ノ ー ト

好 き な 読 書 を 中 心 に 考 え 中 を 記 録 す る ノ ー ト

スペイン

スペインのこと 2

一昨日の記事を読み直しますと、
なんだかことばが足りてなくて、
言いたいことが表現しきれていない不満な気持ちもあるのですが、
「外国に行くと外国かぶれになるか、反対に愛国主義者になるかのどっちかだ」
と言われるのならば、
そのどちらにもなりたくないのです。
極端にどちらかに偏るとしたら、やっぱり思いやりに欠けることになる。
そして、
「自分のことばで表現する」というのは、
私にとって、
「日本語で表現する」ということなのだと思うのです。
そういうことを、「スペイン」を通して書きたかったのだと思います。

そして、
全くスペインでの生活であるとか、文化について触れていませんでした。
私の住んでいたグラナダという街は、アルハンブラ宮殿で有名で
スペインの南のアンダルシア州にあります。
スペインがヨーロッパの縮図であるならば、
アンダルシアはイスパニアの全てが凝縮していると言われていて、
アラブ建築からムデハル様式、ゴチック、バロックまで、なんでもありです。

だけれど、
カルチャーショックの類は、わざわざ外国に行かなくてもどこにでも転がっているもの、
当たり前のことなので、それについていろいろ書く気はしません。
多くの人が言うとおり、
“ファッションや音楽といった共通する記号を持つ都市間の距離よりも、
都市と農村、親と子の間の距離の方が大きい”
と思うのです。
遠くへ出かけても、結果何にも見てこなかった人もいれば、
どこにも行かなくても、いろんな事を見ることができる人がいます。

でも、スペイン暮らしや旅行は大変楽しいものです。
日本人にとって、食べ物も口にあいますし、
恐らくヨーロッパ言語の中でスペイン語が一番容易です(発音がローマ字よみなのです)。
そして、もし南部へ出かけるのなら、南部のどこかの町で
聖週間(復活祭)のパレードを見ることを是非おすすめします。
そして、キリストやマリアの山車に向かって、
バルコニーなどからアカペラで歌い捧げられる
“矢”という名の「深い歌」を聴いてみてほしいと思います。
この聖週間で奏でられる楽隊の音楽、歌、その全てに、
いわゆる「スペイン音楽(バスク等を除く)」のエッセンスがつまっています。

ジプシーの檀家は、ジプシー人のキリストやマリアの山車を持っていて、
特に、辻を横切るマリア像に向かって声をかけ、号泣する人も多く、
見ていて壮絶なものがありました。
私はキリスト教徒でも何でもありませんが、
日本人にもキリスト教的秘儀を少し垣間見えるような気がするものです。

聖週間の山車は、各地区の教会がそれぞれ持っていて
名誉ある山車の担ぎ手は檀家の中から選ばれます。
この山車を管理している信徒会のルーツはギルドであり、
1936年から始まったスペイン市民戦争で、負けた自由戦線側の兵士たちが
この信徒会に受け入れられ山車の修繕や制作にかかわった歴史もあるようです。
(もちろん、労働階級出身の兵士も多かったので。)
ですから右派も左派もない、受け入れることによって、
スペインの保守性は教会を中心に俄然続いてきたように思われます。
(ギルドが発端の秘密結社などがあることを考えると、
やはり金属などの資源・工芸と秘儀は、抜き差しならぬ関係なのでしょうか)

でも、山車に関して言えば、
ジャンルも技術的にも異なるので、比較するのは間違いかもしれませんが、
高山祭の山車の方が工芸的には勝るかもしれない、なんて、
結局、興ざめなことを書いてしまうワタクシなのでした。


<聖週間の様子>
http://jp.youtube.com/watch?v=MWUwTLCcEYY&feature=related
<object width="320" height="264"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/MWUwTLCcEYY"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/MWUwTLCcEYY" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="320" height="264"></embed></object>


<「矢」サエタ>
http://jp.youtube.com/watch?v=bTHUMkxWdVA&feature=related
<object width="320" height="264"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/bTHUMkxWdVA"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/bTHUMkxWdVA" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="320" height="264"></embed></object>
...もっと違う歌手で良いのがyou tubeでいっぱい見れますが、
状況が良くわかるもの↑



スペインのこと

※昔のブログから移動してきました。


なんだか急にスペインのことが書きたくなりました。
自己紹介の一貫にもなる気がするので、書いてみます。
前置きですが、
文中に出てくる「日本人」とか「スペイン人」という総称は
世間で便宜的に使われる、一般的な意味でしかありません。
いわゆる「日本人」も「スペイン人」も存在するわけでない、ということを、
決して忘れるものではありません。


