ノ ー ト

好 き な 読 書 を 中 心 に 考 え 中 を 記 録 す る ノ ー ト

原発

通約不可能な世界~ピダハン族と

私にとって、アマゾンに住むピダハン族はすごい驚きだった。
一般的に言われている「未開の」部族というのは、
いつだって刺激的なものだけど、
ピダハンに関する研究の内容はずば抜けている。
以前も書いたんだけど(↓自分のブログから)
ピダハン語の衝撃。
アマゾンの部族のピダハン語には、「右」と「左」も「神」も色や数の識別もない。
平等に分配するので数は必要ないらしい。
そして「入れ子状」の再帰的な文がない。
つまり、「彼女が欲しいと言っていた、ピンクの帽子は既に売り切れですと、
店員が彼女に言ったと妻が話した」みたいな入れ子状がないんだって。
英語で言うとthatでつながる文章が、ピダハンにはない。
で、チョムスキーが相当不機嫌になっているらしい。
普遍文法説を唱えている人はそりゃ、ナーバスになるだろうな。
で、ピダハン族と一緒に暮らしていた言語学者に
ピダハン族と接触できないように圧力がかかったらしい。
まだ本を読んでないんだけど、加えてピダハンには伝承がないらしい
神話がないんだって。
ピダハン族は、基本、実際経験したことしか話さないんだけど、
ある人が死んだら、その人が生きていた時に話したことは無効になるらしい。
死んだ人が語った内容を話すことはしなくなるらしい。
生きている人の 経験したことしか話さない。
だから伝承も信じないし、神話がない。
これってすごいことじゃないか?本当なら。

 ピダハンのこのことを知ってから色々思いを巡らすと、
アニミズムとか自然崇拝っていうのを、
私たちはえらく原始的なもののように思い込んでいるけれど、
実は「入れ子状の再帰的な文法」が獲得された社会の
屈折した発明品であるような気がしてくる。

多分この「入れ子」というのは、貨幣(制度)の事じゃないかって気がする。
貨幣というのは等価という価値観を前提としている。
でも物々交換というのは互換性ではあるけれど、厳密にいうと等価ではない。
貨幣はそれを担保している存在が別にあって、
その存在が無くなると、貨幣自体が無価値になるような性質のものだけど、
物々交換の「もの」は、それ自体が価値を持っている。

「入れ子状の再帰的な文法」が獲得された社会と
不平等な社会は強い相関関係があるんじゃないかな。

随分前に、池谷裕二さんのツイートで
「ルールは平等でも不平等は自然発生します。例えば各人一万円づつ持つ集団。
ランダムに2人選んで一方から一方へ百円渡すという無作為トレードを延々繰り返すと、
一部の大金持ちと大勢の貧乏人に分かれます。
この数学的に自明な事実を知らずに自由や公平を謳うと色々な誤解が生じるように思うのです」
ってのがあったんだけど、
こういう不公平っていうのはお金だから起きるんじゃないかなって思った。

これ実験の道具がオレンジだったらどうなんだろう。
確かにあの人のオレンジは大きいけどあまり甘くないとか、
私はオレンジ嫌いだから少なくていいとか。。。
もっと実験が面倒なものになるだろうな。
お金はみんな貰いたがるものって思ってるでしょ?!
なんかその前提、うっとおしいんだなー。

このツイートでは、
平等不平等って、誰かがジャッジできるものになってるけど、
本当の実際の平等不平等って感覚って、主観的な訴えであるのが普通。
結局、平等不平等っていうのは錯覚か妄想みたいなもの。
でも、平等不平等って、つまり通約可能な世界を前提としてるわけだから、
等価の世界の文化なんじゃないかな。
つまり
平等不平等っていう意識の文化は、貨幣制度から生まれた
んじゃないのかな?

以前もここで書いたけど、
関係と呼ばれるものがつねに通約不可能な何かとのかかわりであり、
関係の1項と他項とを
絶対的に等価でないものにするものとの関わりである
(青字ジャン・リュック・ナンシー)。
これはレヴィナスも言っていたことだったりする気がする。

本当の関係っていうのは、平等不平等とは簡単に言えない関係
のことじゃないかな。

ピダハンは分配が基本だから数は数えなくていい。
実際数えないから平等に分配されているかどうかはわからないわけで。
だから西洋人が分配だって?!素晴らしい!!なんて絶賛しても、
分配自体、ピダハンにとってどーでもいいことだったりして。
でももしかしたら、特殊に鍛えられたピダハンの脳は、
大体の数を誤差なく平等に分けられるのかもしれない。
殆どの人間の行為は無意識的なので、
そういう可能性はないとはおおいに言えない。

ピダハンは私たちの理想でもあり、
こうあってほしいという願望なのかもしれない。
だから私たちにとって都合がいい。
都合がいいから、根絶されなかったのかもしれない。
そう思うと世界は人間が願った通りの世界なのかもしれない。
どんなに残酷でも、それを人間は願ったのだと。

ボックスティッシュのカバーと等価性

P5080395愛用している無印良品のボックスティッシュカバー。
←もう売っていないようなので、
作ることにしました。
現物は横がファスナーになっているんだけど、
めんどくさいので上からティッシュを入れる式にして
マジックテープで閉じることにしました。










特に見本にした作り方なし。
サイズも適当です。

娘の保育園の時の余った布地を使用。
なので本来は裏の白地を、出来上がりの表にします。
キルティングの方が厚みがあっていい感じ。
キルティングなので最初に布の四方をジグザグでかがってください。

↓中央のティッシュ取り出し口を作ります。
布を中表にして、上下9㎝はミシンで縫って、中16㎝くらいを口にします。
P5080388














↓アイロンで開いて、16㎝の部分はまつり縫いをしてとめます。
P5080389
P5080390
底になる部分も、端から1㎝の所を縫います。

↓上の入り口になる所は1.5㎝くらい折り返してアイロンを掛けます。
P5080391
↓紐になるテープを下のように織り込んで(少しテープをずらす)、ミシンで縫ってとめます。
P5080392
↓折り返した部分を外から1㎝の所で縫って、マジックテープをつければ完成です。
P5080393P5080394
テープが生成り色なので、渋谷系な感じ。。。
ま、壁になじんでインテリア的にはさっぱりしました。

