ノ ー ト

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2012年02月

スペインなるもの

「スペインなるもの」とは何か。


私には、特にこれといった理由もなく、スペインに住んだ時期があるのだけれど、
というのはつまり、それが“不登校”からの一時避難先でしかなかったからだ。
時代が1人の人間に多大な影響を与えることがあるように、
こちら側に決め手があるのではなく、“向こう”から勝手に当て逃げしてくるような、
そんな影響力の強い由縁というものもまた、まま存在するのではないだろうか。

私にとっては、それがやはり「スペイン」なのだった。

これは、自分が過ごしたスペインにおける1時代を、
「特別視したい・価値のあるものだと思いたい」という執着だけがそうさせるのではない気がする。
「スペイン」というよりも、「スペインなるもの」と言った方がいいかもしれない。
この「スペインなるもの」の影をずーっと追っている、という感じ。


私にとっての「スペインなるもの」とは何か。
それは1言でいうと「統合されても、決して統一はされないもの」である。
「常にはみ出し、こぼれ落ちるもの」なのだ。
これが、学校教育からの落ちこぼれであった私に合ったのかもしれない。

以前も書いたことがあるけれど、スペインはヨーロッパの縮図なのだ。
文化的にも気候的にも。
「ムスリムの宮殿」と「キリスト教の聖地への巡礼路」は
同じスペイン国内に同居する世界遺産である。
かつスペインを代表するフラメンコ舞踊は、放浪の民ジプシーの文化である。


スペインは神秘主義者を多く輩出し、つまり苛烈な宗教者が多い土地なのだけど、
強い一神教的宗教心は、貧しい風土から生まれるものだろう。
植民地活動を引き起こす帝国主義は、まさに貧しさゆえだと思う。
スペインの内陸部は非常に貧しい土地だった。
中南米に渡り、ことごとく搾取を続けた人々は、無論この地方出身の人々であった。

貧しさに対する恐怖感は強い宗教心となり、
スペインではグロテスクな異端審問やユダヤ教徒への排除を行った。
例えば、作家のエリウス・カネッティはブルガリアのスパニオルで、
スパニオルとは15世紀にスペインから追われたユダヤ系移民のことだ。
この作家カネッティによると、

人間のつくりだす社会制度や法律、儀礼、建築など、ほとんどの文化は、
他者への恐怖から発生する「接触恐怖」が動機となって引き起こしている

という。

先日、「鍵をかけない生き方」というのをラジオで紹介していたが、
確かに玄関ドアは、「他者に対する警戒」ではないだろうか。
人が建物に入る場所を1か所に限定するというのは。
そう考えると、もう1つの入り口を「勝手口」と呼ぶのもうなずける。
家のいたるところの窓から、人が入ってくるのだとしたら、どうだろう。
建築はそれを拒む箱である。
マイホーム主義の精神とはこの接触恐怖に根ざしているのかもしれない。

こうして恐怖心は、「恐怖を抱く者」と「恐怖を抱かせる者」とに、人を分断する。
スペインがヨーロッパの縮図であるゆえんは、その地形・気候風土の多様性と、
異なる価値観を恐怖心から分断しまくった結果ではないだろうか。

1492年のスペイン統一はイスラム勢力の排除の完結の年であり、
キリスト教統一の年であり、資金を出したコロンブスが新大陸を発見した年であった。
スペインの国家の成立とは、統一とは名ばかりに、「拡散」が同時に始まった歴史であった。
しかし、逃亡するための・逃亡させるための拡張先である土地は、もう現代にはない。
分断され、異なったそれぞれの文化が、居合わせるより仕方がないのだ。

しかし、ローマの植民地からムスリムの植民地という歴史をもったスペインでは、
正統なアイデンティティなど端からないから、どの文化も正統性は主張できない。

世界に誇るスペインの文学は「ドン・キホーテ」で、最初の近代文学と言われている。
17世紀初頭に生まれた「ドン・キホーテ」の先駆性とは、
主人公の自意識が描かれたことと、
登場人物によって異なる「事実に対する認識の相対性」という視点が入っているところである。
異なった文化が居合わせた土地だからこそ、この認識の相対性を表現できたのだろう。
価値観とは絶対ではなく、相対的なものでしかないと。
「ドン・キホーテ」は確かにスペインを象徴する。


先述の作家カネッティはスペイン人画家のゴヤを評して、


「彼(ゴヤ)は目を逸らさなかった。(...)しかし、彼は起こりつつあったことを、
さながら自分が両陣営に属しているかのように見た。
彼の知識は人間にかかわる知識だったからである。
彼は彼以前の、というか、あまつさえ今日の何ぴとにも増して激しく戦争を嫌悪した。
(...)ゴヤの証人としての価値は、パルチザンシップを超えていた。」

と語ったそうだ。

私はこの「両陣営に属している」と「彼の知識は人間にかかわる知識だった」
という表現がかなり気に入ってしまった。
これは統合力である。
統一力ではなく、統合力だ。

例のBさんは「核を<非人間的なもの>と解釈してはならない」というようなことを言った。
非人間的と遠ざけることで、問題は棚上げされてしまう、と。
核とは、人間だけが生んだきわめて人間的なヒューマンな産物である。
そのことから目を逸らせてはならない、と。

これは先だって読書感想を書いた「ツナミの小形而上学」という本に書いてあった、
“悪の為し手を非人間的だと批判することが、かえって批判力を弱めている”という
指摘にも通じている気がする。

