ノ ー ト

好 き な 読 書 を 中 心 に 考 え 中 を 記 録 す る ノ ー ト

2013年02月

税と選挙

先日青色申告ソフトを購入し、
確定申告に向けて中嶋農産の決算書を作成中。
一応、青色申告の複式簿記。
1日でも遅れると控除額が減るのでなんだか毎日そわそわ落ち着かない。

先の選挙で自民党が大勝して意気消沈したけれど、
今はいかに所得税を払わないかに努力したい。
ぜったいに払いたくない。

選挙は、ぼろいメディアのキャンペーンで、
簡単に世論とやらは操作されて、その通りの勝敗が出る。
例えば、投票に行かなくても白紙で投票しても、
それは何の抵抗を示すことにもならない。
投票率が60%以下なら選挙は永遠に無効です、とか
白紙票が全体の○%を占めれば無効です、とか
法律で決まっているならいざ知らず、
現状はどんなに低い投票率でも、
世論操作の効果があった党が勝つだけの仕組みになっている。
この現状でできることは、
私は選挙に行って反対票を投じるしかないと思っている。

でも議会制民主主義なんて民主主義じゃない。
「みなさんは働いて税金おさめてくださーい、政治は勝手にこっちでやっときますから」
ってことに過ぎないから。

だったら税金をなるたけ払わない生き方をしたい。
防衛費だのなんだの予算を上げるために払いたくないし、
税金を納めることで共犯に仕立てられていくのは嫌だ。

みんなバイトしながら個人事業主にでもなって、
赤字を出し続けて税金おさめないような生き方をしたらどうだろうか。
年金も払わないか全額免除にしてもらう。

それで日本が破綻して、亡命先を自分で決められればいいのに。
多分日本が中国になっても、合衆国になっても
庶民の暮らしは意外と変わらなっかたりして。
でもその前にIMFと世界銀行に巣食われるんだろうな。

とにかく今は確定申告をやろう。

哲学

1人1人に考えや思いはある。
けれどもそれは哲学かって言うとそうじゃない。
思考とか見解は、それ自体が哲学的なわけではない。
哲学とは科学であり、当人の専門分野・職業など、
いかなる前提も抜きにして普遍的に論じられるものを語ることだ。
(実際問題、個人が徹頭徹尾“普遍的”に論ずることができるかどうか、
ということは別の命題として哲学的に論じられればいい。
でも1人で完全に語れなくてもいい。哲学はリレーだから。)

思考や見解が殆ど、蓄積され幾重にも足し算していくものなのだとしたら、
哲学は言葉を重ねながら引き算していく=剥いでいくことだと思う。

哲学は神話を必要としない。
囚われるべき根拠など無いことを、
私たちには制約など本来ないということを、明らかにするものだから。

工芸が、仕事が、つまりおよそ訓練的なものの全てが、
道徳的な表現をとる限り、
それがすたれようとどうなろうと構わない。
道徳とは1つのファッションに過ぎないから。
しかし、工芸や仕事を通じて考え抜いたことが哲学に至るならば、
すたれることはない。
哲学は時代という制約によってすたれるものではないから。

仕事によって得た理念も、往々にして時代や立場が変わると説教でしかない。
つまり説教とは、
ある特定の立場から放たれる「ものいい」=言質のこと。
「同じ言葉でもあの人が言うと違うよねー」を哲学は拒絶する。
哲学は誰にも属さない。

2月6日の記事に「物より心の方が本当は残るんじゃないか」って書いたけど、
厳密には、物を作ることによって生まれた考えが哲学に達した時にのみ、
残るんじゃないかと思う。
語れる仕事は往々にして魅力的に目に映り、尊敬と羨望の的となるけれど、
三浦マイルド氏がしてみせるように、
語り方を手にすれば、誰でも(どんな職業をしていても)語り部になれる。

「太った豚になるよりも、痩せたソクラテスになれ」とは
某国策大学の学長の言葉だったので何とも言えないけど、
普通、人は肥満型の経験や知識を手にするが、
逆にそれによってどんどん痩せていくような
そんな経験や知識を手にしていきたいもんだと思う。
それを可能とする技術が哲学かな、と思う。