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晴れた休日に、手芸をしていると本当に幸せ。
これで放射能さえなかったら。

最近、対価のない家事労働などをシャドーワークと呼ぶそうだ。
女性の家事負担を問題にしたわけなんだろうけど、
こういう繕いものなんかの家事は、趣味の世界にも近く、
食いしん坊の私には料理をすることも、それが労働だと言われれば、
労働だけではすまない、嗜好の部分がある気がする。
家事というのは、非常に創意工夫の活かせる領分であって、
対価のある賃金労働よりも自尊心が満たされることもあると思う。
人によっては、なんだけど。

この「人によっては」の部分を社会通念化するのは難しい。
1つのコンセンサスになるには6割くらいの支持者が必要なんだろうし、
「その人にとってだけは」という例外が、カガクの問題にならないからなんだろう。

先日読んだジャン・リュック・ナンシーの「フクシマの後で」

フクシマの後で: 破局・技術・民主主義
ここで語られていたことはまた別の機会に感想を書きたいのだけど、
1番なるほど、と思ったのは「等価性」という観点だった。

西谷修氏が書いたように、
未来とか明日を、何にも汚れていない真っさらな時間のことを指すのだとしたら、
もう放射能で汚染されていない未来・明日などないのだ、ということなのだ。
つまり明日は破壊の翌日でしかなく、ただ今日の翌日にすぎない。
そういう意味で、現代の災厄は終わりなき災厄であって、
この災厄から(放射能)から逃れることのできる人、
関係がないとできる人は誰もいないのだ。
明日この世に初めて生まれてくる新生児だって。
例外はこの世からなくなってしまったのだ。

国に税金を納め、その国が核保有国と友好条約を結び、軍事練習をする。
その時点で、核に協力することに厳密に無関係でいられる国民は1人もいない。

関係と呼ばれるものがつねに通約不可能な何かとのかかわりであり、
関係の1項と他項とを
絶対的に等価でないものにするものとの関わりであるとすれば、(青字ナンシー)
現代は、<例外>や<通約不可能な者>などだれ一人いない世界になったのだ。
全てが等価の世界。要は命よりも貨幣が勝った世界ということだ。

そうやって考えると、
シャドーワーク=対価のない労働=家事というものがあるのだとしたら、
それはむしろ1つの可能性なのではないだろうか。
もしくは、対価のない労働という呼び方自体、ねつ造なのかもしれない。
税をとる側からの共働き推奨のキャンペーンの一環だろう。

昨今のデータで、料理に関心の高い妻を持つ夫は、
そうでない夫に比べると年収が数百万円多い、という結果が出たらしい。
これも実にくだらない統計で、悪意さえ感じるけど、
やはりどの方面の人間も、
シナリオ通りにことを進めているような気がする。

何をしたら富裕層が喜ぶのか、
その顔色ばかり見て世界中が発言しているだけ。

子どもの飲み物 放射線測定

アクセス解析によりますと当ブログには、
「くらこん」や「三育フーズ」の放射線について検索された結果
いらっしゃっている方が一番多いようです。

遅ればせながらではありますが
子どもに飲み物を買おうとするときは
当面「サンガリア」がお勧めです。

放射線測定と原材料も公表していますし、
工場も岐阜県よりも以西です。
このくらい全ての企業がしてくれることを望みます。

国破れてサンガリア。
サンガリア製品情報のページ

真の文明は...

NHKの「日本人は何を考えてきたか」で、
田中正造と熊楠が扱われていた。
http://www.nhk.or.jp/nihonjin/schedule/0122.html

足尾銅山の鉱毒による周辺流域への害も、
当時の東大の調査では
「因果関係は認められない、多少の銅は体に良い」
というような結果だったらしい。どこかで聞いたような表現。
さすが東大。伝統が違うんだな。

まだ、銅による被害は続いているし、
東日本大震災によって、銅山の廃棄物の堆積物に亀裂が生じて、
有害物質が流れ出ているんだとか。
この放送を見てると、本当に今の原発事故と全く同じ状況。
多くの人がそう感じているらしい。

田中正造と一緒に抵抗運動をしたのは主に農民だったわけで、
当時の農民は字をしらないから、と言って愚かなわけじゃない。
今と別に変わらないと思う。
谷中から北海道へ移住した子孫の男性が
いまだに「田中さんは」と親しげに語るのが圧巻。
100年経っても田中正造への信頼は脈々と続いている。
けれど、当事者以外はみんな忘れるんだな。
田中正造は大した人だと思うし、大した考えを紡ぎ出したけど、
日本の教育の中で特に軽んじられてる気がする。
福沢諭吉や夏目漱石がお札になっている今の日本なんだから、当然か。

最近思うけど、私にとって立派な人の基準って、
この人は絶対日本のお札にはならないなーって思える人。

脱国家が実現する条件は
全ての国家によって同時にそれが行なわれることだ、
って言われてるみたいに、現状では、
全ての人が同時に被害者となって苦しまなければ、
多分永遠に、みんなが当事者意識を持つことは不可能なんじゃないだろうか。
被害者と非被害者が混在する以上は、
非被害状態が常に正常で、なおかつ、
たて直しの基盤になってしまう。
常に当事者ではない外部が、
もっともらしい“客観的な”意見をありがたくも授けてくれようとする。
それは自分の中にも起こること。
少なくとも福島で原発が吹っ飛んだくらいでは、
政府も大多数の市民もこたえないってことだ。
人類はもっと大きな危機を、
地球レベルの危機を必要としているんだな。

核戦争の用意をしている人々が、
現に世界で権限を握っているんだし、
みんなそんな人に頭を下げる仕組みで暮らしていて、
お金持ちや名声のある人を羨ましいって思ったりするんだから、
本当にばかばかしい。

唯一の被爆国?