私は中学校を卒業してから約1年半、
単身でスペインのグラナダという土地に暮らしました。
まぁ、たったの1年半ですから自慢にできるものではないのです。

私の中学生時代は本当に悲しいもので、
他の生徒や先生から、強い孤立感を抱いていました。
その頃は、京都の大原に住んでいて、
やはり、人目を避けたかった平徳子(建礼門院)が
隠遁のために選んだ土地であるくらいですから、大原は閉鎖的な空間でした。
観光地ではあるけれど、地元民というのは少なくて
京都はただでさえ閉鎖性があるけれど、
余計に、大原はよそ者が孤立してしまう環境もあったのかしら。

決していじめられていたわけではないのですが
担任のある男性数学教師から毛嫌いされていたのもきっかけの一つだったと思います。
その頃の私は本当に生真面目で、軽いノリが出来なくて、
とにかく受け流すということは全く出来ませんでした。
面白いことを言わねばならないという関西独特のプレッシャーにも
限界が来ていた気がします(今はお笑い大好きですが)。
なので、中学3年生の後半は、
例の自律神経失調症(とかくなんでもこの症状だといわれた時代です)で
人前に立つだけで呼吸困難になったり、みんなに嫌われているといった被害妄想で
学校に行くのが嫌で嫌で、不登校気味になりました。
その頃の私には、世の中が嘘だらけに見えて
「優しさが大切なんて思っている人なんか、本当にいるのだろうか」という疑念で
友人たちのことも侮辱していた気がします。
ちょっと例えが良すぎるけれど、
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のジョバンニの気分です。
比較的仲の良かった友人でさえ、カンパネルラに思えて、
友と別れて「自分はひとりでいかなければならないんだ」などと思っていました。

そんな私だったので、高校進学は恐怖でした。
こんな生活がまた続くかと思うと絶望を感じていたのだと思います。
学校がとにかく苦手なのです(今でも)。
一方的に、優劣と競争が強いられる感じがどうも耐えられないのです。
そんな私を見ていたのでしょう、
父親から「高校に行かず海外留学したらどうだ」と持ちかけられ
私はとにかく環境をガラリと変えたかったので即決しました。
当初はハンガリーかスペインが候補。
父の、英語圏は危険だというイメージ(本当はスペインもだいぶと危険なのですが)と
英語圏だと日本人が多そうだし勉強にならないのでは、という心配があったし、
何よりかつて学生運動を熱心にやっていた父なので
スペイン市民戦争のイメージと東欧が好まれたのでしょう。
ハンガリーは情勢不安もあって却下され、
父の家は父以外みんなクリスチャンで
父の兄が上智大の神学の教授だったり、
親族が東京のイグナチオ教会で何某の役付きだったりして、
スペインに紹介できる日本人神父がいるから、ということで行き先がスペインになったのです。
そんな訳なので、他人からは「すごいね」と言われもしましたが、
私としては高校進学というものから逃避した、という意識の方が強いのです。

私がなぜ、スペインでいいと思ったかあまりよく覚えていなかったのですが、
私も何となく「日本人の多そうな英語圏は嫌だ」という気持ちがあったし、
父の古くからの友人で、スペインのイビサ島に12年住んでいた人があり、
中学3年生の夏休みにその人の家に泊りこんで、
エステバン・サンツというスペインのシュールレアリズムの画家と接したことも
スペインを間近に感じた理由であると思います。
その後、「ロルカ・ダリ」というスペインの詩人と画家ダリの友情を取材した本を読んで
いたく感動した、ということもあります。
本に載っていた、詩人ロルカがダリに捧げた詩の中の、
「オリーブ色の声をしたダリ」という表現に、すっかり魅了されてしまったのです。
(正直言うと、ダリの絵は全く好みではありません。)
スペインの強い太陽光線を想像すると、
京都という大変に高湿度の土地にいた私にとって
ジメジメとした心も、カラッと乾かしてくれそうな予感がしたのです。
小さい頃にTV放送で見た、
古いモノクロームのヨーロッパ映画の中の、
太陽の日差しが強過ぎて、情景が真っ白に映ったシーン。
まるで白昼夢のようなその情景は、今でもとても好きなのですが、
当時の私も、スペインにその情景を重ねていました。
暗くて何も見えなくなるより、明る過ぎて見えなくなることを
どこかで望む気持ちがあったのだと思います。

スペインを「ヨーロッパの縮図だ」という人もいるくらい
実はスペインという国は地方によってまるで異なります。
気候風土もさることながら、
国家公用語のスペイン(カスティーリャ)語以外に、6つの言語が使用されています。
陽気で太陽の国という印象は、私にはありません。
スペインの公式イメージ「光と影の国」の影は、
とてもとても陰鬱で暗いものです。

