※少し加筆しました。

週末を利用して、親子3人で伊勢旅行に行ってきました。

松本平に戻ってきてから、父に土産を渡す時、
伊勢神宮で「(東日本震災のことで)お祈りしてきたか?」と
尋ねられてハッとしました。

伊勢神宮の内宮に参じたものの、
個人的なことはもとより、一切何のお祈りもしなかった。
ただ行為として、二拝二拍手一拝をしただけ。
それで良いと思っているからなんだけど、
こんな非常事態なのだから、
多少は例外的にお祈りしても良かったんじゃないか、と一抹の後悔。

しかし、
私が伊勢神宮を歩きながら考えていたのは、
「原発を伊勢神宮に作ればいい」というようなことばかりだった。


今回の東日本大震災を受けて最初に思ったのは、
先の大戦のことと、法隆寺などを修復した宮大工の西岡常一氏の言葉だった。
忘れやすい私の記憶では、
世界最古の木造建築である法隆寺が1300年もの年月を経てもその姿を保っている理由として、
西岡さんは以下のことを上げていました。

・その建築方法
・木材(1000年持たせるには樹齢1000年の木材が必要である)
・四神相応の立地(土地風水によるもの)
 ※詳細は「木に学べ」
 この本は建造物の危機管理読本としてもその価値があると思います。
kinimanabe

<MEMO>
土地風水によると、中国では、世界の屋根ヒマラヤ山脈に隣接する、
コンロン山脈が大地のエネルギーの源となっていて、
そこから、エネルギーライン(龍脈)を通じ、世界にエネルギーが送られている
とするそうな。 
日本では、富士山が大地のエネルギーの源となっていて、
そこからエネルギーライン(龍脈)を通じ、 
国内にエネルギーが送られているということになっています。 
その送られた大地の気が凝縮している場を「龍穴」というそうです。
法隆寺や伊勢神宮などの寺社仏閣で、現存しているものの多くは、
天災の起きない、この「龍穴」の場所に建てられているそうです。


四神相応(しじんそうおう)
は、東アジア・中華文明圏において、
天の四方の方角を司る「四神」↓の存在に最もふさわしいと
伝統的に信じられてきた地勢や地相のことをいう(wikiより)。
・ 「玄武」
 山脈の中央にある、とがった大きな山。一般的には、龍穴の北面にある。日本も中国も共通。
・「白虎」
 玄武の左側にエネルギースポット(龍穴)を囲い込む形で伸びている山脈。
 日本では大道。一般的には、龍穴の西面にある。
・「青龍」
 玄武の右側にエネルギースポット(龍穴)を囲い込む形で伸びている山脈。日本では川。
 一般的には、龍穴の東面にある。
・「朱雀」 上記の三つの山脈で囲い込まれた場所。広い平地になっており、
 川の流れでさらに囲い込まれ、その向こうに山(案山)で囲まれている。
 日本では池や湾もありうる。一般的には、龍穴の南面にある。

この西岡さんの本を読むと、なまじ家なんか買いたいとは思わなくなると思うので、
この本1冊を学校の教科書にしたらいいのにと、どんなにか思う。
西岡さんは、日本一の宮大工を自負していた。
これは実に「天晴れ」であるのと同時に、
西岡さんの歴史観からすると「さも尤も」なことなのだけど、
この「日本一」は当代日本一という意味ではなく、日本通史日本一、なのだ。
細かく時代を刻もうとする小者と違って、西岡さんは常に通史で物事をとらえているのだ。

西岡さんは日光東照宮を装飾ばかりの「くだらん建物」と言いきってしまう。
室町以降の建築技法は、飛鳥時代のそれとは比べようもないほど酷いらしい。
江戸時代の建築なんて、もう目も当てられないほど酷いとか。
こういう西岡さんの文章を読んで知っていると、
江戸建築をちやほやする気にもなれないし、
まして近代・現代建築はなおさら、の話しになってくる。
巷の優等生が口にする、古けりゃなんでも評価してしまうような、
下手な「懐古主義」なんかも、浅くて程度の低いのは諦めたとしても、
いかにそれが無責任な言質なのかがよく知れるというものだ。


以下は西岡氏の言葉です↓

「飛鳥時代に学者はおりません。大工がみんなやったんやないか。
その大工の伝統をふまえているのだから、われわれのやっていることは間違いないと思ってください」

「鉄は、飛鳥時代のように、砂鉄から作ったものなら千年でも大丈夫だけれど、
最近の溶鉱炉から積み出したような鉄はあかん。」

「学者は、木一本一本のクセを考えず、寸法、形、様式で語ろうとする。話にならん。」

「(薬師寺)金堂の申請をしましたときに、白鳳様式といえども建築は昭和の建築で国宝ではない、けれども内部は世界的な宝である薬師三尊をまつるんやから耐震耐火のコンクリートにせよ、そして収納庫の周辺を木造で包むというやり方でやれということでしたんですが、わたしの意見は反対でしてね、コンクリートは村松禎治郎さん(建築学者)に聞いたら百年しかもたんと言いますねん。百年しかもたんものを千年もつ木造を使うてはあかんやないかと、コンクリートがあかんようになるとき木造もあかんようになるやないか、やめてくれと言うたんですが、そんな勝手なことを言うなら金堂を建てる許可をせんということでしたんで、しゃあないからコンクリートにしたんですが、あまり感心したことではありません。」
(結局西岡さんは、コンクリートの部分だけユニット的に取り外せるようにした。コンクリートの方が、木よりも先にダメになるので。)

