WORLD ORDER 「MACHINE CIVILIZATION」


ここ何日か、world orderの動画ばかり見てしまう。
格闘家でありながら、同時にこんなに脆さと繊細さを表現できるなんて、
どうなってるんだろう。
それが不思議で、思わず見入ってしまう。

須藤元気さんにとっては「格闘技も非日常の世界だから」、
ダンスで非日常性を表現して提供するのは難しくないらしい。

日常的な人の歩く速さから遅れて見せるだけで、
こんなにも非日常が表せるなんて。

人間の「歩き方」などの日常動作は、
長い歴史と生活史を経て選択・適応して残ってきた「1つの文化」なんだとか。
正解というよりも、1つの人間の地点。
文化だから、それから外れている人は自然と監視されてしまう。
だからこそ、動作を通じて、遠目にも他人から病的なものを感じたり、
非日常=異常なものを感じとったりするんだろう。

ちなみに、歩行動作照合による本人確認は、
指紋照合による本人確認よりもさらに精度が高いらしい。
自分と同じ歩き方をする他人は、ほぼ「いない」らしい。

実際1人1人違う歩き方をしているというのに、
どこからどこまでが正常で、
どこからが異常だとかって感じてしまうんだろう。

むしろ、個別性を感じない歩き方をしている人を見ると不安になる、
っていうことなのかもしれないな。
個別性がないってことは「分身」を感じさせるから。
分身に自分が奪われてしまうような危機感なのだろうか。

うちのお兄ちゃんは2人とも、
統合失調症を発症後に歩き方が変わったと思う。
うまく言えないけど、「統合失調症の人だな」って歩き方をする。
その人の「まなざし」と「向かっている方向」と「足運びの速度」、
そういうもののバランスがとれてない感じ。
少し「この世のものではない雰囲気」を漂わせながら、歩く。