イスラムやユダヤ勢力が残るイベリア半島を
キリスト教王国が統一したのが1492年で、
スペイン国女王が資金援助していたコロンブスが新大陸を発見したのも同年です。
スペインという国は、国内の統一と同時に植民地時代が始まったので、
いわば外へ外へと拡張していく運動体であったとも言えます。
ここにおいて、
「スペインがスペインだけであったことはない」と言われるゆえんです。
そして、植民地時代、
中南米へ多くのスペイン人が渡り残虐な行為をしたわけですが、
多くの人々がエストレマドゥーラ(一部の説では「極めてひどい土地」という意味 )地方という
内陸放牧地帯の遊牧的習性を持つ(つまりは経済的に安定し得なかった)貧しい出自であったわけで
自国スペインに絶望して移民となった結果だということだし、
ちょうどその頃、聖テレサを代表する極端な神秘主義がさかんであったこと、
ルネサンスの影響の強いイタリアの詩人で人間を「神の似像」と捉えたペトラルカ
(ヒューマニズムの父と言われるらしいです)
の詩がイベリア半島を一世風靡したことなどは、
何だか同義である気がしてならないのです。
つまりは、
現実に望みが持てなかったからの逃避であったのではないだろうか、と。
スペインから帰国後のノートに
「永遠に自己を満たしてくれない、しかしそこへ向かう以外にはない永遠に、
 外なる空間があるばかりの彼らにとっては
 現に生きる自己の外に出ることによってしか、自己を自己とする途を求め得なかった。
 自己の外へ向かっての自己追及であり、自己脱出による自己造出」
「己が抹殺を生きる者すべては、誰にもまして形而上学のとりこになっている」
という、スペインの植民地時代を論じた著作の中からの写しがあります。
当時も思ったことで、実に自己陶酔的なその文章表現に許せざるものを今も感じるけれど、
ノートにわざわざ取った私のその頃の心境と、
やっぱりスペインの影の部分をこういうスピリチュアルな角度で著わす人があるということは、
限界を感じていた自分とスペインという国を結びつけた何かがあるのだと思う。
日本の外に救いを求めた私でしたから。
しかし外に救いを求めるということは、
つまり内が貧しいということに他ならないのです。
それが今はわかる。
内が豊かであれば、外に矛先を向ける必要はないのだもの。

そうして1648年の「帝国の死亡宣告書」と言われるウェストファリア条約で、
スペインは完全敗北をして、
「ルネッサンスなき国」として屈辱を感じながらその後、
1898年まで250年間続く“無為症を病んだ”「暗黒時代」に突入していきます。
この暗黒時代の影響は、今の国民性にも色濃く残っている気がします。
スペイン人は非常に自虐的で、
この自虐性は日本にも通づるところがあるな、と思うのですが
プライドが強く馬鹿にされるのを嫌うので、
他人に言われるぐらいなら、と自分から自分を卑下する傾向が強い気がします。
今、フランスで会社を経営している日本人の方に、かつて
「フランスの方が日本人多いけど、日本人はスペインの方が合うよ」
と言われたことがあります。
陽気で激しいイメージのスペイン人は、日本人と真逆のように思われがちですが
私も、極東の日本と、
ピレネーを越えたらそこはアフリカだ、と言われ続けた「地の果て」スペインは
なんだか共通する部分を感じるのです。

ちなみにスペインのポップス(死語?)には、日本のそれに似て
スペイン語の歌詞にサビ部分だけ英語、という曲がたくさんあります。
たしかにアジアには顕著な傾向かもしれないけれど、
同じヨーロッパなのに、スペインは文化的にねじれてるなーと思います。

スペインの代表的な思想家の言葉に
「自己を再び人間が取り戻すには、歴史として取り戻すほかない」
というものがあります。
今考えると、世間が植えつけた「暗黒時代」という歴史観に
盲従してきた自分たちを問い直そう、というものだったのでしょう。
そんなスペインと、みずからで戦後処理をしてこなかった日本とが、
どうもシンクロしてしまうのです(これこそが客観性を欠いた感情移入そのものですが)。
先日また偶然、NHKの伊丹十三さんの特集の一部を見ていたら
十三さんの父の伊丹万作さんの言葉が紹介されて、とてもドキリとしました。
ちょっと長いですが引用してみます(かなり省略しています)。 

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃え
 てだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた
 人間はまだ一人もいない。

  そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分
 の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、
 戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたして
 いるだろうか。

  いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つてい
 たとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるに
 ちがいないのである。

  もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そう
 いうものであろうと思う。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷
 状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許し
 た自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に
 救われるときはないであろう。

 「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解
 放された気でいる多くの人人の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将
 来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

 「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でも
 だまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めている
 にちがいないのである。

ことあるごとに「日本は負けたからしょうがない」というお年寄りの、
戦争を生き抜いたご苦労をねぎらいたい気持ちはあるけれど、
やはり問題はそう簡単ではないのだと思う。
(でも、戦時中生きていたら、私も「だまされた」と言ったでしょう。)
上の意味において、日本が戦争責任を自らでしてきたとは言えない。
だから日本人がよく使う「島国根性」とか、そういううわべだけの自虐的な言葉は
それ以上の追及を恐れる、コミュニケートを拒絶した態度と同じ気がするのです。
昔の私はそうでした。日本が嫌いだと思っていました。
でも、今の私はそうやって論武装することはしたくない。
武装解除が1番の安全策だ、というペシャワール会の中村哲さんの言われるとおりだと思います。
誤解があるといけませんが、
自虐史観は止めろという、マッチョなタカ派な立場ではないのです。
先日毎日新聞の解説委員の方が
「ある一部の人たちが自虐史観を持つなって言うけれど、
反省することって自虐的なことなのかなぁ?」
むしろ、逆だろうって言っていました。そうだと思う。
反省は自虐行為とは違う。

話が逸れてしまったけど、
私にとってのスペインは、やはり私の写像なのだと思う。
かつての私は、スペインに行っていたという経験に依存していたし、
まさに類は友を呼んで、自虐的なスペインが私には必要だったのだと思う。
(勝手にスペインの自虐的な部分を抽出したのは私なのですが)
だけれど、今の私は、
もちろん、フラメンコもスペイン料理も街並みも大好きだけど、
それらは古い友人のようで、束縛し合うものではありません。
昔はスペインに移住することを夢見ていたこともあったけれど
今はもう、そんな風には思わない。
スペイン語も勉強していきたいけれど、
でも、それよりも、
私にとってのうつくしい日本語をもっと身につけたい。

こうして、私にとってのスペインを
今の私はスペイン語を1字も使わずに書くことができる。
これが、私のにほんごです。

もちろん日本語だって借り物です。
でも「また借り」はできるだけしたくない。
もし、日本語が借り物であれば、私の肉体も存在も借り物。
ことばはそういうものだと思う。

なんだか、だいぶ端折った気持がするけれど、一応これで投稿してみます。
また加筆する気がします。



スペインなるもの

「スペインなるもの」とは何か。


私には、特にこれといった理由もなく、スペインに住んだ時期があるのだけれど、
というのはつまり、それが“不登校”からの一時避難先でしかなかったからだ。
時代が1人の人間に多大な影響を与えることがあるように、
こちら側に決め手があるのではなく、“向こう”から勝手に当て逃げしてくるような、
そんな影響力の強い由縁というものもまた、まま存在するのではないだろうか。

私にとっては、それがやはり「スペイン」なのだった。

これは、自分が過ごしたスペインにおける1時代を、
「特別視したい・価値のあるものだと思いたい」という執着だけがそうさせるのではない気がする。
「スペイン」というよりも、「スペインなるもの」と言った方がいいかもしれない。
この「スペインなるもの」の影をずーっと追っている、という感じ。


私にとっての「スペインなるもの」とは何か。
それは1言でいうと「統合されても、決して統一はされないもの」である。
「常にはみ出し、こぼれ落ちるもの」なのだ。
これが、学校教育からの落ちこぼれであった私に合ったのかもしれない。

以前も書いたことがあるけれど、スペインはヨーロッパの縮図なのだ。
文化的にも気候的にも。
「ムスリムの宮殿」と「キリスト教の聖地への巡礼路」は
同じスペイン国内に同居する世界遺産である。
かつスペインを代表するフラメンコ舞踊は、放浪の民ジプシーの文化である。


スペインは神秘主義者を多く輩出し、つまり苛烈な宗教者が多い土地なのだけど、
強い一神教的宗教心は、貧しい風土から生まれるものだろう。
植民地活動を引き起こす帝国主義は、まさに貧しさゆえだと思う。
スペインの内陸部は非常に貧しい土地だった。
中南米に渡り、ことごとく搾取を続けた人々は、無論この地方出身の人々であった。

貧しさに対する恐怖感は強い宗教心となり、
スペインではグロテスクな異端審問やユダヤ教徒への排除を行った。
例えば、作家のエリウス・カネッティはブルガリアのスパニオルで、
スパニオルとは15世紀にスペインから追われたユダヤ系移民のことだ。
この作家カネッティによると、

