絵画を目指すタピエス。
芸術作品の価値は、その効果によってのみ計られるべきである」と言ったタピエスの絵を、
結果として兵器に利用される物理学に疑いの目を向けた松田さんが、
大事にしていた意味。

何としてでも、いつかまた必ず見つけ出して、
松田さんの書いた「生き残った兵士の綴り方」に辿りつかねば、と思う。
思い出す松田さんの顔はいつも笑っているのです。

幾つかの感想(と憶測)

PB100515








↑まゆみさんと娘の共作の絵です(クリックすると大きい画像が出ます)

先週の土曜日、初めて※まゆみさんにお目にかかりました。
(※本当は、沖縄に行かれる前にやっておられたお店には何度か行ったことがあります)
そして翌日曜日、私たちの家に、友人2人を伴って遊びにいらっしゃいました。

「まゆみさんはとてもきれい好きだ」とかねがね直也君から聞いていたのですが、
私からすると直也君自身も超きれい好きで潔癖症なので、
その直也君が言うくらいなのだから相当だろうと思って、
まず掃除をせねば、と思った。
以前まゆみさんのブログで、
ヤモリが紹介された時の写真に映りこんでいた、まゆみさん家のピカピカの台所が思い出される。
なので朝から(娘と)はりきって掃除しました。

日曜日は朝から快晴で、
夏の間垂らしたまんまにしていたお勝手の、南側の窓ののれんを上げたらまぶしくて、
普段気にならなかったホコリや汚れをきれいにすることが出来た。
この日は、多少緊張もしたけれど、ひさしぶりに優雅な気分で時間を過ごす。
掃除をしたことで家がより居心地よくなったからかもしれない、とも思う。
「あそこも掃除しなくちゃいけないのに」と気になりながらも居る、
ということをしないで済むから。

あと、私たちは週末は大抵ほとんど家の中にはいないので、
久方ぶりに家の中でゆっくりした、というのもある。
娘が、初めて会ったまゆみさんにすぐなついたし、
一緒に来てくれたお2方ともに娘は何度も会っているので、
娘の遊び相手が私だけでなかったのも、くつろいだ気分の一因だったかもしれない。

直也君は随分前から腰などを悪くしていて、疲れもたまっているので、
まゆみさんはそれをとても心配してくれて、お灸とマッサージをしてくれました。
私が普段やれるようにと、やり方の指導もしてくれました。
多分、私や直也君の親の誰よりも、
直也君を本気で心配してくれているのは、まゆみさんだけだと思った。
「直也君が倒れると大変だから」とウチの家計のことも含めて心配してくれました。

まゆみさんが新しく住処にした土地は温泉地なので、温泉の話やそのマナーの話しが出て、
曰く「女湯をみんなに見せたい」と。
「化粧を落とし衣服をはぎ取ると、女性は個性がない」ので。
女湯は大抵マナーが悪くて、場所取りをするしゴミを平気で残していくし、
露天に入る際に足を洗ってはいる人なんて皆無だし、ドライヤーを使うのは良いけど、
落としていった長い髪はそのまんまでも平気ときているから、私も女湯ではいつも嫌な思いになる。
まゆみさんが言うとおりで、女湯は素性が出ると思う。
多分男の人の想像をはるかに上回る酷さなんだと思う。

娘が周りを気にせず思ったことを何でも口にしちゃう、という話をしていたら
まゆみさんが「本当のことをみんなが口に出したら、ずっとよくなるよね」と言っていた。
それでふと、スペインで生活していた時のことを思い出した。
彼の地の人々はクラクションをすごく鳴らすし、
窓から顔を出して大声で叫んで要求しあったりするのだけど、
運転という行為は殺傷性もある危険な行為なのだから、
そのぐらいはっきりとした意思表示は、お互いにあっていいはずだと思う。
車に拡声器をつけて、思ったことを何でも言い合ったら交通マナーは良くなる、と思う。
誰が何をどう感じているかを互いに言い合うしか、
自分も相手も気付けないことは沢山あると思うから。

車の装備がよくなればなるほど(特にカーステレオやバックモニターなど)、
公道という場所を走っていても、本音を隠して内へ内へと自閉していくばかりなのかもしれない。
これは、消費によって目先を変えさせる事で、本当の問題から目をそらせるのと同じやり方な気がする。

