先週の土曜日、「ベンダ・ビリリ!~もう1つのキンシャサの奇跡」という映画を観てきました。
映画の後にはピーター・バラカン氏によるトークショーもありという企画でした。
例の如く映画の上映は松本シネマセレクトによるもの。

この映画、日本では松本が皮きりで(と言っても松本では1日だけの上映ですが)、
順次その他の都市でも公開されていくそうなので内容に関して具体的に書きたくないのですが、
乱暴に言うと「コンゴ民主共和国の首都キンシャサに生きる、路上生活者の音楽バンド“スタッフ・ベンダ・ビリリ”の
数年間を描いた、フランス人による映画」です。
この“スタッフ・ベンダ・ビリリ”のバンドメンバー(10名)には、
小児麻痺(ポリオ)の身体障碍者が半数ほど含まれています。
ただ、本人たちは、“障碍者を健常者と同じように扱って欲しい”という思いから、
自らを障碍者バンドと名乗らず、路上生活者バンドと名乗っているそうです。
日本のような、障碍者も路上生活者も差別されている社会では、
彼らの両者を線引きする考え方が興味深い。
この映画の音楽はもう、掛け値なしの良さ。
いわゆるバスキング・ミュージックが好きな方はたまらないんじゃないかと思いました。

映画の中で1人の男の子が、空き缶と針金から自分で楽器を生みだして演奏しているのだけど、
それがこの映画を本当に強烈な印象にしていると思う。
彼はもちろん楽譜なんて読んだことはない。
耳で聞いて覚え、即興で作り出すだけ。
つくづく、音階は誰かが所有する特許技術でもなんでもなくて、私たちの側にあるものなのだと思う。
音楽理論の教育を受けたり、音符を何と呼ぶかを学ばなければ
音階が私たちに存在しないなんてことはない。
娘をヤマハなんちゃらの音楽教室に通わせようかと思っていた自分を反省。
もちろん通ったっていいわけだけど、意識化しなくてはいけないことがある。
それは、娘にとっての音楽教室の意味と、
私にとっての“娘に通わせる音楽教室の意味”は全然違うものだということ。
私にとっては所詮、他人の子供を娘に出し抜かさせる行為でしかないのではないだろうか。
音楽を学ぶ機会を子供に与えても、同時に、
他人を出し抜く事(≒資本主義)ありきだと教えてしまうのだとしたら、
それが本当に私が娘にしてやりたいことなのだろうか。
それは娘に、端から、
自分で楽器を編み出すという最高のクリエーションの楽しみを、
単なる競争に堕してしまわない充実した音楽の道を、諦めさせることではないだろうか。

この映画から、インフラが破壊されつくされた、
世界最貧国の首都キンシャサで生きる人々の逞しさを知る事が出来ます。
だけど、なぜインフラは破壊されたのか、
なぜ、コンゴ民主共和国とコンゴ共和国という2つのコンゴがあるのか、
それらは映画では一切語られません。
それがこの映画を純粋な?音楽映画にしている部分だし、
映画を製作する白人側が言いたいことを、わざと当人達にに代弁させるという、
昨今のドキュメンタリー映画で多用される捏造に近いやり方からすると、
とてもさっぱりした素直な仕上がりになっているとは思う。
中嶋君のやっていた「喫茶クラクラ」で上映した映画「ジャマイカ 楽園の真実」は、
レゲエの映画なのだけど、もっと政治色が強くて、
IMFの酷いやり口やアメリカ合衆国の自由貿易の不自由さを痛烈に批判するものだった。
それだけジャマイカの人々は世界の歪んだ構造を理解していた。
しかし、この「ベンダ・ビリリ」には、キンシャサの彼らがはっきりと西側批判をしたシーンは1つもない。

コンゴ民主共和国の8割の人はキリスト教徒なのだそうですが、
映画で、混み合った列車の中でキリスト教信者か宣教師かが
メガフォンで説教をするシーンがあったのですが、
「選挙を信じるな!」と叫んでいたのがとても印象的でした。
映画の後のトークショーで、バラカン氏が言っていたのだけど、
キンシャサではいわゆる私たちが職業と呼ぶような職業についている人々は5パーセントにすぎなくて、
あとの95%の人々はその日暮らしで生きているそうだ。
経済という経済がないのだそうだ。皆、助け合ってなんとか生きているのだという。
「選挙なんて信じるな。」
彼らのように本当に人が助け合って分けあって生きられるなら、
政治に期待なんてしなくていいのかもしれない。

「将来の為に責任を持って政治に関心を持ちましょう」なんて言うけど、
政治に期待するってことは、基本、責任転嫁でしかないのではないでしょうか。
なにも褒められたことでもなんでもないんじゃないか。
そう、この映画を観て思いました。
政治家は私たちの代理人だけど、
代理で彼らに仕事をさせている間、私たちは一体何をしているんでしょうか。
主に店で売っている商品を買うためのお金を稼いでるだけじゃないでしょうか。
私が日課としてしていること、それは
アルバイト先のスーパーの鮮魚売り場で、
毎日1万円くらいのまだ食べられる商品を廃棄処分で捨てていることくらいで、
人助けなんて何にもしていません。
私は何にもしてないのに、私の代理人であるという政治家は何かするのだろうか。
いや彼らはお金をもらってするんだからするべきだ、と思うなら、
政治はただの産業じゃんか、という気がする。
私は助け合いとか分かち合いとか、本当はそういう言葉は好きではありません。
まるで依存し合わなくては本来人が生きるのは無理、と言っているみたいだから。
私にはぼんやりしたり、空想したりする時間がある程度は欲しいので、
1日中助け合うためにあくせく働いたり、忙しくすることで、
そういう時間がなくなるのは正直嫌です。
だから皆が皆、孤独な時間を楽しめるようだったらいいと思う。
助け合うこと、それは素晴らしいけれど、
過剰に助け合わなくては生きていかれないようにしているのはいかなる存在なのか。
助け合うことが、その存在を追求することを忘却させるのだとしたら、こんな皮肉はないと思う。
それは相互扶助でもなんでもなく、ただの傷の舐め合いのような気がする。
ボランティアの気に食わない部分はそういうところかもしれません。
いくら「政治には期待しない」と、私たちの側の心持ちばかりを慰めていても、
政治家はいつまでたってもいなくなりはしないから。


