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蕎麦屋は結局7か月で退職し、
以前勤めていたスーパーの鮮魚部門に舞い戻りました。
やっぱり庶民派のワタクシ、こっちの方が合ってるなー、と思う。

蕎麦はまぁ普通、飢饉の時の食べ物であって、
本来“ど庶民”の食べ物なんだろうけど、
勤めていた蕎麦屋はなんだか格調の高い?有名店だったので、
今のスーパー勤務とでは、結構、落差はある。

蕎麦屋の時は裏方の仕事で、主に2畳分しか動く範囲がなくて、
ヒマな時は女将とお茶を飲みながら話をしているだけで、
実際、からだが鈍ったし、体重も4キロ以上増加した。
働いていないのに、まかないとして蕎麦を3人前くらい食べるのも辛かった。
「働かざる者食うべからず」とはよく言ったものだとつくづく思った。
30代も半ばを過ぎると、
この言葉は怠け者を非難するものではなくて、
からだの健康のこと、自己管理を諭した先人の知恵ではなかったかと思うようになった。

スーパーに戻って、1番いいのは移動が自在にできるところ。
人手が足りなくて大忙しなのでからだをフルに動かせられる。
1か月で3キロ減量できた。

蕎麦屋の女将とはいろんな話ができたし、
文化的には、非常に毎日刺激的だったのだけど、
そういう精神の自由?があっても、
からだが囚われの状態であっては自由度を感じにくいのではないかと思った。
動物とは動くものだから、そもそもそういうものなんじゃないだろうか。
これは非常に勉強になった。

あとこれは毎日3人前蕎麦を食べた上での思いつきなんだけど、
「空腹こそが最高の調味料」と言うけれど、
なかでも蕎麦は、空腹時が1番美味しい食べ物ではないか、ということ。
うどんでは蕎麦ほどまでには空腹状態を要請しない気がする。
蕎麦は飢餓の時に食べた、という記憶が
どこかこのからだにも伝わっているんではないだろうか、と思う。