それでこの「本当のことをみんなが言ったら」というのは、
身体に戻って考えれば1番わかりやすいんだろう、と思った。
身体はその人の全てを表わしている。
あなたが普段何を食べているか言いなさい、あなたがどんな人間か当てましょう
という有名な言葉や、
ある思想家の「専門家(職人)がある体の部位ばかりを使いすぎて病気になるんだとしたら、
専門家だってそんなに立派なもんじゃない。バランスが悪いんだ

という言葉などなど。
“素”を隠したまま他人と接することは出来ると、みんな錯覚しているけれど、
見る人が見れば、その人の素はすでに露わになっている。

ある宮大工が職人を募集した時、使っている鉋の刃の砥ぎの状態ではなく、
鉋台(ボディー)の方を見て採用か不採用かを決めたそうだけど、
刃がどんなに鋭利に砥げていても、刃と木材が水平に当たるかを決めるのは鉋台なので、
その鉋台の仕上がりに手を抜いている人は、
“普段から責任ある仕事をしていない人”だとわかるらしい。

自分の身体の状態や相手の身体の状態について包み隠さず話したら、
「本当のことをみんなが言」うことにもなるんじゃないだろうか。
自分の身体の本当のこと、相手の身体の本当のこと、
コミュニケーションというものが、本当にそこまでを扱うものなのだとしたら、
自分と他人という境界は意味がなくなってしまうだろう。

まゆみさんを見ていて、そう思いました。

私は卵巣のう腫があるのだけど、まゆみさんいわく、
ある針の先生に言わせると、子宮の病気は夫に不満があって、
乳がんなどは子供に不満があるとできるらしい。
それで「でも、森さんは直也君に出会う前から卵巣のう腫があったんだもんね」と言うので、
「でも、私はずっと直也君に出会う前は父親とずっと一緒に生きていくんだと思っていたので、
父親に対して不満があるのかもしれないです」と返した。

ウチは父子家庭だったので、両親が揃った家庭と比べると、
やっぱり父には特殊な依存の仕方をしてきたと思うので。
まゆみさんから、
「その針の先生のところに試しに行ってみたら?
でも針だけじゃなくて、病気の根本を直さないといけないから」
との勧めを受けた。
私と父親との問題を正していかなくてはいけない、ということ。
親子関係の問題は本当に終りがない。ずっと変容していくんだなぁ、とつくづく。
(まだ何もしていませんけども)

直也君とはるかぶりに再開したまゆみさんの、直也君の印象は、
「前より精悍な顔をしているけど疲れている」
その直也君の身体に対する指摘と、
私の、父親との関係が影響しているかもしれない卵巣のう腫の問題。
今の私たちの問題がはっきりした感じになりました。
同時にそれに対しての“とっかかり”もまゆみさんからもらった。

私が直也君の健康に対して随分力不足なんだと自覚できたし、
直也君も私に対して力不足なところもあるんだろう。
前の記事で、
社会的意義のある誰かの為の労働でもなく、
自分の健康を養う為の労働でなければ、隷属を解決することは出来ないのかもしれない。

と自分で書いたけど、本当に私たちが自立するには、
この身体の問題の改善が、まずやるべき仕事なのだ。

たとえば、直也君に「少し休んだら」と私が言っても、直也君は聞かないけれど、
まゆみさんがお灸とマッサージの後「直也君は休んだ方が良いよ」と言うと、
直也君はおとなしく休むのです。
まゆみさんに説得力の違いを感じました。

「ことばがつよい」とか、“言葉に説得力がある”っていうのは、
やっぱりうわっつらの“ことばの力や働き”なんではなくて、
ことばにその人の“生”がにじむからなんだと思う。
“心配して相手に力が吸い取られる”というような事態は、
まゆみさんを見ていると別になんの誇張もなく、本当に起きるだろうと思った。

普通のおしゃべりは、その場しのぎで表面的で、
沈黙を埋めるだけの為に発せられたりするもので、
だいたいのおしゃべりがこの手のものだと思うけれど、
昔は「噺家とジャズ演奏家は永生き出来ない、
毎度即興であるそれらのライブは命を切り売りするようなものだから

なんて言ったみたいに、
本気でしゃべったら・ことばを使ったら本当に消耗するんだと思う。
批評家の小林秀雄もかつて、
絵を真剣に鑑賞したら15分もすればぶっ倒れるはずだ
(だから誰も真剣に絵なんて見てはいないのだ)
」というようなことを言った。