「(法輪寺三重塔のとき)竹島博士の言わはることもわからんでもないのです。けれどももし鉄材を入れるんやったら、法隆寺金堂のときのように千三百年たってから入れたらどうでしょうかと。なにも新しい木に穴をあけるようなことはできんと。わたしは飛鳥の工法にこだわってるんやない、聖徳太子ゆかりの寺です、すこしでも木の命をもたすことを考えてのことですわ。けどまあ、決着はつきませんでした。で、仕方なしに(委員会の)鈴木嘉吉さんを呼んで、その立会いのもとに使わんということに決めまして、ボルトだけつけて、入れておいたことにして、中には(鉄材が)通ってませんにゃ。竹島博士は月一回しか(現場に)来ませんのでわかりませんねん。鉄を入れたあと埋め木しますんで知ってませんねん。飾りでボルトが付いているというだけで、へっへっへっ。」

ちなみに、西岡さんの当時の宮大工は民家には手を出さなかったそうだ。
仕事がない時は畑で農作業をしていた。

「宮大工というのは百姓大工がええのかもわかりません。田んぼと畑があればなんとか食っていけますんでな。ガツガツと金のために仕事をせんでもええわけですから。儲けを考えたら宮大工なんかできません。
やってはならんことです。食えても食えんでも宮大工は民家はやらんのです。
この家もわたしが作ったんやない、ほかの大工さんに作ってもらってるでっせ。」
とは西岡さんの弁。

これが本当の半農半Xじゃないでしょうか。
普段デスクワ―クしている人が、週末だけ畑をやれば「半農半X」なんじゃないと思う。

人間国宝が偉い訳ではないが、木工家の村上明氏は農作業をやっておられるらしいけど、
それは、木工をやるからには、
「植物を知らなければならない、もっと言えば、土を知らなければならない」
という考えに裏打ちされたものだと思う。
これは、現代的生活の申し開きのような、ニ重生活としての半農半Xとは全く似て非なるものだ。
「農」が、もう1つの自分の「X-しごと」の「証明」として機能するような関係、
それがあるべき「半農半X」の姿じゃないか、と思う。
そうじゃないなら、別に「農」に固執しなくても、
代わりに「生け花」とか「茶道」とか「アロマテラピー」だとかでも充分いいんじゃないだろうか。
そんなに「農」だけが特別な訳じゃないし。


話しが脱線しましたが、
同じ飛鳥の建築様式で建てられていても、法隆寺のように残っていないものもあるそうで、
そういう建造物は、立地がよくないそうです。
法隆寺は伊勢神宮や唐招提寺、京都と同様、
土地風水でいうところの「龍穴」というところに建てられているそうで、
西岡さんはこれも、法隆寺が1300年持った理由の1つに上げています。

建築技法や建材への配慮のみならず、土地の地勢や地相にまで配慮することは、本来当たり前だったことなんじゃないでしょうか。

この、本来は建築技法とセットであるべき、
「立地条件にたいする研究とセンス」というものが、
もし建設側にも、施設を受け入れる側の自治体や土地住民にもあったなら、
原発や福祉施設を、被災の可能性の高いところに建てるということは
自ずと避けられたんじゃないだろうか、と思うのです。

ただ、四神相応の龍穴の土地であった京都も、
「巨椋池が完全に干拓されてしまったために、京都の四神相応は破壊されている(wiki)」そうで、
土地を開発する勢力がいる限り、この四神相応は破壊され続けてしまう

だから、私は伊勢神宮を歩きながら、
原発なんて龍穴である伊勢神宮に作ればいい、と何度も繰り返し思っていたのでした。

伊勢神宮はモニュメントだが、原発だってモニュメントじゃないか、と。
伊勢神宮内宮で、私が「東日本大震災」について何の祈念もする気になれなかったのは、
そういうわけだと思う。


国家の安寧を願って作られた東大寺の盧舎那仏だって、
建立する時、水銀中毒で多くの人が死んだ。
5年間、50tの水銀を金と混ぜて仏像にメッキ加工を施す間、
平城京の人々は水銀で汚染された空気を吸いこみ、
水銀汚染された食物を食べ、神経や内臓がおかされて多くの人が死んだ。
これを当時の科学では説明できないから、
人は「祟りだ」と呼んだのだろうけど、
今、福島原発で起きていることや、その他の原発での働く作業員の置かれた状況は、
この奈良の大仏建立時の状況と変わりがないように思えるのだ。

収束し切れない・予防できない原発事故だって、
もはや現在の科学では対応できないってことじゃないだろうか。
平城京の大仏建立の時と何が違うというのだろう。

もう、人を害するモニュメントは要らない。
人を害する宣託を信じない。


今こそ、安部公房の言葉が生きてくる。
「もはやどんなシャーマンの御託宣にも左右されない、強靭な自己凝視のための科学的言語教育です。
存在や認識の「プログラム」を開く≪ことば≫という鍵を、
ついシャーマンの歌にまどわされて手放したりしないための教育です。
人間とはまさに「開かれたプログラム」それ自体にほかならないのですから。」