人間のつくりだす社会制度や法律、儀礼、建築など、ほとんどの文化は、
他者への恐怖から発生する「接触恐怖」が動機となって引き起こしている

という。

先日、「鍵をかけない生き方」というのをラジオで紹介していたが、
確かに玄関ドアは、「他者に対する警戒」ではないだろうか。
人が建物に入る場所を1か所に限定するというのは。
そう考えると、もう1つの入り口を「勝手口」と呼ぶのもうなずける。
家のいたるところの窓から、人が入ってくるのだとしたら、どうだろう。
建築はそれを拒む箱である。
マイホーム主義の精神とはこの接触恐怖に根ざしているのかもしれない。

こうして恐怖心は、「恐怖を抱く者」と「恐怖を抱かせる者」とに、人を分断する。
スペインがヨーロッパの縮図であるゆえんは、その地形・気候風土の多様性と、
異なる価値観を恐怖心から分断しまくった結果ではないだろうか。

1492年のスペイン統一はイスラム勢力の排除の完結の年であり、
キリスト教統一の年であり、資金を出したコロンブスが新大陸を発見した年であった。
スペインの国家の成立とは、統一とは名ばかりに、「拡散」が同時に始まった歴史であった。
しかし、逃亡するための・逃亡させるための拡張先である土地は、もう現代にはない。
分断され、異なったそれぞれの文化が、居合わせるより仕方がないのだ。

しかし、ローマの植民地からムスリムの植民地という歴史をもったスペインでは、
正統なアイデンティティなど端からないから、どの文化も正統性は主張できない。

世界に誇るスペインの文学は「ドン・キホーテ」で、最初の近代文学と言われている。
17世紀初頭に生まれた「ドン・キホーテ」の先駆性とは、
主人公の自意識が描かれたことと、
登場人物によって異なる「事実に対する認識の相対性」という視点が入っているところである。
異なった文化が居合わせた土地だからこそ、この認識の相対性を表現できたのだろう。
価値観とは絶対ではなく、相対的なものでしかないと。
「ドン・キホーテ」は確かにスペインを象徴する。


先述の作家カネッティはスペイン人画家のゴヤを評して、


「彼(ゴヤ)は目を逸らさなかった。(...)しかし、彼は起こりつつあったことを、
さながら自分が両陣営に属しているかのように見た。
彼の知識は人間にかかわる知識だったからである。
彼は彼以前の、というか、あまつさえ今日の何ぴとにも増して激しく戦争を嫌悪した。
(...)ゴヤの証人としての価値は、パルチザンシップを超えていた。」

と語ったそうだ。

私はこの「両陣営に属している」と「彼の知識は人間にかかわる知識だった」
という表現がかなり気に入ってしまった。
これは統合力である。
統一力ではなく、統合力だ。

例のBさんは「核を<非人間的なもの>と解釈してはならない」というようなことを言った。
非人間的と遠ざけることで、問題は棚上げされてしまう、と。
核とは、人間だけが生んだきわめて人間的なヒューマンな産物である。
そのことから目を逸らせてはならない、と。

これは先だって読書感想を書いた「ツナミの小形而上学」という本に書いてあった、
“悪の為し手を非人間的だと批判することが、かえって批判力を弱めている”という
指摘にも通じている気がする。

ある立場に立ってものを言うことは、誰にでもできる。
しかし常に問題は、1つの立場内のみで起きているのではない。
人間の問題は常に人間全体の問題であり、もっと言えば宇宙全体の問題だからだ。
現時点で相違している、互いが主張する<正しさ>も、
さかのぼれば同じ起源から発していることがほとんどだ。
起源はかならず共有している。
言い換えれば、起源ならば必ず人は共有できる。
問題の起源を語ること、これが現在の異なる立場の統合力になるはずだ。
両陣営に属している意識にしか、解決の糸口はないのではないだろうか。

対話とは、起源を語ることなのかもしれない。


「ドン・キホーテ」はカーニバル文学の元祖である。
カーニバルとは、身分の違いが払拭された価値倒錯の世界だ。
そこでは人々は対等であり、
モノローグではなくポリフォニー的だ。


私がスペインを語るときの単位は、結局「国家」にはなり得ない。
スペインという「統一国家」など、分かりやすいくらいに「幻想」だからだ。
様々な異なる集団が、その土地に居合わせている稀有さ。
そして、結局は個人だけがそれらを統合できる、という事実。
それが私にとっての「スペインなるもの」なのかもしれない。


最新コメント
記事検索