「日本は唯一の被爆国」だという。
私もそういう言葉を使ってきた。
けれど、本当なのだろうか。
いや、大嘘だ。

「日本は唯一の被爆国だから核兵器の廃絶を訴える任務がある」とか、
そういう形で使われてきただろう。
私もそういう用法でこの言葉を認識してきたし、
私たち日本人が「当事者や現場の人間である」ということの「優勢」を、
この場合駆使してしかるべきだ、と思っていた。

最近、直也君から
「日本の自衛隊員で戦争したくてたまらない人は
国費で留学して米軍の前線で戦争しているらしい」と聞いてから、
憲法9条のことを考えていた。

私は、太田光氏と中沢新一氏の「憲法9条を世界遺産に」という考えが気に入っていたし、
その通りだと思っていたけれど、
日本国憲法は「日本国は戦争を永遠に放棄する」と言ってはいるが、
「日本人は戦争を永遠に放棄する」と言っていないんじゃないか、と思い直した。
そして「人類が戦争を永遠に放棄するために努力する」とも、
当然だが言っていない。

憲法は国家の維持のためにまずあるのであって、
それは、様々な場面で、
法律が弱者に対して現実問題の「あしかせ」になっていることからも、
わかることだ。

結局、国家のことしか考えていない憲法第9条なんて、
どうでもよくなった。
「日本人が戦争をすること」には全く干渉できないのだから。
そんな憲法を後生大事に思う必要なんてない。
私や私の家族や友人が戦争すること自体を止めることはできないのだから。

そしていつの間にか、
この「国民という単位ではなく国家という単位で語る」言語は、
「日本を唯一の被爆国」に仕立て上げたのだ。

今までだって、
核実験の場所や、ウラン採掘現場などでも被爆は起きている。
日本だけが被爆国だなんて全くの事実ではない。

私は広島・長崎の被爆者が、戦後、
核兵器の廃絶を訴えながらも、核の平和利用を認めてしまったことの恐ろしさを
最近よく考える。
核兵器と核の平和利用を分けずに、
その両者をはっきりと否定・公言してきた団体はおそらく、
原水禁と熊取6人衆とその周辺くらいしかいないんじゃないだろうか。
共産党も核の平和利用を認めていたらしい。

「当事者は真実により近い」という発想は幻想でしかなかった。
つまり犠牲者である当事者だからこそ、真実から遠のきもするのだ。
広島・長崎の被爆者とともに私たちは、
「日本は唯一の被爆国だ」と合唱してきた。
けれど、本当に私は被爆国の一員だと思ってきただろうか?
そんな感覚はなかったはずだ。それは大嘘だった。
本当に日本国民が被爆国の一員だと思っていれば、
日本国内に原発なんて作ろうという発想は生まれるはずはない。
しかも、広島と目と鼻の先に「上関原発」を作ろうなんて思うわけがない。

所詮、広島と長崎は被爆「地」でしかない。
もっと言えば、県全体ではない。
広島「市」と長崎「市」が被爆地なだけだ。
戦後日本人の本当の認識はその程度だったのだ。
結局、その程度の認識でありながら、
「唯一の被爆国だ」と大風呂敷を広げて二枚舌を使ってきたのだ。

「ヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマ、
日本という国はなにか特殊な国に違いない」
という感傷がはびこっているが、
それも現実から目をそらすシャーマンの歌声なのではないだろうか。
2度起こることは3度起こる、そしてもっと起きる。
なぜなら、問題をすり替える力を温存する精神性が
ずっとそこにあるからだ。
それをまず把握しなければならない。

日本は唯一の被爆国というスローガンは、
戦後ナショナリズムを支えてきた、という指摘に
心から納得する。
http://members.jcom.home.ne.jp/katote/Occuatom.html

ベネスエラのチャベス大統領は、対米・対資本主義の立場から、
キューバに見習って有機農法を推進しようとしているし、
遺伝子組み換え作物に反対している。
このように本当の対抗とは、
相手の価値観とは別の価値を見出すことのはずだった。
しかし、こと「核」に関しては、
資本主義も共産主義も、西側諸国も反西側諸国も
みんな一斉に、“相手に対抗して”「核」を持ち出した。
右も左も核を持ち出したのだ。
つまり、世界に別々の価値感なんて存在しなくなったということだ。
「核」は万能だった。
「核」しか人類の異なる価値観を超えられたものはなかったのだ。


加藤哲郎氏のネチズンカレッジに大変勉強させてもらった。
http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml

考え中

最近、パート勤務の休み時間を利用して、
2週に1冊のペースくらいでコンスタントに本が読めるようになった。
パート勤務が7時間になって忙しくはなったけど、そこは良い点。


この習慣になってから読んだ本で、
感動した本はたくさんあって、記事にしたいと思うものもたくさんある。
けれど、なかなか時間が取れなくて、書けないでいる。

感動する本というのは、たいてい答えがそこに書いてある。
だから難しいことはない。むしろ簡単。

けれど、先週読み終わった「ツナミの小形而上学」という本は手ごわかった。
答えが書いていないから。
答えじゃないから、本の文章をノートに書き写すということもできないような、
そんな読書体験。


「なぜ情報を得ても、ヒトは行動を起こせないのか、
それは自分が信じているということに確信が持てないからだ」と書いてあった。
確信を持つにはどうしたらいいのか。
それをずーっと考えています。


近代以降の法律の概念では、
悪には悪の為し手が、悪の為し手には悪の意図があるということが前提になっているそうだ。
しかし現代は悪の為し手に悪の意識がない、という。
(私からすれば、それは「悪の末端の為し手」のことでしかない、と思うけど)
それにどう対処していけるのか。

例えば、強姦罪は逮捕されるけれど、東電の社長は逮捕されない。
人間にとっての「悪」とはなんだろう。
私にとっての「悪」とはなんだろう。

物理的な悪と、自然による悪の違いはなんだろうか。

東洋では、自然は善悪の対象ではないが、なぜそうなのだろう。
自然災害が起きるのは人間に対する罰だという感覚を長く持ってきたのに、
(実際、河川の氾濫や火山の噴火で竜神・風神らに生身の人を供えてきた)
それなのになぜ、罰と罪悪という対の関係を結ばずに、私たちの意識に存在できるのだろうか。
そこに矛盾の意識はなぜ発生しないのか。


しかし、今は「システムの悪」の時代なのだそうだ。
現代の悪の為し手を、非人道的で卑劣な人間だと描写すればするほど、
反対にこちらの批判力は薄まってしまう、というこの本の指摘は鋭かった。
悪の為し手には、悪の意識はないのだ。
自分は国の未来のために、日本人のために、公益のためにやっている、
と思っているに違いないのだから。
だから、そこには空しい平行線の議論の形が繰り返されるだろう。
私たちに見えるのは所詮、「悪の末端の為し手」でしかないから。
(本当の平行線なんてこの宇宙には実在しないそうだけど)
悪の意識のないものの悪を正そうとすることの難しさだ。

小児科医の山田真氏の↓の言葉にははっとさせられた(こちらのブログから拝借)。


Q:原発をなくすために何をすればいいですか?

