以前まゆみさんのブログに書いたコメント。メモとして。

以前、まゆみさんも書かれていたような気もしましたが、311以後、定期的に読んでいる栄養士の方のブログには以下のように書いてありました。

「フィチン酸はカルシウム、マグネシウム、鉄、亜鉛などの必須ミネラルと結合することで吸収を阻害するので、フィチン酸が含まれた食材(大豆を含む多くの豆類、穀類)を食べる時には前処理を十分に行うこと」

豆乳もフィチン酸が多いみたいです。
フィチン酸についての先のブログの別の記述はこちら↓。
http://nutmed.exblog.jp/8779106/

大抵の栄養士的な考えって西洋的な栄養学であんまり好きじゃないのですが、この方の文章を読んでると、栄養学って単なる足し算なんかじゃないんだなと改めて思います。もちろん私には、この方の文章の中身を精査するほどの知識はないのですが、その人の体質とか状態、食べ合わせ、摂取期間まで考えると、すんごい複雑な数式よりもっともっと難解なことなんだろうなっていうのだけは確信します。
調べれば調べるほど、これ食べてたら大丈夫!なんていう気持ちにはなれなくなります。

| 森 | 2013/11/07 15:47 | URL | ≫ EDIT


私が書けそうなことってそんなになくて、食餌学的なことでいけば、本当に受け売り状態なので、ちょっと脱線して書いてみます。

モグラではなく、野菜の皮を残したのはネズミです。以前、こちらでまゆみさんが記事を紹介されていた記憶があるのですが、傷ついた茄子は抗酸化作用が倍加するというような内容のもの、ありましたよね。そんな抗酸化作用がたっぷりでポリフェノールたっぷりの皮なのに、ネズミには不要だってことですね。
ちなみにモグラはミミズを食べる時、ミミズをひっくり返しながら食べるそうです。ミミズが食べた土や泥を下へこしながら、まず頭を食べ、ひっくり返して後ろを食べ、土や泥をミミズの真ん中に寄せてそこを残すんですって。野菜に付着した多少の泥や土もミネラルだ、なんて言って良いことしてる気になっている人に教えてあげたい。

直也君の畑のネズミの健康状態や暮らし向きは関知しないので、抗酸化物質なんて必要ない?若いネズミのケースなのかもしれないし、直也君の畑では害獣対策なんて一切してないので、ネズミにとっては食べ放題状態ですっごく飽食状態なのかもしれません。だから一概には言えないんですけど、ただ「一物全体だから食べるべき」だとか、「皮まで食べるのが自然だ」とかっていう理屈は少し強引過ぎる気がしますね。でもマクロビの内部でも、マクロビのあれを食べてもいい・食べちゃいけないっていうマニュアル化の風潮を、まるでミクロビオティックだと言って自己批判する声も出てきているようです。そういうのいいですね。

ポリフェノールは植物の苦味にあたるらしいですけど、緑茶を喜んで飲むのは(確認されている分では)ヒトだけだそうです。あの苦味を飲めるのは中毒性なんだって聞いたことがあります。寿命の長い生物が苦味を好むのかもしれないな、と妄想。寿命の長い生物っていうのはつまり「ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学」によるところの、動きの遅い脈拍の遅い生物ですね。ヒトでも小動物系の人は苦味成分はあんまり要らないのかも。

あと、関係ないのですが、よく「昔の人ってよくこんな食べ物が食べられるって知ってたよね」なんて言いますよね、毒性のあるフグとか。それで「ヒトって何が食べられるか自分で人体実験して学習してきたんだろう」って言いますけど、全然そうじゃなくて、私はずばり、ヒトは犬に毒見役をさせてきたって最近思っています。「犬も食わない」って言いかたしますしね。
犬は人間の相棒で、狩りを共にし、なんて言うけど、同時に「あいつは警察の犬」だとか犬を使った差別用語はたくさんあります。以前、ニュースで、故池田満寿夫氏が「飼い主が与える以外の餌は絶対に食べてはいけない」としつけていた飼い犬2頭を山で逃がしてしまい、数日後犬を見つけた時には、本当に何も食べていなくて餓死していたっていうのがありました。
現代、特に西側の人々もこの犬たちと同じような状態じゃないでしょうか。自分で食べるものを自分で考えられない奴隷のようなものなのかもなって。人類が総毒見をさせられているのかも。そういう意味で、「これは絶対体にいいよ」も「人体に害は認められない」も同じ質のものですね。そういうのは鵜呑みにしない。それが大前提かな、と。同時に、そういう類の事、ひとに言いたくないな。

お粗末な内容で相済みません。また何か思いついたら書きます。

| 森 | 2013/11/07 21:36 | URL | ≫ EDIT

「ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学」っていう本と、その書評を書いた池谷裕二さんの意見が私の中でごっちゃになっているのですが、殆どの哺乳類の寿命は心拍数○回目(忘れました)と相場が決まっているそうで、小動物になるほど心拍速度は速いし、動きも機敏で短命。でも寿命を迎えるまでの心拍数はゾウもネズミも同じなんだそうです。
その心拍数○回目っていうのを人間に置き換えると40歳前後らしいです。だから40歳以降は人間の技術が得た延命の時間なんじゃないか、と。そう考えると、なんとなく40歳以降はあんまり食べなくても生きていけるんじゃないかって気がするし、食べ物以外を糧にして生きていかなくちゃいけないのかなという気がしています。それを見つけるために勉強って必要なのかな、と。

皮を食べるかどうかっていうのも、日本みたいな水資源が豊富なところだと丁寧に洗浄できるけど、野菜を洗う水が制限されているなら、皮をむいた方が早いかもしれない。それをして「作物を無駄にしている」とも言い難いですね。
というか、作物と灌漑技術や水資源の開発っていうのはともに進んできたので、作物を本来どう食べるかっていう問題は、作物単体から紐解こうと思っても不毛なのかもしれない。地球の水資源の6割強は農業用水に使用されていて、地球上の人々の7割くらいの人が水不足に困っている。でも困っている人びとの何割かが、西側の暮らしや衛生概念を押し付けられたためにそう感じているのかもしれない。

多様性が保たれた生態系なら、生物が食べる時間というのは捕食者によって命が1番狙われ易い時間。だから無駄にむさぼり食べたりはしないだろうし、必要なものだけを食べるでしょうね。だからと言って人間みたいに、保身のためにその多様性を破壊しない、それが1つの知性であるのは間違いないかな、と思います。

| 森 | 2013/11/08 08:02 | URL | ≫ EDIT