トマス・スタンコ 美しい

太極拳が、特殊感覚野ばかりに頼らず、
一般感覚野を磨く必要を説くのはなぜかと言うと、
やっぱり自分の姿を鏡に映して、
視覚で確認しながら意識的に身体を動かすのが、
自分の動きを客観的にとらえるのには1番簡単なのだけど、
でも、いつも鏡があるわけじゃないし、
しかも、太極拳は空気の澄んだ屋外でするのが、「気」の面からもいいので、
(もはや放射能のおかげで、外の方が空気が澄んでるとは全く言えないんですけど!!)
鏡によるフィードバックではない、
一般感覚野によるフィードバックの能力を高めるといいんだそうな。
(多分。私の理解では。)

特殊感覚野の中でも、「視力」は情報の8割を占める、
というのはよく知られているようだ。
しかし、本当かどうか知らないけれど、
意識がなくなるときに、順番から言っても、1番最初に奪われるのはその「視力」なんだそうだ。
対して、最後まで残るのは「聴力」だという。

私がお世話になった松本丸茂旅館の故・新田貞雄氏は、
戦争で負傷して死にかかったときに臨死体験をされていて、その話を多くの人に語ってこられた。
「なるほどなるほど」とうなずいて聞く人、「そんなまさか」といぶかしげな顔をして聞く人、
その表面的な違いはあったが、
内面的には概ね、ほとんど絵空事だと思って、みんな聞いていたように思う。
けれど、視力と聴力は結びついていて、音がヴィジョンを想起させるということがあり、
朦朧とした意識の中で、聴覚だけが最後まで残るならば、
新田さんの臨死体験はあながち嘘の体験とは言えないと思う。
そもそも「臨死体験は聴覚によるもの」というのは、わりと定説にもなっているようだ。
新田さんの晩年は、ほとんどの視力失われたが、耳がとてもよかったので、
大抵のことは1人でこなされていたくらいだ。


多くの人にとってもそうでしょうが、
私も音や音楽によって、過去の記憶が現在に統合されるような感覚に陥ることはよくある。
「He isn't  you」という曲は、あるミュージカル映画の中の1曲で、
♪私の彼の人はこんなに素晴らしいのよ♪
とか言って、ある女性が自分の恋人の素晴らしさを友人の前でほめたたえるのだけど、
♪素敵なあの人はキングのようよ でも素敵なあの人はあなたにはなれない 彼はあなたではない
といって、むしろ“友人との関係の唯一無二性”を歌った曲なのです。

私にとって最も重要な人間関係というのは、影響面で言っても、断然親子関係なのだけど、
もちろんそれは今も変わらないけれど、
普通一般的には、夫婦関係や兄弟関係、親友なんかが、
その人にとっての重要な人間関係になるのだろうけど、
そういう自分にとっての人間関係のヒエラルキーとかプライオリティーは、
ただの慣習であり、その慣習が生んだ願望でしかないんじゃないか、とつくづく最近思う。


最近、職場で2年間も一緒に働いてきた人のお子さんが、ある病気だということを知った。
これは非常にショックなことだった。
そんな大事なことを知らずに、毎日居たのかと思うと愕然とした。
そのつもりはなくとも、何か失礼なことを言ったんじゃないか、
疎外感を抱かせるようなことがあったんじゃないか...。

プライバシーにかかわることだから、
おいそれ簡単に手助けしますよ、という話でもない。
けれど、うちの兄貴は2人とも精神障碍者だし「障害者手帳」も持っている。
直也君の弟も、今の時代なら「知的障碍者」と認定されるだろう。
そんな身内がいるからこそ、どうもまったく他人事な気がしなくて、
何かできることがあったら何でもしたい、と思う。


ちなみに職場には、知的障碍者で「障害者手帳」も有している女性の同僚がいる。
なかなか良い職場なのだ。
お互いパートタイム労働者だけれど、人生はパートタイムではない。
だから、職場の人間関係を本気でやれば、私の人生は大きく変わるのかもしれない。

私は基本、会社の仕事なんて、社長がしなくちゃいけないことを他の人が代理でやる仕事だと思っているので、
そもそも代理だから不自然・無理が生じて当たり前、
人間の生身の機微に応対できるような仕事の割りふりにはなるまいから、
「割り切って」仕事をするようにしている。そうじゃないと、割に合わないし。
だから感情的には一切ならずに仕事をするようにしている。
個人的な考えも同僚に、一切話していない。

けれど、だからこそ、本当に相手のことを思って働いたらどうなるんだろう、と思う。
本当に相手のことを思ったら、やっぱり怒ったりするんだろうし。

当たり前の事なのだけど、
一緒に働いている、あの人やあの人の「代わり」などいないのだ。
どんなにわが子が、家族が大事、なんて特別に線引きをしても、
あの人の代わりはいない。
あの人と私という関係は、唯一無二だ。
それを、誰か他の人との関係と比べようというのが間違いではなかったか。

気に入った人との関係は、自分が好きな自分でいられるから、好意的な関係だろう。
けれど、どんな人との関係においても自分は試されているし、
どんな関係においても、予見不可能な関係性は生まれる可能性がある。

そう思っていた時に「He isn't you」という歌のフレーズが頭の中で鳴ったのだ。
そうか!と思った。電光石火で統合された気分。
あの人はあなたではない。
あなたはあの人ではない。
同時に、私にとって好ましい私もおぞましい私も、同じ私なのだ。

多分、急にはそんなにいい人にはなれない。
「どんな人にも誠心誠意」なんかには、すぐなれないだろう。
だけど、なんか「自」信になった。
そして、この「自」には、私の家族だけじゃなく、
私のあの人もあの人も、含まれているのだろう。
He isn't you.

(これが書きたかったのに、なぜか前回太極拳の話になっちゃったのは何故だろう....)