ノ ー ト

好 き な 読 書 を 中 心 に 考 え 中 を 記 録 す る ノ ー ト

2012年05月

仕事

28日からお蕎麦屋さんで働いています。

7月までは、スーパーとの掛け持ち。
なかなか濃い日々。
たぶんずっとこの感じ、忘れないだろう気がする。

スーパーを辞めるのはずいぶん残念がられたが、
さすが無遅刻無欠勤、頼まれたことは一切断らずにやってきただけあって、
同僚からの協力ムード満載で辞められるのが嬉しい。
まじめに勤めてきて良かった。



メモ 太陽

金環日食の朝、生理が始まる。
といっても最近ずっと大潮に生理が来るので、
当たり前といえば当たり前か。

あまり日食を見るのはいけないと思いつつも、
職場の人と金環日食を見に思わず駐車場に出てみた。
しかも裸眼で。
太陽は1秒も直視していられなかった。
偶像崇拝って太陽崇拝から最初に生まれたんじゃないだろうか
ととっさに思う。
月は直視できるけど、太陽は直視できないし。
太陽を崇めるにも、太陽の似姿・媒体物が必要な気がする。

古代エジプトの神様にケプリっていう神様がいて、
頭がフンコロガシ。
フンコロガシの糞を転がしているさまが
天体を転がしているみたいだから、
「太陽の運行を司る」天の神様なんだって。

堀金物産センターで買った太陽柄のふきん↓
てーぶるピカ子ちゃん 「堀金かえでの家」
P5240575

ピカ子はいい仕事をしそうだ。

アセロラジュースで

昨日飲んだアセロラ・ジュースで喉が撃沈した。
アセロラのど飴とか「アセロラは喉によい」なんて言うのに。
ジュースに含まれる添加物などが原因かもしれないけれど、
多分私は「口腔アレルギー症候群」であることが分かった。
(あくまで自己診断だけど)

昔から生のメロン・キウイ・ブドウ・パイナップル・すいかなどの
果物や野菜を食べると喉がイガイガしてたまらなかったのだけど、
なので最近敬遠してたのだけど、
つい飲んでしまった。「墓穴」とはこのこと。

メロンやパイナップルに含まれるプロテアーゼというたんぱく質分解酵素は、
たんぱく質でできている舌や口の中の細胞を溶かしたりするそうだ。
でも、これが原因かはわからない。
南方系のフルーツにはラテックスが含まれている場合があるので、
ゴムアレルギーかもしれないし、
芯に含まれているというプロフィリンってやつかもしれないし、
残留農薬かもしれない。
どっちにしても「生」の果菜。

このフルーツアレルギーは、花粉症を発症したのちになったり、
合併して起きたりするようだ。
もちろん子供の時に多食するとなったりする場合もあるらしい。
「健康のために」って言って
親が熱心にバナナを食べさせている家の子供の大半が
症状は出なくともアレルギーになっているんだそうだ。

この口腔アレルギー症候群は合併症としても厄介で、
花粉症よりもずっと症状が重くなるらしい。
確かに、風邪をひいて喉が痛いときよりも喉が痛い。

スギ花粉がダメな人はトマトもダメなケースが多いし、
気を付けないとトマトアレルギーになるんだって。
私がダメな果菜は、ブタクサがダメな人が気を付けなければいけない系。
確かに花粉症であれば、果菜のアレルギーを起こしても不思議はなかった。

最近、不織布のマスクしていても、
鼻部分に入っているワイヤー?でしっかりかぶれてしまうし、
ブラジャーのワイヤーなんてもっての外で、
すぐに強烈な肩こりになることもあって、
ブラジャーはもうとっくの昔に止めてしまった。
年中ノーサンキュー。

NGなものが年々増える。

錯視 「蛇の回転」

これはすごい! 立命館大学の北岡明佳教授の作。rotsnake

一点を見つめると止まって見えるのに。

なお、年齢が60歳以上になると、この錯視が見えない人が多くなるらしい。
それはなんでかまだわかってないみたい。

絵ってこういった錯視の技術ありきで成立してるのだろうか。
もしそうなら、画家も年齢によって描けることと描けないことが出てくるのだろうか。
それともやっぱり画家になる人って特殊な視覚が養われるのかな。
私はベートーベンが好きだけど、
ベートーベンが聴覚障碍を持つようになってから作った曲の方が好き。
なんでだろう。でも、
それを考えるとやっぱり世阿弥の「時々の花」は、核心をついてるなー。