私と直也君は毎度人と会うととても疲れるのだけど、
まゆみさんたちが家に来た日の夜は本当に疲れを感じた。
まゆみさんを見ているのと、まゆみさんの話を聞くのに多分すごく集中したと思う。
加えて、私は朝から掃除をしたこともあるかもしれないし、
直也君はお灸とマッサージをしてもらったせいもあるかもしれない。
でも、絵を真剣に見るような集中力を使った気がする。
身体のことについての時間は、特に。
だから同じ長さの時間でも充実感があったのかもしれない。
でも、相手が真剣でなければこちらも真剣になんてなれないのであって。

今日、バイトからの帰り道、
「鑑賞」と「観賞」のことばの違いが頭に浮かんだ。
どうして「鑑(かがみ)」と「観(みる)」で区別するのか。
それで大好きなスペインの画家アントニ・タピエスの言葉を思い出した。
(タピエスとは不思議な縁があるので、特にいつも気になる存在なのです。)
 
「アルタミラの洞窟からベラスケスを経てピカソに至るまで、絵画は常に抽象化作業であった。
熱狂的なリアリズム信奉者に、私は、何度も繰り返して言ったものだ。
現実というものは絵画のなかにはなく、鑑賞者の頭のなかにのみあるのだ、と。
 芸術は記号である…ものである。我々の精神のなかに現実を呼び起こす何かである。
この、現実という概念を呼び起こすという点では、私は抽象と具象の間になんの違いも見出さない。
目が映し出す現実とは、現実の貧弱な影にすぎない(1955年)」 

 「ある作品の意味は、鑑賞者の協力の可能性の上に成り立っている。
常に、それを鑑賞する人の精神がどれほど発達しているかに依存しているのである。
イメージを持たない人、つまり、
心の内部で思考と感情が結びつくために必要な想像力や感受性が欠如している人は、
何も見ることができないのである(1960年)」 

「私は、芸術そのものに内在的な価値があるとは思わない。それ自体は無に等しい。
重要なのは、その、知を得るためのバネ、トランポリンとしての役割である。
色、構成、作業…こういうことを積み重ねて「芸術を豊かにしよう」とする試みを
私がばかげていると思うのは、そのためである。
作品とは、瞑想の支えにすぎない。
注意を喚起し、思考を安定させたり刺激したりするための装置にすぎない。
芸術作品の価値は、その効果によってのみ計られるべきである

「鑑(かがみ)」は、対象を観て自分の心に反射されたものを内省するような意味らしいから、
単に対象物として“観る”のとは違う。
これは世阿弥が言った「まね」の考え方
そもそも能を見ること、知る者は心にて見、知らざるは目にて見るなり。
 心にて見るところは体なり。目にて見るところは用なり。

にも通じるかもしれない。

カーステレオで音楽を聴き、外の音や声を遮断して車を密室化するのや、
自慰的な消費活動を通じて引きこもり自閉していくのと同じで、
「鏡(かがみ)」ばかりをのぞきこんでいる電車内の少女や若者は、
表面的な自分の状態ばかりを反射させて自閉していくばかりで、
心でとらえたものを「鑑」にする機会が奪われていっているのかも。
用(様)は体から生まれるのに、用(様)ばかりにとらわれていると体を見失う。
「鏡」が「鑑」という経験を塗りかえていってるのかもしれない。

そういえば、まゆみさんは
「病気になるときって必ず片方だけだよね、なんでなんだろうね」
と言っていたんだけど、
双子の統合失調症患者は(兄の場合も)、絶対両方が悪いor良いということはない。
片方が良い時、片方が悪い。
対のバランスが崩れる時、それを病と言うのかも。
鑑と鏡もバランスを崩しているのかも、なんてふと思う。
「唐書(魏徴伝)」に著された「三鑑」とは、手本とすべき三つの「かがみ」のことで、
衣冠を正す鏡と、世の移り変わりを知る歴史と、是非を明らかにしてくれるすぐれた人物
のことらしいけど、衣冠を正す「鏡」ばかりじゃいけないってことでもあるのか。
これはまた今度ゆっくり考えます。

