ノ ー ト

好 き な 読 書 を 中 心 に 考 え 中 を 記 録 す る ノ ー ト

2012年03月

敗北の方法

とうとう吉本(隆明)さんが亡くなった。


このわたしに影響を与え、わたしを構成してきた沢山の人たちが
近年、続けて亡くなる。
それでもわたしが平気で生きていられるのは、
失ってもまた違う誰かに出会っているからなのだろう。
このいわば「エネルギー保存の法則」のようなものが崩れた時、
多分ひとは正気でいられないのだろうな、と思う。


今の私は、吉本さんの考え方を「これだ」と一口には言えない。
言えないほど、最近の著書を目にしても来なかった。
けれど、読まなくても欠乏を感じないくらいに、
吉本さんの考え方は私の中に常にあるような気がしていた。

私の父は全共闘運動をかなり中心でやってきた人間だったので、
吉本さんの著書は家に沢山あって、そのうち知らず知らず読むようになった。

15歳の時、スペインへ行くことになって本をあまり持参できなかったけど、
吉本さんの『悲劇の解読』の文庫本をバッグに入れて、飛行機に乗った。
そして父に、文庫内で扱われる横光利一や小林秀雄、芥川龍之介等々の作品を
スペインからリクエストし、送ってもらっては、むさぼり読んだ。
不思議なことに、スペインに行ってからが1番、日本語の文学を読んだ。

こんなだから、私が日本語で考えるということは、
少なからず常に吉本さんをベースにしているとも言えるかもしれない。

学生のころ「吉本主義者」とさかんに呼ばれていた父も近年は
「吉本は終わった」とよく言っていた。
その気持ちもわかる気がした。
しかし“吉本さん自身が終わった”のではなく、
むしろ、父の中での“吉本さんが終わった”と言った方が正しいのだろう。
父はもう、吉本さんに期待しなくてもよくなったのだ。
それは純粋に良いことだと思った。
なぜなら、
<何者かになるのではなく、自分の立場から世界を見ることの重要さ>
これこそが、吉本さんから学んだ主たることだったのだから。


こうした、ある時期に強い影響を受けた側の者と、
与えた側の者の両者の関係を肌身に感じて、
私は吉本さんが、かつての自分のカリスマ像を破壊してまわってるんじゃないか、と想像した。
そしてそれは大成功している、と。
吉本さんが晩年、良寛や賢治、ヴェイユなどを中心に語ったことを考えれば、
カリスマでいると“ほんとうの”ことがわからなくなると考えていたに違いないと思う。
カリスマ像を脱ぎ去った吉本さんは、
ほんとうの読者をやっと見つけることができるだろう。


私にとって吉本さんは“体制から逃走する人”だった。
反体制も時を経れば、必ず体制になってしまうヒトの歴史の中で、
絶対に体制側にはならないその嗅覚は鋭かった。
世間が黒といえば白といい、白といえば黒という。
天の邪鬼なまでに、逆の可能性を探った人だったと思う。
例えば、専門家をほめたたえる昨今の風潮の中で、
専門家がかならず職業病で身体の一部分を悪くしてしまうことを引き合いに出して、
だから「専門家なんて偏っている」と言ってのける、そういう人だった。
正しさを主張しても、その正しさへの盲信を批判されるというような、
吉本さんのまえでは、誰も安穏と胡坐をかくことができなかっただろう。

かつて吉本さんを、
「無神論者のくせに、神学者の中に入ってきて議論するタイプ」と批判した人がいたけど、
あながち間違っていない気がする。
同じ知識量、同じ教養をもってして語ることが当たり前のような業界の語らいの中で、
吉本さんがつっこむのは全く違う角度だった。
「そんなこと言いながらあんた服の趣味は悪いよ」とか、
そんなことをむちゃぶりして、相手を黙らせるようなことだった気がする。

そういう吉本さんを卑怯だと思う人もいただろうし、
服なんてそんなこと関係ないじゃないか、今問題にしてるのはこの事でしょ、
話しを逸らすな、とかいって憤慨するような人も沢山いただろう。
けれど、
“ある問題だけを切り取ってそれを学問することが可能だなんて、
馬鹿言うんじゃねえよ、そんなのただのアカデミズム的嗜好じゃねえか、
日常と関係ねえ問題なんかこの世のどこにあるんだよ、そんなのアンタが決めることじゃねえだろ、
そんな自己満足的ガクモンじゃ、この現実を何にもとらえることができねぇよ”
というようなことを、吉本さんだったら言うだろう(あくまで想像)。