映画では語られなかったので、コンゴ動乱のことを調べてたら、
コンゴがコンゴ自由国というベルギー国王レオポルド2世の
私領地だった時代(1882-1908年)のことを知った。
住民は象牙やゴムの採集を強制されて、
規定の量に到達できないと手足を切断されたらしく、
レオポルド2世によって“前代未聞の圧制と搾取”がなされていたそうです。
お金持ちのユダヤ人のホロコーストは問題にしても、
黒人奴隷の大量殺戮には無関心でいる私たちは何なのだろう。
この象牙やゴムの莫大な儲けによってレオポルド土建王は、
ブリュッセルに宮廷や王宮をしこたま建設した。
アール・ヌーヴォー様式などで。
このレオポルド2世支配下の20年間に、
コンゴの人口は2500万人から1500万人に激減したと推定されるそうです。
詳しいサイトはこちら

以下はレオポルド土建王がコンゴ自由国で儲けたお金で建てさせた建物や公園↓

ラーケン公園・ラ―ケン王宮・ラ―ケン王宮温室・ブリュッセル王宮の改築
ウェルウェ公園・テルビューレン公園・王立中央アフリカ博物館
 などなど

ここにはとりあえず絶対行かない。
まぁ、こんなこと言いだしたらどこの王宮や美術館にも行けないことになるけれど。


今回初めて知ったのだけれど、
広島に落とされた原爆のウランの75%は、コンゴのカタンガのシンコロブエ鉱山のもので、
(残りのウランは日本がドイツ経由で輸入しようとしていたのを米軍に取られた疑いが高いようです
 ※参照サイト
そして、長崎に落とされた原爆のプルトニウムもコンゴ産のウランから作られたものだという。
1960年のコンゴ独立の際にこの鉱山はベルギーによって閉山され、
坑口がコンクリートで塞がれたことになっているらしい。
コンゴ動乱というのも、1960年にベルギー領コンゴがコンゴ民主共和国としてベルギーから独立した後、
ベルギーがシンコロブエ鉱山のあるカタンガ州の分離独立を工作し、
その結果発生した内乱なのだ。
しかし、2000年になってからも落盤事故が何度か起きているらしいから、
実はまだこの鉱山は機能しているようだ。
ここのウランが中国や北朝鮮に密輸されている疑いもあるとかで、
今もコンゴはウランなどの資源を巡って大国の利権争いの戦場となっている。
それで今も国連コンゴ安定化派遣団(MONUSCO)というPKOがコンゴに常駐していたいのでしょう。

2004年、
広島・長崎に落とす原爆に使うウランの確保のためにアメリカがベルギーと結んだ独占購入権の密約文書が、
ベルギーの歴史家によって英国公文書館で発見されたというニュースがあったらしい。
それに対して、
田口晃・北海道大学教授(欧州小国史)は
ベルギー政府がウラン鉱石販売で得られた税金などを秘密口座に蓄えていたことも知られていないと思う。当時ベルギーはナチスドイツが占領していた一方、ドイツは原爆製造を進めているとも考えられていた。このためドイツなど枢軸国側と戦争状態にあったベルギー・ロンドン亡命政府が米・英に極秘裏に協力したのは当然だった。
と言っているそう。
レオポルド2世はイギリス人の探検家スタンリーにアフリカを探検させてコンゴを発見する。
そのレオポルド2世の圧政に異論を唱えて調査団を送ったのはまたイギリスだったらしいけれど、
これは世間で言われているような人道主義の観点からそうしたのではなく、
イギリスもコンゴからゴムや鉱山の利権を得るためだったんでしょう。
※原爆とコンゴ産ウランについての詳しいサイトはこちら

天皇家はベルギー王室と特に仲がよく、ブリュッセル王宮によくお泊まりだそうだ。
上記のコンゴ産ウランの流れを考えると、
天皇家とベルギー王家の関係はただものならぬものを感じる。

折しも『コンゴ242人レイプ被害 国連「武装勢力に裁きを」』のニュースが。
イラクからの米軍撤退で、また今度はコンゴが騒々しくなってきたのだろうか。
しかし、コンゴ民主共和国の東部は本当に世界最悪らしい。
「戦争の中で彼女たちはレイプされ続け、兵士たちの奴隷状態に置かれている。
女性たちが解放されるのは、多くは自殺したか死んでいるのが病院で確認された時である」と。

映画のチラシには、スタッフ・ベンダ・ビリリの彼らのことを、
“ファンキーな奴ら”と評して書いてある。
ファンキーな奴ら、それで済ましてしまっていいのだろうか。
「ベンダ・ビリリ」とは「外見をはぎ取れ(内面を見よ)」という意味らしい。
スタッフ・ベンダ・ビリリは今月末日本公演で来日する。
日本の招聘元のプランクトンや協力団体は彼らに、
日本に落とされた原爆のウランとプルトニウムはコンゴ産です、と伝えられるのだろうか。