タピエスの芸術論に戻って。

「作品をどう見ようと自由だし、作品の価値は相手の中にあるのだから、
その作品がどのように受け入れられるかまでは、作者は干渉しなくてよいorできない」

という考え方はもっともらしいようで、
実は“ボタンの掛け違い”をしてしまっていて、
作品の価値は相手の中にあるのだからこそ、
“芸術作品の価値はその効果によってのみ計られるべき”ならば、
その効果まで配慮に入れることが芸術の仕事なのだ、というのが本当なんじゃないだろうか。
タピエスは表現と鑑賞は一体であると言っていると思うし、
そういう意味では、
自他の境界を超えた“全体的な運動”の中にしか芸術は存在しない、とも言えるかもしれない。
その日私が感じたところのまゆみさんは、正にそういう人でした。
そして、まゆみさんにとって興味のある事は「本当のこと」でしかないということ。
嘘もへつらいも社交辞令も、まゆみさんの相手ではない。

「まゆみさんのおかげで優雅に過ごせた」と言ったら、
誇張だ・言い過ぎだと思う人もいるでしょう。
でも良い絵を見て感激して「おかげで良い時間を過ごせた」と言うのを、
おかしいと思う人はいないでしょう。
鑑賞したい絵がある美術館に足を運ぶのに自分なりのドレスアップをして、
絵を見て、その後、館内のショップで図録を買い、家に帰ってきて発する言葉は多分、
「あーいい絵だった」。
絵1枚にはそれだけの広い力があります。
そして人にも。

覚書 ~隷属 主題から発想することと労働 ~

だいぶ加筆(翌14時11分)

・○○を知っている私、××に価値を見い出している私 が自己表現だと思っている人は、
 問題にする主題/主語が何であるか、ということに依存しているが、
 「主」が何であるか・誰であるか に依存しているのはまるで奴隷的発想のよう。
 
 主題は、ある観点や条件の中でトリミングすることによって抜き出された、
 便宜的な名詞でしかないという気がする。
 だから主題からは、本当の問題の構造にいつまでたっても到達できない。
 いくら哲学用語や現代思想のキーワードを沢山知っていたとしても、
 いくらネットでキーワード検索をしても、それが条件にはならない。 

 むしろ大事なのは述語の方。
 主題は多かれ、時代や文化圏に左右され賞味期限を失いやすいけれど、
 述語は時代や国境を超えてゆける。
 個人が自立するために必要なのは主題からの発想ではなくて、述語からの発想。
 

・労働(勤労)讃美は、結局は国家主義か、
 または、人にとっての労働をただの手段・道具としてしか認識していないことの証しのよう。
  
 過剰な讃美や賞賛を作為的に植え付けなければならないとしたら、
 元来、一般的に意味されるところの「労働」だけでは、
 そもそも、そのような価値を持ち得ないということではないのだろうか。
 
 労働は讃美する必要がない。
 労働は手段であると同時に(か、それに先行して)、健康を維持するための機能だから。
 かつては、働くこととは別に、あえて運動する必要なんてなかったのだし。
 (スポーツジムに行くまでに身体を駆使していれば、
 少なくとも、スポーツジムに車で通うことを止めれば、
 ジムのランニングマシーンは必要がなくなる。)

 今や、「労働イコール肉体労働」ではなくなったので、
 労働が健康維持とは無縁になりつつあるとしても、
 いまだ家事は、家電をいくら駆使しても肉体労働だ。
 そして直接的に“生きること”に近い仕事は家事の方で。
 会社が倒産して職を失っても、家事を失職することはないのだ。
 自分の身体の為にする仕事には失業はない。
 
 シモーヌ・ヴェイユの女工体験は、労働問題を考える時、
 特に社会主義思想を好む人からは、観念的で抽象的だと批判されることが多いけれども、
 “工場仲間と気の良い挨拶を交わすだけで労働の疲れが癒えた”という体験を、
 驚きを交えて書き残した彼女が、労働者の中に身を置く事で得た感慨は、
 労働をただ“自分の外に価値を生む生産行為”だとみなす短絡的な思想よりも、ずっと本質的だったと思う。
 だから彼女の著書は、同年代に出された政治思想書よりも、より永く読み継がれていくことだろう。

 少なくとも彼女は労働やそれに付随する階級闘争によって、
(社会的な)善がもたらされるはずだ、という安直な期待を最終的に捨てるに至った。
 労働条件や環境を改善したとしても、奴隷的状態や精神を改善できるわけではないことを知ったから。

 社会的意義のある誰かの為の労働でもなく、
 自分の健康を養う為の労働でなければ、隷属を解決することは出来ないのかもしれない。
 
森 
最新コメント
記事検索