※少し補足しました。

前回、「後で書き足します」なんて書いてしまったけれど、結局時間がなくて書けませんでした。
しかし、本当はもう、フィッシュマンズに関する記事は終わらせてしまいたい。
ダラダラと愚痴のように書く文章は、フィッシュマンズに似合わないし、
佐藤君が死んだことによって、ある種フィッシュマンズが伝説になりつつあるけれど、
そういうことは佐藤君が本来とても苦手としていたことだと思う。
自分が書けば書くほど、なんだか空虚なフィッシュマンズにまつわる幻想を生みだしている気がして、
居心地も悪い。
早く終わらせてしまいたい。いつものフィッシュマンズとの静かな付き合い方に戻りたい。
正直、そんな感じです。
ただ、書かないというのも私にとって不自然なので、やっぱり書くのですが...。
今回で終わりますように。

これは本当に小さな世界でのことで、わざわざ話題にするほどのことではないのだけれど、
フィッシュマンズを好きだ、という音楽ファンの中には、
テクノやダブといった音響系の音を好んでいる人たちがいて、
フィッシュマンズもその枠でとらえている人たちがいます。
私はフィッシュマンズを“音響派”だと思ったことはなくて、レゲエとかダブだと思って聴いたことがないのです。
音楽好きだからフィッシュマンズが好き、みたいなワン・チョイスではないんです。
そういうことは「その3」で載せた佐藤君のことば、
『「音響が好きだから音響出す」のと「こういう感情を表現したいからこういう音を出す」っていうのでは、
受ける側は全然違うんじゃないですか。』
であって、
日本語の音楽を卑下している人が言うような、
「フィッシュマンズは音響系だから聴ける」なんていう感覚は
私には一切ないです。
もっとプライベートなところに寄り添うような音楽だと思っているので。

それから、佐藤君が亡くなってからもフィッシュマンズは解散していなくて、
ただひとりのメンバー、ドラムの茂木さんがその後もフィッシュマンズの活動をしていて、
今のところ、あくまで佐藤君生前時の曲の再発だったり、編集だけが、
音源としてリリースされているのですが、
ライブに関しては、過去にフィッシュマンズを脱退していった旧メンバーや、
フィッシュマンズを好んでいるミュージシャンも参加するかたちで
「フィッシュマンズ」のライブが行われています。
別に悪くないし、いいんだけど、でも私はどうしても喜べないのです。
フィッシュマンズの音楽を今後も引き継いでいこうというのもわかる。

だけど、それなら、
ほとんど廃盤となってしまった過去のアルバムを通常の価格で再発すればいいのではないか。
正直、またフィッシュマンズの音源が出たり、DVDが出たりするとゲンナリする。
聴いている側の生理とは全く関係のないタイミングで発売になったりして困惑もする。
佐藤君生前時代は、リスナー側も待つ身だったし、
フィッシュマンズというバンドとリスナーのタイミングがシンクロしていた気がするのだけど、
結局今は、ただ商売に付き合わされている感じが否めない。
だから新譜が出ても、今はむしろ欲しくない。

今のフィッシュマンズのライブは、同窓会と仲良しによるパーティーでしかない。
そんなに、楽しいことだけでいいなんてことはないはずだ、と思う。
和気あいあい楽しいグッドミュージック、そんなのフィッシュマンズじゃない。
あれだけ「売れたら自分の好きなことができなくなる」と恐れていた佐藤君だったのだ、
もうフィッシュマンズを商売にするのも、
フィッシュマンズを聴いていることを自分の手柄みたいに思うのは止め、だ。

下に張り付けた動画のインタビューで佐藤君はこう言っています(2/3の動画内)。
★動画は削除されてしまいました。。。
(ちなみに私自身は全く格闘技は好きではありませんし、格闘技を評価する気はないです)
「今のプロレス界は僕にとってはもう魅力ないです。毎週欠かさず見てるんですけど。
でも、なんかこう、幻影を追っているだけっていうだけで、別に感動もないし
こんなこというと変かもしれないけど、音楽界ではわりと俺は後継者だと思ってて、
プロレスって戦いで、で、...良いですかこんなこと言ってて...なんですけど、
個人の生きざまを見せる場であって、最後は。勝った負けたはどうでもいいことであって、
だから音楽も、例えるなら、例えばライブなんかでは、歌がうまく歌えたっていうのも重要なんですけど、
演奏が上手くいったとか...
それより大事なのは、プロレスと一緒でたたきつけるって感じが大事で、
そういった意味では僕は後継者なんですよ。」
あんまり好きなことばではないけれど、音楽によらず表現は「生きざま」そのものであるはずだし、
懐メロみたいな、甘ったるいのは佐藤君が望んだことじゃないと思う。

中嶋君がかつてやっていた「喫茶クラクラ」では、
かつてフィッシュマンズのメンバーであったHAKASE-SUNや、
フィッシュマンズ後期のレギュラーサポートメンバーだった故HONZIさんに来てもらって、
演奏会を開くことができて、ことばも交わさせてもらったのですが、
もちろん嬉しくはあったけど、上の佐藤君のことばのように
“幻影を追っているだけ”のようで、そこに私の「フィッシュマンズ」はなかった。

申し訳ないけど、佐藤君がいないフィッシュマンズはフィッシュマンズじゃない。
そして、それでいいのだと思う。
フィッシュマンズが何を表現したくてやっていたのか、それを知っているだけでいい。
それで、既にある「型」に自分をすり寄せていくのではないやり方で、
フィッシュマンズのように「生活が表現である」ことを、自分自身でやっていけばいい。
フィッシュマンズの、佐藤君の精神的な後継者になればいいのだ。ただ追随するのでなく。
そんな気がする。

ああ、これで本当にお終い。
フィッシュマンズよ、さようなら。ありがとう。