ノ ー ト

好 き な 読 書 を 中 心 に 考 え 中 を 記 録 す る ノ ー ト

2014年04月

転載

まゆみさんのところに書いたコメントを覚書として転載。

私がスペインに住んでいた時、私が日本人だとわかっているのに、すれ違いざまスペイン人から「中国人!」って呼ばれたことが何度かありました。もちろん彼らは差別的に声をかけたのでしょうが、後で知ったところによると、スペインではアジア人の総称として中国人(chino/china)と呼ぶらしいです。でも私はなんか一歩的に呼びつけられたのが癪だったので、相手のスペイン人を「ポルトガル人!」って呼んでみたんです。そしたらすんごく怒ったから面白かった。隣国同士の対の構造というのは、どこの地域でもあるもんだなーと。
ちなみに「こそこそ逃げる」はスペイン語で、「フランス人のように逃げる」だし、フランス語では「スペイン人のように逃げる」です。イギリスとフランスにもおんなじ構造があるらしい。

まず、隣国同士の者は相手に過剰な意識を持ちすぎる、という傾向自体を忘れてはならないと思います。いつも以上に冷静に考えなくてはいけないかな、と。

わたしが以前から面白い研究されてるなと思っている呉宣児(≒オ・ソンア)さんのレポートはとても面白いです。韓国と日本でおごりについてどう考えるかをインタビューして多声性という問題を考えられています。ネットでは少なくとも2つの論文?が読めます。これが面白い。PDFなんでリンク張れないけど。

抜粋↓
「日常の自然場面ではおごり・割り勘の多様な現象や評価・意味づけが見られるにも関わらず、どうしてインタビュー場面では異口同声に韓国ではおごりが肯定的に語られ、日本では割り勘が肯定的に語られたのだろうか。
呉他(2006)は日本の社会でよく見られることを基準にして行うインタビュー質問項目自体が、時にはすでに良し悪しの評価をつけて問うことになりうることを指摘し、インタビュー場面自体や異なる背景を持つ研究者間の議論場面が、意図せず「日本―韓国」という「対の構造」をもたらしやすいことを指摘している。このことは調査場面だけではなく、文化的背景が異なる研究者同士が共に議論する時にも生じる。」

本来は自分の中に揺れや多声性(ポリフォニー)があるのに、インタビューや考えを述べるくだりになると、モノフォニーになってしまう。声が、本当の声じゃなくなってしまう。自分が自分の専制君主になってしまうんだよね。これが諸悪の根源かな、と。

また日本人はインタビューされたり質問されると、否定されたのかと思って正統性を主張してしまう傾向があるみたい。これはソースは忘れた。でも少なくとも日本人の議論の進め方はそんな感じします。
「セウォル号と同じような事故が日本でも起きてたけど、日本では死者は出なかった」とかいう報道も同じ構造だと思った。他人の不幸に乗じて自分たちは違うよアピール。現在の日本人のナショナリズムの1つのパターンかなって。東海林さだお氏が命名した、謙虚そうにしてるけど自慢する「ひかえめドーダ」ってやつ。とにかくあの報道は気持ち悪かったね。

最近日本人の礼節の本読んでたんだけど、魏志倭人伝の頃から、日本人は偉い人には頭下げてたらしい。あと柏手打ったらしい。
本の著者曰く、礼節の基本は「攻撃心はありませんよ」ってアピールなんだって。礼節や作法が沢山あるのは、それだけ日本は多種多様な人たちが住んでたルツボだったからだって。みんな一緒ならルール決める必要ないもんね。なんか納得。質問されると言い訳みたいに語るのも、コミュニケーション下手なのも、元々は異なる相手が前提だからじゃないかな、と。だから伝えることをあきらめやすいっていう。

日本は中間層が多くて「みんな一緒」の国民性、っていうのはつい最近のことで、本当は違うんじゃないかなって今は思う。韓国の方がよっぽど単一民族的じゃないだろうか。韓国の人の意識調査でも6割以上の人が韓国は単一民族だって考えてるらしいですね。今は韓国の居住外国人も80万人以上らしいから変わってきてるだろうけど。日本列島は多種多様がいいところだったのに、っていうかそれこそが国の成り立ちだったのに、それを去勢されてしまってる状態なんじゃないかな。

どっちにしても、「礼節」を重んじる「保守本流」の自民党には、攻撃心はありませんよって表現、もっと上手になってもらいたい。

| 森 | 2014/04/22 16:31 | URL | ≫ EDIT




私は東男と京女の子供なので(父方の祖父は会津、母方の祖父は北方のバイキングの末裔という話で丹後出身です)、西は京都までしかよく知らないんですが、去年は民俗学者の宮本常一氏周辺(偏ってる?!)を少なくとも20冊くらい読んで、西と東の見方にすごく変化がありました。

西は確かに豊かですね。絣文化で食器も陶磁器。農村も固定的ではなかった。わりと職業の自由があった。夜這いも西が顕著。歌垣は通説ほど乱交の場ではなかったみたいだけど、南から日本に来た文化ですね。だからこそ色んな人びと、職業や営みが派生した。でも、階層がいろいろできたから、差別は多い。
夫が妻に相談する文化があって、財布は妻に任せる文化。

