ノ ー ト

好 き な 読 書 を 中 心 に 考 え 中 を 記 録 す る ノ ー ト

2013年10月

娘のスカート

娘のスカートを2枚とベスト?を1枚作りました。
娘の小学校の音楽会にちょうどいいと思ったけど、
クラスTシャツを着るそうなので、当日着られるかはわからない。
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↓ベストとセットアップで。
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意外といいなと思うスカートは売っていない。
トーカイの会員価格で1mの布地2枚とゴムと糸で1900円位でした。

参考にした作り方の本は、
結構昔に出たらしい直線縫いの女の子のスカートの本。
図書館で借りました。
画像のせようかと思ったけど、ネットで検索しても出てこない。
珍しく渋谷系ではない良い本だったのにな。

ヴァイオレンスのためのヴァイオレンス

先日、松本の花月ホテル向かいに新しくできた、
想雲堂という喫茶店に行きました。
コーヒーも美味しかったし、置いてある本が懐かしいものばかり。
どっかの喫茶店みたいに、左翼系とか美学系だけじゃなく、
フィールドワーク系も多いのが良い。
カウンターのご主人の近くに、民俗学系の本を寄せてあるのが
とくに好ましい。

いろいろ懐かしい本を開いてみたけど、
「あー。。。」と絶句したのが詩人の故田村隆一氏の本。
あんなに読んでいたのに。
何故読まなくなったんだろう。
必要だったのはもしかして、実用的なハウツー的な何かとか、
何が正しいか、とかじゃなく、
田村氏のような、絶対的に“方向音痴にならない感覚”だったんじゃないか、と。

田村隆一氏と吉本隆明氏の対談を読んで、
なんだかもやもやしていたものが晴れた気になった。
吉本氏は方向音痴だから迷うんだけど、
田村氏は迷わないんだよね。

なかでも田村氏の話した、
「自分の中にあるヴァイオレンスっていうのは、
ヴァイオレンスに対するヴァイオレンスしかないんだけど、
ヴァイオレンスが絶対嫌だから、それもしない」
というような内容。
結果、自分の行為が誰からも見つけられなくたって、いいじゃん。
フィッシュマンズの佐藤君が言っていたよね。
「誰にも見つからないような詩を書くのが好き」って。
佐藤君は反権力と歌わなくたって、いつだって反権力でいられた稀有なひとだ。

祭りはあってもいいけど、祭りに参加するっていうのは別問題、
っていう田村氏の指摘も素晴らしい。
参加しないっていう工夫は江戸時代までならずっとあった、と。
田村氏は祭りの協賛金も「精神病だから」とかで払わずに済ましていたらしい。

世間にどう思われようと、
やりたくないことはしない。
やらない工夫。
誰のものにもならない人生の工夫って、
強靭な精神でないとできないんだろうな。

近況報告のようなそうでないような 

先日、ハイファッションモデルのTAOさんとジャズミュージシャンの菊池成孔氏の
対談をテレビで観た。かなりおもしろかった。

菊池氏は多方面でマルチに活躍されているらしいのだけど、
「どこにそんな時間があるのか」とTAOさんが尋ねたら、
菊池氏は「ネットを1日30分以内にしたら時間は作れるよ」
と言った。
なんかこの発言は、道理を得ているのだが
かたや、この発言から枝葉を分かつようにして、
いろいろな問題が提起されている気がした。

以前勤めていた蕎麦屋の女将は
インターネットを卑下していた。

なんか古い、頭の固い人なので、
現実の日常とヴァーチャルな世界を積極的に分断して考えたいんだろう。
歴代総理や経済界のおえらさんと接してきた女将のような人にしてみれば、
「なにをネット上で発言したってそんなもの戯言よ」ってなもんだろう。
こういう時代錯誤な誤解というか偏見っていうのはけっこう大多数なんだろな。

ネットはなんでか知らないけど多くの人が匿名でやる。
自ら率先して無名。
だけど有名には、なりたい。
これって気持ちが無整理状態なのかな。
でも私だって無整理状態なまま生きているわけで、
エラソーなことは言えまい。
ネットは、その無整理状態までが露出してしまうのが、
また生々しくて、いいところでもあるんじゃないか、と最近思う。
よっぽどネットの方がヴァーチャルじゃなくて、
リアルっていうかアクチュアルなことなんじゃないか。

匿名でやる人がいる限り、上の女将のような偏見は消えないんだろうけど、
女将の論理でいくと、人前で喧嘩するよりは仮面夫婦でもやって
「理想の夫婦」キャラで儲けた方がいい、てなことになっちゃう。
でもそれってなんかただの嘘っていうか隠蔽。

TAOさんにしても、メディアで露出する仕事なので、
メディア=文字の歴史の世界で名を残す=「露出」できることが
彼女にとっての良いか悪いかの基準なんだろう。
別にTAOさんだけでなく、女将にしたって、大抵みんなそう。

お城や寺社仏閣を見て回るのがブームで、
城マニアさんが築城した人=殿様を熱心に褒めたりするけど、
いやそれ築城した人じゃなくて、築城にお金出しただけの人でしょ
ってことがすんごく多い。
大工の名前や労役に従事した人の名前なんか残んないからね。
無名=文字の歴史に名を残さないでも、
有名なひとよりずっと立派な人、立派な仕事をした人はたくさんいるわけだ。

だからTAOさんは菊池さんの仕事を評価してはいるんだけど、
文字の歴史に名を残している仕事の方がすごいっていうのが基本にあるんじゃないかな。
「時間はある」「ない」って言うけど(私も)、
時間ていうのはみんなにあるわけで。

人から評価されるために費やした時間だけが有意義な時間であるって発想が、
なんか世界の良くないものを生み出している気もする。
ネットっていうのは確かに著作権がかなりアバウトだし、
費やす時間、文字数に対する対価っていうものがあんまり産業化してない。
これがすごく産業化したら、
ネットがヴァーチャルってイメージは消えるんだろう。
でもそれってなんかセコイ。
なんかトリクルダウン神話みたいな?

以前、ジャンリュックナンシーの本の感想でも書いたけど、
対価のない仕事=シャドウワークって鍵だと思う。
政府にとって1番嫌なのは、お金にもならないことに時間を費やせる人、だろうし。

ネットは共有の世界。
手柄は結局、誰か1人だけによるものじゃないってことが明白にされる世界。
ネットの時間を短くすればって言ったって、
ネット以前はそれが普通の世の中だった。
でもだからと言って、今より良い世の中だったとは言えない。

著作権がなかったり、自分の手柄にならないシャドウワーク大いに結構。

私のことですが、夏は野菜が沢山あって、
やってみたら毎日2時間以上は台所に立ってないと
野菜を消費できなかった。
パートから帰ってほどなく台所へ。
朝6時出勤なので夜ご飯食べてお風呂してほどなくして寝る感じ。
よってネットはほとんど見れなかった。
でも冬は見ると思う。
それでいいんじゃないか、と思う。

ネットも放射能も予防接種も、
何事も踏絵のように機能されては嫌です。
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