A:ぼくに聞かないでご自分で考えてほしいですね。
原発事故のあとであっても、石原があれだけの票を取ったということで、投票して勝てるという気はしません。多数を取って勝つということのしにくい国だと思います。多数を取るということでなく、勝つ方法を考えるしかないと思います。
 チェルノブイリで事故があった1986年のあとはいまよりもっとデモがありました。しかしあれも風化してしまいました。風化させないためにはどうすればいいのか、みんなで考えましょう。


相手をただ否定する力では勝ち目はない気がする。
私と同様、相手にも権利があるからだ。
だから、自分たちの権利を主張する事でしか、勝つ方法はないと思う。
数で制しようとするのは、たぶん非常にもろく、欠陥が多い気がする。

しかし、ずーっとまだまだ考え中。



くらこん・塩こんぶ・放射能表記

最近、パートの勤務時間が7時間になり、
お昼休みが入るので、おにぎりを持って行っています。
昨日、おにぎり用に塩こんぶでも買おうかと、スーパーの売り場を歩いていると、
「くらこん」の塩こんぶの袋に「放射能検査済み」と記載しているのを発見。


自然食品店でも、放射能に関しては記載がないものがほとんどだし、
いわんや、普通のスーパーにはろくなものがあるとは期待もしていなかったので、
ちょっとびっくり。やるところはやってます。
「くらこん」は昆布の放射能検査(自社&外部検査)を行っており、
工場は大阪と九州(宮崎)とのこと。

★くらこんの放射能検査についてはhttp://www.kurakon.jp/urgent_notice.html
 但し、分析機器の定量下限値は20Bq/kg(ヨウ素131、セシウム134、セシウム137)とのこと。

検出限界を公開していること、放射能検査について袋に記載している点など、
現状ではなかなか良い方の企業ではないでしょうか。

ただし、「くらこん」の塩こんぶには、
甘味料としてソルビトールが添加されています。

特に断りもないことから、天然由来のソルビトールではなく、
普通にブドウ糖から合成されたものだと予想されます。
添加物がNGな方には、不向きです。

まだましな甘味料の様子ですが→(参考サイトでは「危険なし」とのこと)
無論、化学物質過敏症の方にとっては、
不要な甘味料であることには変わりありません。

三育フーズの原産地表記2

昨日の夜、改めて問い合わせた件に関して、
三育フーズから返答来たる。早い回答。
応対に関しては、さすがというところ。
三育フーズからの回答は以下の通り。

中嶋森 様

再度お問合せいただきありがとうございます。
ご質問の件について、以下のとおりです。

<国内生産品と台湾生産品の見分け方>

  国内生産品 : CHF(袖ヶ浦工場製造)
  台湾生産品 : 原産国 台湾の表示がしてあります。

<弊社製品の製造工場所在地>

 植物たんぱく食品(缶詰類・レトルト類・ハム類) : 千葉県袖ヶ浦市
 大豆たんぱくシリーズ : 台湾(大豆たんぱくミンチ:千葉県袖ヶ浦市)
 国産大豆ミートシリーズ : 千葉県袖ヶ浦市
 麻婆豆腐の素・青椒肉絲の素・回鍋肉の素・デミグラス風ソース・華やかごはんの素 : 千葉県袖ヶ浦市
 豆乳類 : 千葉県袖ヶ浦市
 クリーム・ペースト類 : 千葉県袖ヶ浦市
 ジャム類 : 長野県
 紙パック飲料 : 千葉県袖ヶ浦市
 缶飲料 : 長野県
 ババロア・ゼリー類 : 千葉県袖ヶ浦市
 ラーメン類 : 静岡県
 パイ・クッキー・シリアル類 : 千葉県袖ヶ浦市
 梅肉エキス : 神奈川県
 ロマカフェ : 京都府
 その他 : 千葉県袖ヶ浦市

以上、どうぞよろしくお願いいたします。

三育フーズ株式会社
品質保証室
林 恵一

三育フーズの原産地表記1

食品の放射線量に関しては、
原材料表記の法制化が進んでいないため、
それがたとえ自然食品店で売っているものでも、
無頓着ではいられないのが悲しい。

まだサイトで原産地を公開しているところはいいけれど、
ただそれが本当に事実なのか、
はたまた、「不検出」と言えども、
『検出限界をどれくらいで設定しているか』という情報さえ公開していないところもあるから、
まだまだ売る方も混乱しているのは変わりがない。


卵乳菜食を謳う「三育フーズ」は自然食品店では常連メーカーなのだけど、
サイトでも産地を公開していなかったりする。
結局、逐一問い合わせなければいけないのが本当に面倒。

うちでは「グラノーラ」を最近買ったので、
先日問い合わせたら返事が来たので、その内容を公開します。
どなたかの参考になれば幸い。
しかし何年に収穫されたものなのかまでは分かりません。
ただし、三育フーズの対応は早かった。良心的かな。

中嶋 様

いつも弊社商品をご利用いただきましてありがとうございます。

またこの度は、お問合せをいただきましてありがとうございました。
お問合せの件につきまして、回答させていただきます。

グラノーラの原材料の産地について

オーツ麦 : アメリカ
小麦粉 : アメリカ、日本(北海道)
植物油脂 : オーストラリア
砂糖 : タイ、フィリピン、オーストラリア、南アフリカ、ブラジル、日本(鹿児
島、沖縄、北海道)
小麦胚芽 : アメリカ、カナダ、オーストラリア
アーモンド : アメリカ
ココナッツ : フィリピン
白ゴマ : パラグアイ、ボリビア
蜂蜜 : 中国
クルミ : アメリカ
食塩 : オーストラリア、日本(兵庫)

以上、よろしくお願い申し上げます。

また何かご不明な点がありましたら、お問合せいただければと思います。

三育フーズ株式会社
品質保証室
林 恵一

しかし、本社工場は千葉県袖ケ浦。
袖ケ浦の水道水の放射線結果を見たけれど、
検出限界も書いていないのでよくわからない。
検出限界が高いところは、なんでかというと、
そうした方が測定時間が短縮されるからなんだそうで、
だから、検出限界の数値からその組織(企業)の誠意は判定できる
、と私は思う。
検出限界を書いていないのはもってのほか。

