フィッシュマンズについて書いているわけですが、
正しくは私の個人的なフィッシュマンズにまつわる<思い込み>であって、
フィッシュマンズが何たるかではないのです。
音楽を文字で説明するほど陳腐なことはありませんし。
実際、音楽についてレビューするなんて不可能で、
佐藤君が生前言っていたように、
「音楽は音楽のために、もっと公平であるべきだと思うのね。商売であるべきではないし。」
であるし、佐藤君は「“共有”ってことには興味がな」かったし、インタビューも嫌いだった。
こうして何を書いてもフィッシュマンズの音楽について語ったことにはならないのです。
北欧のクラッシックの作曲家が言ったそうです、
「批評家のいうことを真に受けるな。批評家の労苦を称えて、
 これまでに批評家の銅像が建てられたためしはないのだから」と。

ですから、申し訳ないけれど、フィッシュマンズが主役ではなく、
あくまでそれを書いている私が主役でしかない、文章なのです。
フィッシュマンズの音楽と私の文章力とでは、比べようがないくらいフィッシュマンズが良いので、
初めてフィッシュマンズを知る人に、どうか悪い印象で足を引っ張りませんように...。


フィッシュマンズとの出会いは、今から18年前、17歳の時でした。
俗にいう“特に多感な年頃”で、受けた影響は計り知れないのですが、
当時の私のアイドルは、フィッシュマンズと、ある日本人の小説家Aと、棋士の羽生善治氏でありました。
私がこの3人に同じものを見出していたのですが、それは何かというと、
「音楽には音楽にしかできないこと、小説には小説にしかできないことを表現する」というような姿勢でした。
なぜ自分にとってそれでなければならないのか、という(表現)ジャンルとその人の関係の切迫さです。
当時、棋士の羽生さんはタイトルの7冠を制した頃で、
「将棋をやっている時、人生(ここでは日常生活の意味)は関係ない。将棋は別の宇宙なんです」
というようなことを対談で話していて、ひどく感動した覚えがあります。
知的障害者の芸術家たちが集団で暮らしているコミュニティーの存在を知ったのもその頃で、
日常生活でいわゆる「社会人として充分」でなくても、
何か1つ、何だっていい、この世で自分を表現する手段があったら、それでヒトとして充分じゃないか。
絵や彫刻の中では障害を持つ人だって対等になることが可能であるというような、
あるジャンルの中では人と人とが対等になることができる場所、
これこそが人と「仕事」との関係というものではないだろうか、と強く感じ始めていました。
そんなところに「自由」というものがある気がするのです。
佐藤君も、
「音楽やってて曲書いたりして、ほんとこれだけでいいじゃんって、いつも思うもん。
ひとりの人間の役割というものがあるとしたら、オレにはこれが出来るんだよっていうかね。」
と言っていた。

小説家のAは「世界で誰一人として試みた事のない意識的な行為」を小説で目指し、
それは「ことばによる、想像的現実の創造」をすることでした。
つまり、
「視覚から体内に取り込まれた電磁波である言語のみを駆使し、
 フィードバック機能を通じて視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚を再刺激することで、
 現実体験と等価な生理感覚を読者の中に隆起させる事を実践して、
 読書体験を現実体験と比肩する生理的体験に成らしめる事を目的とした」
のです。
本人もインタビューで、
「…文学作品というのは、極端にいえば、われわれが生きている小さいなりの世界を作って、
 それを提供するということです。
 そういう作業ですから「お説教」や「論ずる」ということは、小説において必要ないと思いますね。
 …人生の教訓を書くなんていうのはエッセーなどに任せておけばよろしい。
 小説というのは、それ以前の、意味に到達していないある原型を提出する。読者はそれを体験する…」
と語っています。このA氏は
「現実と同じように、絶望のあとに希望が来る、なんてことを小説でする必要はない」
「大意を述べよ、といわれたらぼくだって答えられない。
 ひと言で大意が述べられるなら、小説書かないですよ。
 …小説というのは、まだ意味に到達していないある種の原型を、作者が提供し、読者はそれを体験する。」
と言っていて(重複しますが)、それは佐藤君のことば、
「それそう簡単に“結”なんてありえないですからね。起承転結ってよく言うけど。
 インチキならいくらでもかけるかもしれないけど、それはイヤなんですよ。
 歌詞の中で、嬉しいとか悲しいとかっていう感情を、歌う為に強調するんじゃなくてさ。
 例えば、退屈って歌にしづらいでしょ。退屈だからつまんないってことを歌うんじゃなく、
 歌に退屈を漂わすっていうのはね。でも、それが自分の歌に対する大切な姿勢だと思う」
に、私の中では通じている。
今私たちがこうして「生きている」というリアリティーに限りなく肉薄する、別の「生成」を
自分たちが選んだ表現手段によって立ち上げてみせること。
それが、A氏やフィッシュマンズのやろうとしたことだったと思う。
A氏は非常にドライで感傷的なことを嫌悪する人だったし、
佐藤君は政治的経済的に何かをすることを頑として嫌った人だったけれど、
私はどうしても、この人たちの基底に、弱者をすくい上げようとする眼差しを見てしまう。
現実の社会での評価やレッテルとは別の、新たな境地を、表現によって開拓することの可能性を、
身をもって見せてくれた気がするから。

私たちにはやはり「仕事」が必要で、それは決して「生活費を産み出すもの」としてではなく。
この世と自分をつなぐ手段としての仕事です。
手垢のついた嫌な言い方だけれど、「生存価値が必要なのだ」と曲解されてもこの場合、構わない。
いろんな人たちが、各人で各人ならではで、生きていかれるには、
全ての人が適所を見出すことさえできればいい。
教育とは本来、この適所を見つける手助けをすることで、
政治とは本来、適所という“場所”を人の数だけ、というのは無理があるけれど、
際限なく用意し続けることだ、と思う。



特に、無宗教である(といわれている)日本人は、寺院からの説法からではなく、
「仕事」を通じてあらゆることを学んできた。
全ての手仕事には物理がつまっているし、材料や道具との関係のなかで自己を修錬してきたともいえると思う。
私も苦手ではあるけれど、
コンビニやファミレス、交通情報や館内放送のマニュアル化された声色は、
その実、江戸落語に出てくる、もの売りや曳き売りの行商たちのあの「粋な」声色と同じなのだ。
普段接する材料や道具という日常の景色が変わることによって、お粗末な結果になってしまう。
「日本人はずっと自然に託して歌を詠んできた。でも今や自然を失ってしまったから、歌うことが出来ない」
とはある批評家の弁ですが、特に日本人は環境に左右され易い。
周りに美しい自然がなければ本領を発揮できない性質なのだと思う。
(現在の自然保護の先進国は、自然がもともと貧しく、
産業革命以後に自然破壊の先進国であったことが必要だったわけで、何とも皮肉だけれど...。)
普段手にする材料や道具が変われば、私たちは変わるはずだと、そんな風に思うのです。

またまた脱線してしまいましたが、つづきます。