今日は1日中、娘と2人きりで過ごす。
なんだか久しぶりに2人でゆっくりした気がして嬉しい。
昔はこうだったのにな、と懐かしい。
上田市に住んでいた時を思い出した。

娘のクリスマスプレゼントがドイツ製の織り機「イネス」だったので、
縦糸をかけるのを覚えるのに時間がかかった。
けれど頭ではわからないのに、やってると感と手が働くのが不思議。
脳はどっちかっていうと、私の部位の中でダメな方のヤツだと思う。
この玩具の対象年齢は3歳以上だから、出来て当たり前なのかもしれないが、
3歳児ほどの適応力と集中力は今の私にはこれっぽっちもないので、
できてよかったと手放しで喜んでも構わないだろう、
ということにした(これは脳が。だから脳はダメな方のやつなのだ。)。

娘と2人だと、私自身はまったくテレビを見ようとは思わないのだが、
娘の付き合いで見た番組の感想を少し。


●「みうらじゅんの信越ゆるキャラ運動会」

面白かった。
「外国人がこれ(ゆるキャラ)を見たら日本って国が分からないだろう」というみうら氏の言葉に納得。
日経新聞の週刊視聴率を見ると、最近「ミュージックステーション」の数字が芳しくないようだ。
例えば、タモリさんといとうせいこうとみうらじゅんの3人で司会をしたら、確実に数字が上がる。
というのは、ここ最近の私の口癖だが、
しかしその際、司会者3人が喋りすぎるので、出演ミュージシャンは3組ぐらいが限度となるだろうから、
結局は視聴するファン数が減ってプラマイゼロに陥るのかもしれない。
ということが、多分、番組会議で議論された結果、「女子アナとタモリ」に落ち着いたのだろう。

ちなみに「ゆるキャラ」は新潟勢の勝利に終わった。
長野勢が負けても、くやしさは微塵もなかった。


●録画アニメ「ドラえもん のび太の人魚大海戦」

全くそんなそぶりもないのに「愛しています」と言われるのと、
「愛しています」とは宣言されないものの、愛されるのとでは、
どちらが人を満たすのだろうか。
この場合の「愛しています」という言葉は、お金や名誉に近い気がした。
名前が契約であるという発想は、ゲド戦記から受けた影響だろうか、なんだろうか。
最近、アニメ界で名前が契約であるというテーマが多用されすぎている気がする。

女子フィギュアスケートは、真央ちゃんの結果が怖くて見れなかった。
中森明菜を、見たいけど見るのが怖いというのに似ている。
同情をしたくないけど、必ずしてしまうだろうからの回避。
テレビを見ると頭が悪くなる、と一部の人は言うけれど、
見ないことの方が現実逃避であり、葛藤することからの逃避になることだって、ある。

今日はこんな1日。掃除ができてよかった。