グラノーラのことではないのだけど、
ネットの情報によると、三育フーズの大豆たんぱくシリーズは↓

(本家より転載:2011/08/19)
大豆たんぱくシリーズ
大豆 米国
製造工場 台湾の協力工場
製造者固有記号 国内製造品CHF 台湾協力工場は標記なし
とのこと。

今一度、どこで製造されているのか問い合わせ中。
製造者固有記号についても。
また回答が来れば、アップします。

肉の生食に関してはあんなに早い法整備をした国だけど、
なんで放射線の表記に関して法整備が進まないんだ。
わけわからん。
※参考リンク→OKフード
(↑ここはあくまで情報を共有するためのサイト。それ以上でも以下でもない)


あと、最近思うのは、
自販機の飲料も、原材料表記は商品にだけでなく、
価格表示板もしくは電照板にでも表示して可視化すべきということ。
購入前に知る権利はあるはず。
現行では、購入後にしか開示されないことになる。
自販機の原材料表記には、対面販売とは別の法律があるみたいで、なんだかおかしな話。
「サイトで公開してれば、事前通知になる」なんてことは都合よすぎ。

自分の事業所内に自販機設置している人は、
メーカー側が何と言おうと、
手書きでもいいから、一覧にして貼ってあげればいいのに。
消費者が声を上げたら、あるアイスの自販機は原材料表記をするようになったとか。
当たり前だけどね。

しかし、自販機を製造している主なメーカーって以下の通りらしいけど、
 <飲料及び食品自動販売機関係>……5社
  株式会社クボタ     サンデン株式会社
  東芝機器株式会社 富士電機リテイルシステムズ株式会社
  松下冷機株式会社

東芝かぁ。


松本市の学校給食、ウクライナ基準を採用

中日新聞のニュース(↓に転載)。

菅谷さんが市長だからこその方針。
でも、「西日本産や県内産は検査しない」というのは問題な気がする。
そうはいっても、もう40ベクレル/kgは覚悟しなくちゃいけない数字なのか。
やはり弁当持参にした方がいいんだろうな、と思う。


松本市、学校給食で放射線測定 ウクライナ基準を採用(中日新聞)

東京電力福島第一原発事故の影響で農作物が放射性物質に汚染された可能性があるとして、松本市教育委員会は3日、市内4カ所の学校給食センターで、給食用食材の放射性物質の測定を始めた。給食用食材の検査は県内の自治体で初めて。当面の間、汚染が懸念される地域の農作物を対象に毎日測定する。

◆県内自治体で初、当面は毎日測定

 納品時に食材の一部を対象に実施する。「サーベイメーター」と呼ばれる放射線測定機を食材に当てて計測。東北や北関東などの農作物が対象で、西日本産や食材の8割を占める県内産は検査しない。
 食品を対象にした国の暫定基準値は1キロ当たり500ベクレルだが、松本市教委はチェルノブイリ原発事故の汚染地となったウクライナの基準である1キロ当たり40ベクレルを採用した。
 この日は午前7時すぎから、西部(野溝西)、東部(原)、梓川(梓川梓)、波田(波田)の4カ所の学校給食センターで一斉に検査。
 市内の小、中学校38校、約1万9900人分の食材をチェックした。
 このうち、東部学校給食センターでは、センターの担当者が測定機で群馬産のキュウリ1箱を調べた。異常な数値は確認できなかったため、給食用として使うことを決めた。

 学校給食課の担当者は「給食で使用される食材の産地を市のホームページで公表しているが、保護者から放射能汚染を懸念する声があった。子どもの安全安心のために検査を続けていきたい」と話している。
 (出来田敬司)

市販のお菓子やおやつは、それが自然食品店のものでも、
放射線量がよくわからないので、家でケーキを焼くことが多くなりました。
201110050120111005022011100503

輸入食品のお菓子は、
原発のないデンマークやイタリア産のものを、買ったりするんだけど、
(隣国の原発が近いヨーロッパ製は、そうはいっても気休めに過ぎないけど)
輸入元の会社が東京だったりしないものの方が、
各家庭での被ばく量の管理はしやすいかもしれない。


ショック・ドクトリン

あるブログのコメント欄にもリンク先を載せたのだけど、
9月13日、大好きな哲学者の西谷修氏のブログに、
ナオミ・クライン著の「ショック・ドクトリン」の紹介記事がアップされていた。
岩波書店刊行の雑誌「世界」のサイトでも、
西谷氏の文章が読むことができる。
以下の通り。

9.11から10年、アメリカは「テロとの戦争」に失敗して、アフガニスタンやイラクに暴力的な混迷を作り出した。ニューヨークでどんなセレモ ニーを行おうと、「アメリカの戦争」のために命を落とし運命を翻弄されたアジアの何十万何百万の人びとは、何の慰めを受けることもないだろう。
 ところがこの戦争の「失敗」にもかかわらず「成功」したこともある。それは「ショック・ドクトリン」の適用であり、「衝撃と破壊」に便乗して 「規制」を撤廃し、国富を「自由化」された市場に流して吸い取る、社会的資産の「民営化」である。アメリカが政治的に失敗しても、この国家を操縦 する企業家たちはみずからの目的を果たしている。それを暴き出したのがナオミ・クラインの本だ。
 ミルトン・フリードマンの広めた新自由主義は、市場の「自由」を実現するために、戦争や体制崩壊や災害による社会の崩壊に便乗する。「破壊」は 社会調整のためのあらゆる規制や慣習を一掃し、市場の「自由」を実現する好機なのだ。けれども、そこで利益を得るのは、心をもたず利己的な収益だけを求めて活動する市場のプレーヤーとしての企業である。
 日本の震災後の「復興」も、外部資本の跳梁する「自由化」の機会にさせてはならないだろう。それは被災地の人びとをさらにもうひとつの「被災」 にさらすことになる。
西谷 修 (東京外国語大学大学院教授)
東日本大震災の一部の被災者には家電6点セットが、
日本赤十字の義捐金によって渡されたという。
しかし、多くの方がネットで証言している通り、
その全点が、原子力プラントメーカー「東芝」製の家電で届いたりしているらしい。
確かに東芝は、日本赤十字に5億円の義捐金を寄付しているらしいので、
その兼ね合いもあるのかもしれないが。