一般的には味覚も年齢によって衰えるらしい。
苦味に対する味覚は大人になるとずいぶん衰えるらしく、
それで子供のころ嫌いだったピーマンが好きになる、とかがおこるらしい。
酸いも甘いもかみ分けて、なんて言って成熟した風に大人のことを言うけど、
本当は鈍くなってるだけなんじゃないだろうか。

苦味に対して鈍くて耐性のついた大人が、
「なんでも食べられないと!」と言って
ピーマン食べろと子供に強制するとか、
(何でもって、それじゃ、あなたはイナゴの甘露煮強要するかね?)
テレビ番組の“ピーマン克服する感動物語”とか、
結局、大人が採用している社会通念を
無理してでも受け入れる子供を作りたいだけ、でしかないよ。
子供にピーマンとか人参食べさせようっていうのは、
結局、食の問題じゃ全然ないんだけど。
食育でもなんでもないんだけど。

聴覚も、高い音の音感?だけは高齢になっても残るって言うらしいけど、
お年寄りが中年世代の言葉には「何?なんだって?」って聞き返すのに、
小さいこどもの話す高い声はよくわかるっていうのが納得できる。
「老いては子に従え」っていうのは社会的・文化的な格言とかじゃなくて
実は生物的な仕組みを言っているのかも?

最近、特に葉物の苦いものが美味しくてならない私。
ずいぶんとぶっこわれている。

忘れられないほどの辛くて苦い経験って、忘れられないんだって。
この耐性はなかなかつかない。
確かに忘れようとすると無理なストレスになるから、
しっかり覚えておいて何度でも思い出すことにしてみようと、
最近思いつく。
そうすると、思い出すたび、その都度の新たな情報が加わって、
なんか別物に変わっていきそうなんですけど。

ま、それはイタシカタナイ、ということにする。

自作ミニチュアハウス 郵便局

最近作った娘用のミニチュアハウスの郵便局。
郵便屋さんの熊のぬいぐるみを買ったものの、
郵便局がない、ということで急きょ、作成。
9割以上自作。思ったよりはうまくできた。
時計は娘作。

最初はテキトーでいいやと思っていたら、
なんだか夢中になってしまった。
よって最初に作った屋根と室内の温度差たるや。

わりと好評を得たので、公開してみます。

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P5120560

美の壺より

先日、NHKの「美の壺」のアンコール放送を見た。
「昭和レトロの家」という回。
詳しくはこちらのページ参照のこと。

←大正以降の家の間取り

興味を持った部分を書きだすと、

・要は大正以降の家はそれ以前の家とは、間取りに大きな違いがある、と。
 従来の家では部屋同士が田の字型で接していて、自分の部屋に行くにも、
 他の部屋を通らざるを得なかったけど、
 大正時代になってからは、プライバシーが問題になって、
 全ての部屋に通づる緩衝通路?である「中廊下」が誕生した、と。
  

それから、
・今までは接客用の座敷が広かったり、日当たりが良かったりして、
 家族のための空間は日当たりの悪い奥座敷へ追いやられていた、と。
 けれど大正以降、むしろ家族自身が居心地良く、休息がちゃんとできる空間にしよう、
 ってことになった、と。

その結果、昭和の時代になって
・近代的な暮らしに合った理想の家はどんなものかっていう今までの研究を経て、
 大都市の近郊に開発された住宅地に「昭和の家」が建てられていった、と。

そして昭和の家で間取りに加えられたもう1つのものが、
ガラス越しに光が降り注ぐ広縁だ、と。

この「昭和レトロの家」の回を見ていて、思ったのは、
サラリーマンがたくさん出現したのは大正以降で、
つまりサラリーマンに都合のいい間取りが「昭和の家」なんだろうなってこと。
自営で仕事をする人じゃなくて、雇われる人の家だな、と。

昔はほとんどの人が第一次産業従事者だったから、
日中さんざんお日様にあたってただろうし、
家に帰ってまで、「光が注ぐ広縁」をそんなに必要としなかったんだろうし。

家で仕事をしていたら、しんどくなったら休むってことはできるけど、
(昔の封建的な時代の農家なんかでは、
多分そんな軽はずみには1人休むなんてことはできなかったろうけど)
務めで8時間労働とかって契約しちゃったら、
「疲れたから家に帰ります」なんてことは、そう通らない。
だから出勤のタイムカードをついて、退勤のタイムカードをつくまでは、
契約上の1時間の昼休息以外はとれない。
会社からも「健康管理は社会人の務めだ」なんてこと言われる。
つまり、「翌日の出勤前までに体調を万全にしとけよ」ってこと。
だから大正以降は、多くの日本人にとって、
家は「仕事をする場所」から
主に「休息を取る場所」になったんだろうな、と。