流行り

6歳の娘はもう勧善懲悪モノのアニメはとっくに卒業し、
最近はもっぱら、大人向けのナンセンスアニメがお好みである。
「日常」のミヨちゃんの声の完コピをし、
「ヤンヤンマチコ」のアグーの声を完コピし、
またそれらの絵をマスターした。

↓「なめこ栽培」の絵もマスター。う、うますぎる!!
P1010288


↓私もストロー人形を作った。
朝5時からせっせと作っていると内職気分。
私が、まんがなど絵を描いてきたのはこのためだったか、と思う。
娘曰く、私は娘の母親になるために生まれてきたそーだ。
P1010289

↓娘と一緒にはまっている曲。
「アナコンダ・ラブ♥」from 天才テレビくん。
ROLLYかっこええやん。ファッショニスタやん。
やっぱりワタクシ、イカ天世代です。
(埋め込み無効になっていたらyou tubeで見るを押してください)

貨幣って

誰だって、
誰かが自殺したとかいうイワクつきの部屋なんか借りたくないし、
他人から奪ったものをプレゼントされたとしても嬉しくない。

貨幣はこうした由来やいわれを断ち切るためにある。
貨幣はみんな同じ顔をしている。
これでみんな、血塗られたお金だって気にせず受け取れる。
その自覚はなくとも、自分自身を騙すことに平気になる。

人生の妥協と詐欺性を貨幣は与える。

子どもの飲み物 放射線測定

アクセス解析によりますと当ブログには、
「くらこん」や「三育フーズ」の放射線について検索された結果
いらっしゃっている方が一番多いようです。

遅ればせながらではありますが
子どもに飲み物を買おうとするときは
当面「サンガリア」がお勧めです。

放射線測定と原材料も公表していますし、
工場も岐阜県よりも以西です。
このくらい全ての企業がしてくれることを望みます。

国破れてサンガリア。
サンガリア製品情報のページ

やっぱり

武士って結局、ただの役人だってことじゃないだろうか。
最近、「まるで武士みたいだ」とか言って
人をホメたりするけど非常に違和感を感じる。
武士なんて、
主君の死の際、側近が「一緒に心中するっ」ていう、
衆道(同性愛)がプラスされただけの役人に過ぎないんじゃ。
江戸時代は武士=官僚大国。
3千万人の農民が150万の武士と50万の公家を支えてたんだから、すごい負担。
いいかげんにしろ。
武士なんてろくなもんじゃない。
          ★

先日、NHKの「プロフェッショナル」で
当代樂吉左衛門さんのことをやってた。
楽さんの焼き物はテレビで見る限り、
あんまり好きな感じじゃない。
でも、楽さんが言ってることはすごく良かった。
最近思うのは、「物はどうでもいいんじゃないか」ってこと。

「物」って資源だし、自然を加工するわけだし、残るものだから、
作家や職人の人間性よりも、まず「作られた物」がどうかで判断すべき。
って考えが普通だけど、
なんか最近はやっぱり表現された物質的な形よりも、
その人の物を作るときの考えや心の動きの方が大事じゃないか
って思うようになった。
別にそれを、その人は誰にも伝えなくて胸にしまっててもいいわけで。
でも思うのは、物より心の方が本当は残るんじゃないかって。

結局、「形」や「色」に対する許容範囲のレンジって意外と狭い。
育ちや慣習なんかでそういう感覚ってついてしまうから、
ある意味生理現象に近いものがある。
だから受け入れる「幅」がない。
そのくせに、物を見てこれはいいとか悪いとか言うのも正直イヤナ感じ。
物だけの評価では所詮、相手を打ち消しあってしまう。
そんな、場所の占拠を競うようなことが、いいわけない。

楽さんはずっと葛藤している。それが大事。
葛藤し続けてきた人は変わり続けられる。
変わり続けてきた人じゃないと、年を取ってからは変われない。
それこそが1番、物を作る仕事の醍醐味ではないか、と。
物は結局なんでもいい。
器だろうが家具だろうが織物だろうが農作物だろうが。

ガンジーが言った
「全ての人が目標とするのは健康です」っていうのは
こういう事じゃないだろうか。
いい物を作るのが目的ではなく、
物を作るときに養われる心が目的になるべきかな、と。
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