けれど、
「もう原発なんかごめんだ」と思っている被災者の中には、
「原子力プラントメーカー製品なんて嫌」という心情の人も少なくないと思うのに、
俄然その手のメーカーの製品をあてがう日赤は、
ちょっとデリカシーがなさすぎるんじゃないだろうか。
ただで支給するんだから、「そんなこと配慮する必要はなし」なんだろうか。
結局、義捐金が東芝製品や日立・三菱製品の商品シェア率に貢献しているんだったら、
一体どういうことだろう。


どんなに甚大な事故を起こしても、義捐金という形で市民から資金を調達し、
自らの企業シェアを伸ばす、ということが起きているのだったら、
これも「ショック・ドクトリン」そのものじゃないだろうか。
この理屈でいくと、
日本赤十字に義捐金を寄付した人は、「ショックドクトリン」に与したことになり、
こうして、市民の大多数を共犯者に仕立て上げることができる。

税金が無理なら、義捐金によって。



原子力プラントメーカー↓
plantmaker

311以後の世界?

最近、土壌や農産物の規制値(基準値)などを調べていたら、知ったこと。
以前もこのブログで、
60~70年代は核実験が世界各地で行われていたので、
“60年代や70年代の空間中の放射線量は今より高かった(もしくは同等)?”
なんて記事を書きましたが、
下記のサイトに、その通りデータが出ていました。


● 「農業環境中に存在する放射性核種の一般公開システム」
(独立行政法人 農業環境技術研究所)
http://psv92.niaes3.affrc.go.jp/vgai_agrip/samples

また、この研究所によって平成19年には
1986年のチェルノブイリ原発の事故によって、
少なくともセシウム137は日本に飛来し、
311以前にも、農作物や環境中で検出されていたことがわかっているそうです。


まるで311以後、世界は変わったように皆は思っているし、そう言う。
私もそうだ。だけど、それは間違いじゃないか。
311以前に、もう始まっていたのだ。
少なくともヒロシマ・ナガサキから。
このような、311以後と以前で区切るやり方・発想こそが、
結局は、ヒロシマ・ナガサキの原爆を経験してもなお、
核の平和利用=原発という矛盾を認めてしまった私たちの責任を放免することになりはしないか。
311以前も同様に、絶え間なく私たちは間違ってきたのだ。

しかし、その間違いに気づいて警鐘を鳴らし続けていた人はいた。
たとえば有名なところで言えば、高木仁三郎氏など。
人っ子一人、誰も気づかなかったわけじゃない。
人はそれに気づけたはずなのだ。

そう思いながら読んだ、
今日付けの「シナジェティックス研究所」の梶川泰司氏のブログのテキストはこうだ↓
客観的


被曝したら
楽観主義者は
 政府の検出データを見るが
 悲観主義者は半減期をみる。

しかし、
 結果が同じなら
 主観的である。

客観的とは
 それらの結果を
 より少なくする行為である。


そうだ、そうなのだ。
主観的でいる限り、事態は改善されない。

これは、上のテキストと直接関係ないのだけれど、
例えば先述の高木氏が気づいたように、
そのことに「気づける能力」とそれを「行動に移す能力」を、
いかに生んでいくか、育んでいくか、
その方法の発見と確立こそが、人類にとって1番急務で、
値打ちのある仕事であるはずだ
、と思った。
この意味でいけば、
すべての人にやるべき仕事はある。
仕事のない人などいない。


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タレントの島田紳助氏引退の騒動の日、
そのかげで?可決されたのが「汚染がれき処理法案 」だったそうだ。
なんと反対したのは共産党の議員だけ!
この法案は当初、全文非公開だったようで、
4日後公開された全文を見ても、はっきりとした放射線の基準値は明記されていない。
8月26日の報道では(現在はそのソースは削除されている)、
「同法に基づく中長期的な汚染除去の指針や基準は、環境省が今秋までにまとめる。」
とされている。
法案が通ってから、官僚に数値を決定させるというこのシナリオとは、、、。
それで、環境省がまとめたとの報道が↓。

「10万ベクレル以下は埋め立て=放射能汚染のごみ焼却灰-環境省」(時事ドットコム)

 環境省は27日、東京電力福島第1原発事故で放射性物質に汚染されたがれきやごみの焼却灰のうち、これまで一時保管するよう求めていた放射性セシウムが1キロ当たり8000ベクレルを超えるものについて、10万ベクレル以下の場合は一般の最終処分場での埋め立てを容認する方針を決めた。地下水への汚染防止策などを講じることで、安全な処理が可能と判断した。
 具体的には、焼却灰をセメントで固めたり、屋根付きの処分場を利用したりすることで水との接触を防ぎ、セシウムが流出しないようにする。埋め立て後は、処分場の排水や周辺の地下水の監視などを行う。
 同省はこれまで、8000ベクレル以下を埋め立て可能とし、この基準を超えたものは、処分方法が決まるまで一時保管する方針を示していた。10万ベクレルを超える灰の扱いは、周囲をコンクリート壁で覆った産業廃棄物用の「遮断型最終処分場」への埋め立てを軸に検討する。(2011/08/27-21:35)



環境省の発表はこの通り。8月31日。
「8,000Bq/kgを超え100,000Bq/kg以下の焼却灰等の処分方法に関する方針について」

これによって現段階で廃棄埋立処理に関わる放射性セシウムの暫定基準値が、
10万ベクレル/kgまで緩和され、
この基準値以下であれば日本中どこの自治体でも焼却・埋立処理が可能となった、ようだ。
ちなみにこの法案成立以前の埋立可能基準数値は、8千ベクレル/kgだったそうです。
約12.5倍になりました。
こうして全国の自治体のゴミ処理施設に放射性セシウムが配られる可能性があります。