東は貧しい。紬文化で食器は限定的で、あっても木製が主。農村は固定的で水呑み百姓の子は水呑み百姓。色んな職業が不可能だったから逃げ道・抜け道がなく、嬰児殺し・間引きがさかんに行われて、人口がいつも少ない。その分、差別が少ない。
夫婦の財布はそれぞれが持つ文化。

差別っていうのはあってはならないんだけど、でも豊かさの裏返しだと思いますね。実際は多様であるってことだから。
嬰児殺しは真宗では禁止されていたから、同じ東でも新潟なんかでは行われなく、間引きで人口減した常陸に子供を供給していたのは新潟。新潟は多分、トップレベルの豊かさだったと思います。新潟は東でも別格かなって思う。

宮本常一氏は日本っていう国は、常に西と東が入れ替わることで進んできた国だって書かれてましたね。西と東の勢力争いが日本である、と。

東の貧しさはでも、水田中心主義がもたらしたものだと思いますけども。そういう意味ではイデオロギー的に貧しくさせられた部分はある気がする。食糧こそイデオロギーであり、政治だから。

| 森 | 2014/04/23 15:52 | URL | ≫ EDIT


読書 「暮らしの中の洗浄」辻 薦著

http://www.chijinshokan.co.jp/Books/ISBN4-8052-0463-X.htm

東大の化学・農学博士によるエッセイ的な本。
もともとこの人(故人?)は、工業洗浄に関する専門家のようです。
日本、もとい、世界の洗浄の歴史をかいつまんでエッセイにしてあります。

この本に書かれていて、
改めてハッとしたのは、
まー考えてみれば当たり前なんだけど、
欧米なんかの硬質な水だと、
石鹸などの泡立ちが悪くなるようで、
欧米の市販の洗剤なんかは、
日本の洗剤より一般的な使用感としても「強い」わけです。

わたくし、スペイン在住時に1度、
美容室で「シャンプー&カット」をしてもらったことあったのですが、
そこで使われていたシャンプー&リンス?で、
びっくりするくらい髪が傷んだことがあって。

芸能界の人とか、渋谷系の人って、
外国の洗剤使ったり、「ダウニー」使ってる人多いですけど、
ああいう国内販売品って、日本対応になっているものなのでしょうか?

シャウベルガーの本にも書いてあったんだけど、
水って優秀な溶媒だから、
磨かれた水っていうのは体にはよくない。
体のミネラルを奪ってしまう、と。

肌にも多分、欧米のような硬水の方がいいのかもしれないけど、
洗剤を使う段になると、
硬水は泡立たないからって強い洗剤を使うことになって、
結局肌には強い刺激になってしまうのか?
あちらを立てればこちらが立たず感。

でも、日本は軟水だっていうのはなんか日本っぽいっていうか、
日本列島の住民の精神に多大な影響を与えている気がする。

日本では長らく灰汁が洗浄に使われてきたわけですが、
灰汁はアク≒悪か?っていう話を考えると、
洗浄→浄化にアク→悪が使われてきたって風にもできて、
なるほど興味深い感じ。
まさにカタルシス?

カタルシス(wikiより↓)
「ギリシア語のカタルシスは元来は医学用語で、薬剤を用いて吐かせたり、
下痢を起こさせる行為をいった。」

石鹸はその昔下剤として使われていたわけですけど、
灰汁の成分もまた、下剤らしいです。
便秘解消のために食べるごぼうの灰汁などは特にとらない方が良いらしい。
おもしろい。

勤めていた蕎麦屋の女将が
「その人の味覚は、生まれた土地の水に左右されるのよ」
って言ってたけど、
「水」は本当に大きい前提だす。

読書「不平等について―― 経済学と統計が語る26の話」

不平等について―― 経済学と統計が語る26の話

すず書房だし、なんかよさそうな気がして借りた本。

「結論」
経済学部の人にはいいかもしれないけど、
現在の不平等を私たちはどう変えていけばいいのか、の
切り口的なものを読み取れなかった。
でもって、なんか燃えるものがなくて完読できず。

当たり前だけど、
不平等は個人間の勤勉と怠慢の差によって生じるのではなく、
政治が生んでいるんだってことは明言されてて。

あと、農業が主産業であった時代の農民間の不平等よりも、
工業が主流となった時代の、
工業従事者間の不平等の方が大きいってこと。
そりゃそうだ。
工業の方が、設計者と工場労働者といった分業が複雑になるから。
消費者とは会うことのない、遠いところで働いている人ほど賃金が高く、
消費者と直に接するような、近いところで働いている人ほど賃金は安くなる。

アマルティア・セン氏の「不平等の経済学」を読んだ方が面白そうだな。
って思った。

ただ「不平等」っていうのは経済学から問題にすればつまらなくなるのは必至。
倫理的な意味での不平等には憤慨する人多いと思うけど、
経済的な不平等にはそんなに腹が立たない。
お金が全てじゃないってことはみんな実感しているから。

ただ片親世帯の親がパートでどんなに働いても12,3万にしかならなくて、
それじゃ生活保護(約13万くらい?)と同じくらいだってことと、
子供を高校くらいは卒業させないと就職も難しくて学費が払えない
っていうこととかが問題。

だけど、安物、粗悪品を大量生産&消費するようになったから、
自らの労働価値を下げ、賃金を低下させてるわけだから、
不平等のきっかけを与えられると、本当に人々は進んで貧していく。
最新コメント
記事検索