以下、吉本さんの文章を転載。


市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。市井の片隅に生き死にした人物のほうが、判断の蓄積や、生涯にであったことの累積について、けっして単純でもなければ劣っているわけでもない。これは、じつはわたしたちがかんがえているよりもずっと怖ろしいことである。

 知識について関与せず生き死にした市井の無数の人物よりも、知識に関与し、記述の歴史に登場したものは価値があり、またなみはずれて関与したものは、なみはずれて価値あるものであると幻想することも、人間にとって必然であるといえる。しかし、この種の認識はあくまでも幻想の領域に属している。幻想の領域から、現実の領域へとはせくだるとき、じつはこういった判断がなりたたないことがすぐにわかる。


自分の考えの中に、いかに嘘や幻想が含まれているかを気付かせる人、
それが吉本さんだったと思う。

父が吉本さんを「終わった」と言ったように、
上野千鶴子氏も「吉本さんは結局何もしてくれなかった」と言った。
けれどその上野氏の言葉を制して、
女性活動家としては上野氏も到底頭の上がらないほどの存在である、
森崎和江氏は「吉本さんは生き様が哲学なのよ」と優しく語ったことがある。
なんの対談かは忘れたが、非常に忘れがたい言葉だった。
多分、森崎和江氏のように、最後まで虐げられる側の現場に立ち、
援助活動を不断なく続けてきたような人にしか、
近年の吉本さんを理解できる人はいなかったんじゃないかと思う。


「本当の師は、弟子に乗り越えられるのを望んでいる」
これは臨済哲学を学んでいる父から教わった考えだけれど、
その意味でも、吉本さんはかつての信者から失望されるのも意に介さなかったと思う。
多くの人が吉本さんに心酔し、吉本さんを通過し、去って行った。
けれどこんなにも多くの人が通れる通過点になれた人は、そういないだろう。
そういう点でも、吉本さんはとてつもなく大きな『場』であったことに間違いはない。


吉本さんの『初期ノート』の中に
“今戦えば敗北しかない。しかし戦わなければ、敗北することさえ許されない”
というような言葉がある。
この言葉はずっと吉本さんに表れていた気がする。
けれど今は、
勝ち方を知らないで戦う奴隷と、
勝つことが分かっているから戦う卑怯者の、
2通りしかいない。

3月16日、
敗北することが分かっていても戦う人が、1人いなくなった。


覚書 ~自己を忘れること~

大好きなスペイン人の作家の言葉(概要)
「英雄とは自分が何であるかを知っている者ではなく、
自分が何になりたいかを知っている者である。
彼にとって存在することとは存在することを望むことだからである。」


あるローマ人の言葉
「人間各々の価値は、その人が熱心に追い求める対象の価値に等しいということ。」
「名誉を愛する者は自分の幸福は他人の中にあると思い、
享楽を愛する者は自分の感情の中にあると思うが、
もののわかった人間は自分の行動の中にあると思うのである」


先のスペイン人の作家によると、
実存するとは狂気につながるということらしい。
真に生きる、実存する(existir、英語ではexist)とは、自己の外(ex)に在ること(sistere)であり、
自分を忘れることなのだ、と。


鎌倉時代の仏僧曰く
「仏道をならうということは、自己をならうことである。
自己をならうということは、自己を忘れることである。
自己を忘れることは、真実を明らかにするということである。
真実を明らかにするということは、自己の身心も、自分以外のすべてのものにも、
いっさい捉われないことである。
そうすると、ついに悟り得ることができるが、
そのことにも捉われなくなったとき悟りが身についてくる。」


「自分がどうであるか、なんであるか」を問題にしている時間はないのかもしれない。
それはつねに過去の自分であるからだ。
本当は常態として名指せる自分なんて存在しない。

「自分」を忘れている間も、自分ではあり続けるが、
前者の自分は過去の自分であり、
後者の自分は現在進行形の“まだ分類されていない”自分である。
前者の自分は自分に対して開かれた自分であり、
後者の自分は他に対して開かれた自分のような。


自分が誰かを大事に思うことが
前者の自分によってではなく、
後者の自分によってならば、
それが愛に近いのだろうか。


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