ある立場に立ってものを言うことは、誰にでもできる。
しかし常に問題は、1つの立場内のみで起きているのではない。
人間の問題は常に人間全体の問題であり、もっと言えば宇宙全体の問題だからだ。
現時点で相違している、互いが主張する<正しさ>も、
さかのぼれば同じ起源から発していることがほとんどだ。
起源はかならず共有している。
言い換えれば、起源ならば必ず人は共有できる。
問題の起源を語ること、これが現在の異なる立場の統合力になるはずだ。
両陣営に属している意識にしか、解決の糸口はないのではないだろうか。

対話とは、起源を語ることなのかもしれない。


「ドン・キホーテ」はカーニバル文学の元祖である。
カーニバルとは、身分の違いが払拭された価値倒錯の世界だ。
そこでは人々は対等であり、
モノローグではなくポリフォニー的だ。


私がスペインを語るときの単位は、結局「国家」にはなり得ない。
スペインという「統一国家」など、分かりやすいくらいに「幻想」だからだ。
様々な異なる集団が、その土地に居合わせている稀有さ。
そして、結局は個人だけがそれらを統合できる、という事実。
それが私にとっての「スペインなるもの」なのかもしれない。


唯一の被爆国?

「日本は唯一の被爆国」だという。
私もそういう言葉を使ってきた。
けれど、本当なのだろうか。
いや、大嘘だ。

「日本は唯一の被爆国だから核兵器の廃絶を訴える任務がある」とか、
そういう形で使われてきただろう。
私もそういう用法でこの言葉を認識してきたし、
私たち日本人が「当事者や現場の人間である」ということの「優勢」を、
この場合駆使してしかるべきだ、と思っていた。

最近、直也君から
「日本の自衛隊員で戦争したくてたまらない人は
国費で留学して米軍の前線で戦争しているらしい」と聞いてから、
憲法9条のことを考えていた。

私は、太田光氏と中沢新一氏の「憲法9条を世界遺産に」という考えが気に入っていたし、
その通りだと思っていたけれど、
日本国憲法は「日本国は戦争を永遠に放棄する」と言ってはいるが、
「日本人は戦争を永遠に放棄する」と言っていないんじゃないか、と思い直した。
そして「人類が戦争を永遠に放棄するために努力する」とも、
当然だが言っていない。

憲法は国家の維持のためにまずあるのであって、
それは、様々な場面で、
法律が弱者に対して現実問題の「あしかせ」になっていることからも、
わかることだ。

結局、国家のことしか考えていない憲法第9条なんて、
どうでもよくなった。
「日本人が戦争をすること」には全く干渉できないのだから。
そんな憲法を後生大事に思う必要なんてない。
私や私の家族や友人が戦争すること自体を止めることはできないのだから。

そしていつの間にか、
この「国民という単位ではなく国家という単位で語る」言語は、
「日本を唯一の被爆国」に仕立て上げたのだ。

今までだって、
核実験の場所や、ウラン採掘現場などでも被爆は起きている。
日本だけが被爆国だなんて全くの事実ではない。

私は広島・長崎の被爆者が、戦後、
核兵器の廃絶を訴えながらも、核の平和利用を認めてしまったことの恐ろしさを
最近よく考える。
核兵器と核の平和利用を分けずに、
その両者をはっきりと否定・公言してきた団体はおそらく、
原水禁と熊取6人衆とその周辺くらいしかいないんじゃないだろうか。
共産党も核の平和利用を認めていたらしい。

「当事者は真実により近い」という発想は幻想でしかなかった。
つまり犠牲者である当事者だからこそ、真実から遠のきもするのだ。
広島・長崎の被爆者とともに私たちは、
「日本は唯一の被爆国だ」と合唱してきた。
けれど、本当に私は被爆国の一員だと思ってきただろうか?
そんな感覚はなかったはずだ。それは大嘘だった。
本当に日本国民が被爆国の一員だと思っていれば、
日本国内に原発なんて作ろうという発想は生まれるはずはない。
しかも、広島と目と鼻の先に「上関原発」を作ろうなんて思うわけがない。

所詮、広島と長崎は被爆「地」でしかない。
もっと言えば、県全体ではない。
広島「市」と長崎「市」が被爆地なだけだ。
戦後日本人の本当の認識はその程度だったのだ。
結局、その程度の認識でありながら、
「唯一の被爆国だ」と大風呂敷を広げて二枚舌を使ってきたのだ。

「ヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマ、
日本という国はなにか特殊な国に違いない」
という感傷がはびこっているが、
それも現実から目をそらすシャーマンの歌声なのではないだろうか。
2度起こることは3度起こる、そしてもっと起きる。
なぜなら、問題をすり替える力を温存する精神性が
ずっとそこにあるからだ。
それをまず把握しなければならない。

日本は唯一の被爆国というスローガンは、
戦後ナショナリズムを支えてきた、という指摘に
心から納得する。
http://members.jcom.home.ne.jp/katote/Occuatom.html

ベネスエラのチャベス大統領は、対米・対資本主義の立場から、
キューバに見習って有機農法を推進しようとしているし、
遺伝子組み換え作物に反対している。
このように本当の対抗とは、
相手の価値観とは別の価値を見出すことのはずだった。
しかし、こと「核」に関しては、
資本主義も共産主義も、西側諸国も反西側諸国も
みんな一斉に、“相手に対抗して”「核」を持ち出した。
右も左も核を持ち出したのだ。
つまり、世界に別々の価値感なんて存在しなくなったということだ。
「核」は万能だった。
「核」しか人類の異なる価値観を超えられたものはなかったのだ。


加藤哲郎氏のネチズンカレッジに大変勉強させてもらった。
http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml

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