8月8日号の雑誌「週刊AERA」には、
「放射能汚染ガレキ受け入れ表明、全国自治体一覧」が
掲載されたようです。


先ほど一旦掲載したのですが、相方の直也君が長野県に問い合わせたところ、
AERAの記事そのものが正確でないことが分かりました。
このAERAの一覧は、
「4月初旬の段階で環境省から災害廃棄物(被災地のがれき等)を受け入れることができるかどうか?」</b>
という可能性についての調査があったときに、
可能性があると回答した自治体を掲載しただけの話のようです。
その時点で、放射性物質を含む廃棄物とは明記されていなかったそうです。
これに関して多くの自治体がAERAに抗議しているそうです。

R60国産野菜

実は、ある方面から松本市が土壌の放射線測定をしたとは聞いていたのだけど、
今日、松本市のHPを見たら、公開されていた。


農地土壌の放射性物質検査結果
1 検査方法
 ゲルマニウム半導体検出器で測定。検出下限値 10ベクレル/kg
2 土壌採取
 松本市内9地点の各ほ場ごとに5ヶ所から土壌を採取
3 分析機関
 茨城県日立市弁天町3-10-2 日立協和エンジニアリング(株)
4 検査結果

-------------------------------------------------------------------------------------
       採取箇所         採取日              測 定 結 果 
                                                   ヨウ素131  セシウム134   セシウム137
-------------------------------------------------------------------------------------
井川城 島内 中山 里山辺
今井 梓川 四賀 波田      H23.8.17         不検出     不検出     不検出
-------------------------------------------------------------------------------------
奈川                 H23.8.17        不検出     不検出      13ベクレル/kg
-------------------------------------------------------------------------------------


奈川地区で微量のセシウム137が検出されましたが、原子力災害対策本部が示した、
土壌中の放射性セシウム濃度の上限値(5000ベクレル/kg)を大幅に下回りました。
今回の検査結果は、農産物を生産する上で、問題のない値です。(担当 農政課)

不検出はゼロのことではないから、
松本の土壌は限りなく10ベクレル/kgだと思った方がいいと思った。
当然場所によってはそれ以上かもしれない。


続いて、県のHPの「県内産農産物等の放射性物質測定結果」を見ると、

『 長野県内産農産物等から、食品衛生法の暫定規制値を超える
放射性ヨウ素及び放射性セシウムは検出されておらず、
安全性が確認されています。
(実施回数:47回、検体数:156 ※回数・検体数は米の検査結果を除きます。)』


とのことらしいが、例のごとく、暫定規制値は以下の通りだ。

【暫定規制値】
   野菜類(果実、きのこ、魚含む)     放射性ヨウ素(I-131):2,000Bq/kg    放射性セシウム:500Bq/kg
   牛乳・乳製品              放射性ヨウ素(I-131): 300Bq/kg      放射性セシウム:200Bq/kg
   その他(肉、茶、麦、そば)      放射性セシウム:500Bq/kg

この野菜類500ベクレル/kgとはどういう数値なのか

以下のようなわかりやすい図を見つけた。
http://kingo999.web.fc2.com/kizyun.htmlそれによると、
チェルノブイリの原発事故の被害を受けた国の規制値は、
ウクライナで40ベクレル/kg、ベラルーシは100ベクレル/kg。
それに対して、どうなってるんだろう、日本は!?
日本の食品の輸入は多くの国で禁止されている。
ここ長野県の野菜も輸入禁止になっている。
こんな事書くと失礼だけど、あれだけ農薬でたたかれている中国にも、
ここ長野県の野菜は輸入禁止扱いなのだ。
下記リンク参照(PDF)↓
http://www.maff.go.jp/j/export/e_info/pdf/kensa_0906.pdf
 

内部被ばくの影響が出るのは、5年以上先。
東北を応援したいがために、こんないい加減な基準値で出荷される食品を食べて、
健康に被害が出ても、一体、医療費の保険料は誰が払うんですか。
税金で、他人に払ってもらうんじゃないですか。
「もう大人だし」とか「子供を今から産む訳じゃないから食べます」なんて言う人は、
それをどう考えているんでしょうか。
自分の糞尿に含まれる放射性物質は、どうなると思っているんでしょうか。
東北を応援する気があるなら、将来の子供たちを応援してよ!!

安全な食品なんてもうないのかもしれない。
でも、今こそ食について考える時じゃないでしょうか。
普段、ダイエットで煩雑なカロリー計算をして、
「ぐっ」と食べるのを我慢できる日本人なのですから、
このくらいのことは訳ないんじゃないでしょうか。


故郷への愛情だかが、避難を躊躇させているのかもしれないけど、
ここまで国土を汚染されて、1番激しく怒らなくちゃいけないのは、
本来、右翼の方じゃないのではないでしょーか。
有事有事と騒いで、軍隊の保有を願っておきながら、
これだけ原発を建てちゃったら、原発攻撃されてハイおしまいじゃないでしょうか。
国防上、原発の保有は非常に危険じゃないでしょうか。

とにかく、もうこの地球が嫌だ。


避難の権利

避難の権利というのは、東電に対する賠償請求活動を支援しておられる、
弁護士の福田健治さんが使われている言葉です。


この動画で、初めて「予防原則」のこと、「日本国憲法前文」のこと、
「こどもの権利条約」のことを知りました。

国家が市民を避難させないこと、避難させてもその区域の狭いこと、
それらを非難するのはみんながやっていること。
けれど、それってちょっと違うんじゃないか。
国家が市民を「避難させる義務」を問うよりも、
そろそろ、
市民側が「避難する権利」を主張できる環境のサポートの方へ転換すべきなのだ。
これは全国民にとって長期戦なのだから。
使える法律はたくさんある。


<予防原則>
●予防原則(よぼうげんそく)とは、化学物質や遺伝子組換えなどの新技術などに対して、
 環境に重大かつ不可逆的な影響を及ぼす仮説上の恐れがある場合、
 科学的に因果関係が十分証明されない状況でも、規制措置を可能にする制度や考え方のこと。
ーーーそもそも放射線被害に「しきい値」など存在しないわけだけど、科学的数値の是非を云々する前に、こうした考え方が国際的にも成立している、ということ。この原則には不備もあるようだけれど、正しいデータが遅れてやってくる現状を考えると、理にかなった考え方だと思う。


<日本国憲法前文>
福田氏の触れた部分抜粋
●われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
ーーー放射線に対する恐怖は、これに該当する。