本当にリフレッシュできるのは、各人が部屋で個別に休息するより、
家族団らん和気あいあい、が理想だろうけど、
家族みんなが「家には寝に帰る」ような勤務をしてたら、
家族同士の距離は広がって行く一方で、
和気あいあいとは易々いかなくなるんだろう、と。

息子が女性を軟禁してたのに気づかなかった、とか
娘の妊娠にも気付かなくて、娘が自宅のトイレで死産した、
とかのニュースを最近よく聞くけど、
これって昭和の家以降の間取りだから可能なことなんじゃないかな。

封建的な昔の家も、息苦しかったり自由がなかったりしたろうけど、
でも勘当されるっていうシステムはいいな、と思う。
今はうまくプライバシーがとれる間取りだから、
日頃からぶつかり合うってことが回避されてるのかもしれない。
そういう意味でも、本当に今の家族は脆いと思う。
うちも例外じゃない。

間取りの狭い団地の未成年の犯罪率は、
戸建てに住む未成年のそれと比べるとかなり高いらしい。
でも未成年の犯罪は社会を写す鏡だから、
社会にとって必要なガス抜きであり、
軌道修正のための良いサインのような気もする。
悪い友より、良き敵の方が色々気づかせてくれるのと似て。
もちろん犯罪を犯す方も、被害者も気の毒なのは当然のこと。

私の勤め先のスーパーの方針は
「人に仕事を充てるのではなく、仕事に人を充てる」で、
思わず耳を疑いそうになるけど、
人件費は必要経費じゃなくて、削減対象のコストでしかないんだな。
それと似ていて、
昭和の家は、家族に合わせた家っていうより、
経済の仕組みに合わせた家だったんじゃないかな。
いい面も悪い面も、両方ある。

過換気症候群一歩手前

最近、呼吸が浅い気がする。
動悸も早い。
パートの作業中、時間までにこれとあれをやって、と
急いで作業していると、吸っても吸っても息が吸えてない感覚に陥る。
だから余計に息を吸おうとして
それで逆に過呼吸になっている感じ。

息を吸っているときは脈が早くて交感神経を使い、
息を吐いているときは脈が遅くなって副交感神経を使うわけだから、
息が浅いと寿命が短くなると思う。
昼ばかり長くなって夜がない感じ。

息が浅いと精神状態にもよくないらしい。
統合失調症もまず、不眠から始まる。
つまり昼の拡大ってことかな。
もちろん夜の拡大もまずい。
引きこもりは夜の拡大かな?

憶測

自分だけで考えていても「わかる」ってことはありえないのかな
対話の中でしか「わかる」は起きないものなのかも
憶測はまるで無精卵みたいなもの?

って考えてたら、友人の相澤和典さんが
「わたしとは、わたすこと」
だって。
なんだかシビレタな、この言葉。

WORLD ORDER 「MACHINE CIVILIZATION」


ここ何日か、world orderの動画ばかり見てしまう。
格闘家でありながら、同時にこんなに脆さと繊細さを表現できるなんて、
どうなってるんだろう。
それが不思議で、思わず見入ってしまう。

須藤元気さんにとっては「格闘技も非日常の世界だから」、
ダンスで非日常性を表現して提供するのは難しくないらしい。

日常的な人の歩く速さから遅れて見せるだけで、
こんなにも非日常が表せるなんて。

人間の「歩き方」などの日常動作は、
長い歴史と生活史を経て選択・適応して残ってきた「1つの文化」なんだとか。
正解というよりも、1つの人間の地点。
文化だから、それから外れている人は自然と監視されてしまう。
だからこそ、動作を通じて、遠目にも他人から病的なものを感じたり、
非日常=異常なものを感じとったりするんだろう。

ちなみに、歩行動作照合による本人確認は、
指紋照合による本人確認よりもさらに精度が高いらしい。
自分と同じ歩き方をする他人は、ほぼ「いない」らしい。

実際1人1人違う歩き方をしているというのに、
どこからどこまでが正常で、
どこからが異常だとかって感じてしまうんだろう。

むしろ、個別性を感じない歩き方をしている人を見ると不安になる、
っていうことなのかもしれないな。
個別性がないってことは「分身」を感じさせるから。
分身に自分が奪われてしまうような危機感なのだろうか。

うちのお兄ちゃんは2人とも、
統合失調症を発症後に歩き方が変わったと思う。
うまく言えないけど、「統合失調症の人だな」って歩き方をする。
その人の「まなざし」と「向かっている方向」と「足運びの速度」、
そういうもののバランスがとれてない感じ。
少し「この世のものではない雰囲気」を漂わせながら、歩く。
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