まゆみさんのところに書いたコメントを覚書として転載。

私がスペインに住んでいた時、私が日本人だとわかっているのに、すれ違いざまスペイン人から「中国人!」って呼ばれたことが何度かありました。もちろん彼らは差別的に声をかけたのでしょうが、後で知ったところによると、スペインではアジア人の総称として中国人(chino/china)と呼ぶらしいです。でも私はなんか一歩的に呼びつけられたのが癪だったので、相手のスペイン人を「ポルトガル人!」って呼んでみたんです。そしたらすんごく怒ったから面白かった。隣国同士の対の構造というのは、どこの地域でもあるもんだなーと。
ちなみに「こそこそ逃げる」はスペイン語で、「フランス人のように逃げる」だし、フランス語では「スペイン人のように逃げる」です。イギリスとフランスにもおんなじ構造があるらしい。

まず、隣国同士の者は相手に過剰な意識を持ちすぎる、という傾向自体を忘れてはならないと思います。いつも以上に冷静に考えなくてはいけないかな、と。

わたしが以前から面白い研究されてるなと思っている呉宣児(≒オ・ソンア)さんのレポートはとても面白いです。韓国と日本でおごりについてどう考えるかをインタビューして多声性という問題を考えられています。ネットでは少なくとも2つの論文?が読めます。これが面白い。PDFなんでリンク張れないけど。

抜粋↓
「日常の自然場面ではおごり・割り勘の多様な現象や評価・意味づけが見られるにも関わらず、どうしてインタビュー場面では異口同声に韓国ではおごりが肯定的に語られ、日本では割り勘が肯定的に語られたのだろうか。
呉他(2006)は日本の社会でよく見られることを基準にして行うインタビュー質問項目自体が、時にはすでに良し悪しの評価をつけて問うことになりうることを指摘し、インタビュー場面自体や異なる背景を持つ研究者間の議論場面が、意図せず「日本―韓国」という「対の構造」をもたらしやすいことを指摘している。このことは調査場面だけではなく、文化的背景が異なる研究者同士が共に議論する時にも生じる。」

本来は自分の中に揺れや多声性(ポリフォニー)があるのに、インタビューや考えを述べるくだりになると、モノフォニーになってしまう。声が、本当の声じゃなくなってしまう。自分が自分の専制君主になってしまうんだよね。これが諸悪の根源かな、と。

また日本人はインタビューされたり質問されると、否定されたのかと思って正統性を主張してしまう傾向があるみたい。これはソースは忘れた。でも少なくとも日本人の議論の進め方はそんな感じします。
「セウォル号と同じような事故が日本でも起きてたけど、日本では死者は出なかった」とかいう報道も同じ構造だと思った。他人の不幸に乗じて自分たちは違うよアピール。現在の日本人のナショナリズムの1つのパターンかなって。東海林さだお氏が命名した、謙虚そうにしてるけど自慢する「ひかえめドーダ」ってやつ。とにかくあの報道は気持ち悪かったね。

最近日本人の礼節の本読んでたんだけど、魏志倭人伝の頃から、日本人は偉い人には頭下げてたらしい。あと柏手打ったらしい。
本の著者曰く、礼節の基本は「攻撃心はありませんよ」ってアピールなんだって。礼節や作法が沢山あるのは、それだけ日本は多種多様な人たちが住んでたルツボだったからだって。みんな一緒ならルール決める必要ないもんね。なんか納得。質問されると言い訳みたいに語るのも、コミュニケーション下手なのも、元々は異なる相手が前提だからじゃないかな、と。だから伝えることをあきらめやすいっていう。

日本は中間層が多くて「みんな一緒」の国民性、っていうのはつい最近のことで、本当は違うんじゃないかなって今は思う。韓国の方がよっぽど単一民族的じゃないだろうか。韓国の人の意識調査でも6割以上の人が韓国は単一民族だって考えてるらしいですね。今は韓国の居住外国人も80万人以上らしいから変わってきてるだろうけど。日本列島は多種多様がいいところだったのに、っていうかそれこそが国の成り立ちだったのに、それを去勢されてしまってる状態なんじゃないかな。

どっちにしても、「礼節」を重んじる「保守本流」の自民党には、攻撃心はありませんよって表現、もっと上手になってもらいたい。

| 森 | 2014/04/22 16:31 | URL | ≫ EDIT




私は東男と京女の子供なので(父方の祖父は会津、母方の祖父は北方のバイキングの末裔という話で丹後出身です)、西は京都までしかよく知らないんですが、去年は民俗学者の宮本常一氏周辺(偏ってる?!)を少なくとも20冊くらい読んで、西と東の見方にすごく変化がありました。

西は確かに豊かですね。絣文化で食器も陶磁器。農村も固定的ではなかった。わりと職業の自由があった。夜這いも西が顕著。歌垣は通説ほど乱交の場ではなかったみたいだけど、南から日本に来た文化ですね。だからこそ色んな人びと、職業や営みが派生した。でも、階層がいろいろできたから、差別は多い。
夫が妻に相談する文化があって、財布は妻に任せる文化。

東は貧しい。紬文化で食器は限定的で、あっても木製が主。農村は固定的で水呑み百姓の子は水呑み百姓。色んな職業が不可能だったから逃げ道・抜け道がなく、嬰児殺し・間引きがさかんに行われて、人口がいつも少ない。その分、差別が少ない。
夫婦の財布はそれぞれが持つ文化。

差別っていうのはあってはならないんだけど、でも豊かさの裏返しだと思いますね。実際は多様であるってことだから。
嬰児殺しは真宗では禁止されていたから、同じ東でも新潟なんかでは行われなく、間引きで人口減した常陸に子供を供給していたのは新潟。新潟は多分、トップレベルの豊かさだったと思います。新潟は東でも別格かなって思う。

宮本常一氏は日本っていう国は、常に西と東が入れ替わることで進んできた国だって書かれてましたね。西と東の勢力争いが日本である、と。

東の貧しさはでも、水田中心主義がもたらしたものだと思いますけども。そういう意味ではイデオロギー的に貧しくさせられた部分はある気がする。食糧こそイデオロギーであり、政治だから。

| 森 | 2014/04/23 15:52 | URL | ≫ EDIT