<こどもの権利条約>

環境汚染の危険を考慮に入れて、基礎的な保健の枠組みの範囲内で行われることを含めて、
 特に用意に利用可能な技術の適用により並びに十分に栄養のある食物及び清潔な飲料水の供給を通じて、
 疾病の予防及び栄養不良と戦うこと。(24条)
ーーー子供に被ばくの恐れのある食料を供給することは、条約に反する。


権利は国家によって与えられるのではなく、
人間がもともと持っているものである。
福田氏の言われる、
「国家や行政によって、地域や集団単位で命令されて避難させられるのではなく
 自分で情報を集めて、自分で考え、個人が判断して避難する」
というのが本当のあり方なんじゃないだろうか、
と改めて思った。



記録

※<7月22日15時40分記す。>

昨日16時に議員さん一人でいらっしゃる。
私一人で応対のつもりだったが、直也君が早く帰ってきたので、3人で話しをする。
約1時間超。
思いのほか、というのは失礼だけれど、原発事故のことを勉強されていた。
かつ、決めつけたりしないのが、いい感じがした。
私のメールを受けて、ご自身のブログでも記事にしてくださっていたようだった。
黒部先生の未来の福島こども基金のこともリンクしてくれたそうだ。
中立性を欠くといけないので、議員さんの名前は一応、伏せたままにする。

原発の即時停止を言っている政党に所属してるだけあって、
放射能による被害をかなり長期的に、深刻に考えておられた。
とてもフランクで話しやすい方だったので、いろいろ話してしまった。
まゆみさんに教わった飯島秀行氏のことと、氏の“テネモス”の資料をプリントアウトし渡し、
シナジェティックス研究所の梶川泰司氏のブログ読んでください、と言っておいた。
(興味をかなり持っておられた)

当初は、放射線測定器(土壌・作物と環境中と人体用の3種)の貸し出しを希望していたのだけど、
話をしているうちに、
松本市が、市民側が望めばいつでも放射能汚染の分析調査をしてくれる体制づくりをしてくればいい、
という話になった。
それも要望として出してくれるそうだ。
「簡単にはいかないでしょう」と議員さんは言って、「なにしろ初めてのことですから」と。
とにかく経過も教えてくれるようです。

気にしている人は、そうでない人からすれば、”気にしすぎな変人”でしかないし、
永遠の野党である共産党に今回お願いしているというのも、
体制側からすると馬鹿にしたくなるような要素でもあるんだろうだけれど。

しかしなんで、何にもしてないくせに体制側の人は自信満々なのかね。
 
※<7月21日土用丑の日、13時半記す。>
今朝6時に、共産党の市議会議員さんから自宅に電話あり。
今までに何度か電話をくれた様子。
今日、16時にうちを訪ねたいとの申し出あり。
16時に約束。
何を話そうか、何でも話してみるつもり。

※<7月14日17時前記す。>
日本共産党中央委員会の返事くる。
以下の通り。型どおりな返事。

メールありがとうございました。
 ご意見は、党指導部、関係各部門に報告し、今後の政策立案、宣伝活動、国会質問などの議会活動、「しんぶん赤旗」編集などの参考にさせていただきます。
 今後ともよろしくお願いします。
*************
 日本共産党中央委員会
 国民の声室メール係     

※<7月14日14時記す。>
松本の共産党の議員さんより返事あり。
主に何の放射線量を測る測定器が望んでいるのか、の確認のメール。
返事を希望されたので、以下のように返信。

お忙しい折、わざわざお返事いただきましてありがとうございます。
特には土壌と、作物の放射線の汚染を知りたいと思っています。
 
環境中の放射線、人体の放射線、土壌や作物の放射線、
それぞれは別の測定器になるようです。
尊敬申し上げている、
チェルノブイリ子供基金&未来の福島こども基金の黒部信一先生によって
そのことを知りました。
http://mirainofukushima.seesaa.net/
http://blog.goo.ne.jp/kodomofukushima
全てを1台で測れる測定器はなかったか、あってもかなり高価なようです。
 
できれば、行政には、その3種の測定器が貸出用としてあることが
望ましいと思っています。
野菜は特に、作物の種類によって放射線量は全く異なってきます。
多種類の作物を栽培している圃場において、
1作物だけを測定しても、意味がありません。
ですから、1検体(作物)うん万円するようでは、百姓はやっていかれません。
 
前回のメールは、
同じような内容のメールを、共産党中央委員会様にもメールさせていただきました。
 
とにもかくにもお返事、心より御礼申し上げます。
 
中嶋 拝


<7月12日午後5時記す。>

今日、松本の日本共産党の議員と、
共産党の中央委員会に下記の内容をメールで依頼。

ご多忙の折、このような形で突然メールさせていただき恐縮です。
私どもは松本市波田で畑と田んぼをやっているものです。
松本市ではチェルノブイリにも行かれていた菅谷さんが市長だということもあって、
被爆対応に関しては他の自治体よりは幾分かましなのかもしれませんが、
いかんせん、波田での放射線量の測定は地上4メートルで行われており、
また、昨今ホットスポットのことが知られるようになり、
1箇所の定点観測では全く信用ができません。
実際、自分たちの圃場の放射線の汚染度はいかばかりかと思い、
市と長野県に問い合わせましたが、個人の依頼で放射線を測ってくれるところの
情報は持っていないということでした。
 
埼玉県のある自治体ではガイガーカウンターの貸出サービスがあるようですが、
市と県ではそういったサービスの予定もないとのことでした。
ならば、と思い、主人が東電に問い合わせましたが、
東電も全く同じような返答でした。
 
当方は、草生栽培で無農薬で栽培しています。
農協を通さないで自主流通で販売を考えていますが、
このままでは「安全な野菜」とは決してお客さんにうたえません。
個人でのガーガーカウンターの購入は、貧しい私どもには難しく、
既に行なっている他の自治体のように、
自治体でガイガーカウンターを購入してもらい、貸し出してくれるような
サービスを行なって欲しいと思います。
 
第一には東電が放射線測定器を買い、
自治体に貸出用として配るなどのことをしてしかるべきだと思います。
自分や購入者の体を害するために農作業をするのかという不安は、
私どもには耐えられない精神的苦痛です。
 
脱原発を明言されている共産党さんに、
どうか、議会でも提案していただけないでしょうか。
よろしくお願いします。
 
390-XXXX
松本市波田XXXX
026X-XX-XXXX

中嶋森

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