ノ ー ト

好 き な 読 書 を 中 心 に 考 え 中 を 記 録 す る ノ ー ト

からだ

当事者研究 ~ ウイルス性いぼ before after (写真あり) ~

実は昨年の春の終わりごろに、ウイルス性のいぼが手の指にできた。
ウイルス性いぼとは、日本皮膚科学会によると以下の通り。
イボのウイルスも正常の健康な皮膚には感染できない(と考えられている)のですが、小さな傷などがあるとそこから皮膚に入り込んで、基底層にある細胞(基底細胞と呼ばれます)に感染してイボをつくると考えられています。
多分原因は、生鮮パートで働いているためにしている、過剰な手洗い&除菌。

ジョンソン&ジョンソンの業務用のハンドソープで洗い、
原液のアルコールで除菌すること が限りなく。
普通手に存在している良い常在菌とやらが除菌されてしまった結果ではないか、と。

このイボの特効薬はないらしく、通常は液体窒素療法が主流らしい
要は、凍らせて細胞を壊死させるというもの。
これがすごく痛いらしいし、再発するらしいので絶対やだ。
「イボコロリ」という市販薬を使った自己治療も、後が悪いらしい。

でもって代わりに、我が家の皮膚の万能薬コパイバを塗布。
すると患部が硬くなり、出血するようになった。
それとともに日常生活でイボがモノと接触しやすくなり、
度々出血→コパイバ→硬くなる→出血 の繰り返し。
その頃の写真が↓の2枚。かなり大きくなっています。
P6040372 (400x300)
P6040378 (400x300)
ここまでくると、コパイバは合わないのかなーと思い、塗布を中止。
たまにシアテラオーガニクスの未精製の「シアバター」を塗布
それでも変化なし。
シアテラバター シアゴールド


しばらくしてから、直也君の腰痛&安眠マッサージ用に、
化粧水でお世話になっているニールズヤードレメディ―の
「ショルダーリリーフサルブ」(↓の写真)を購入し、マッサージに使用。
ハーブのアルニカが入っているタイプで、
マッサージ後、手についたオイルを塗り込んだりしていたけど、
特にイボには変化なし。
ショルダーリリーフサルブ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最初に比べるとイボは倍以上の大きさになったし、
手の別の場所に傷をすると、また同じイボが出来たので、もう諦めた。
もう年だし。なんて。

でもって、冬になり、激しい職場の手洗い&殺菌で手がバラバラになった。
イボはどうでもいいけど、あかぎれがなんとかしたくて、
またコパイバやシアバターを塗ったりしていたんだけど、
全然肌がしっとりしなくて、思い立って、
8年前に娘を出産した時、病院でもらった乳頭ケア用の
「カネソンピアソンバーユ」を塗ってみた。
商品の詳細
なんかあかぎれにいい感じがしたのでしばらく塗布。
すると1週間で↓のように!!
ほぼイボが無くなりました!!!
写真ではわかりにくいけど、肉眼ではほぼ無くなった感じで、気にならなくなった。P1040386 (400x300)
P1040387 (400x300)

治るまでいろいろ塗ったし、何が功を奏したか非科学的にしかわからないけど、
決定打になったのは、多分「馬油」。
すぐに変化がありました(個人差はあるでしょう)。

ウイルス性いぼになったら、一度は馬油は試す価値ありです。
もし、悩んでいる方がいたら、ぜひ使ってみてください。

メモ

以前まゆみさんのブログに書いたコメント。メモとして。

以前、まゆみさんも書かれていたような気もしましたが、311以後、定期的に読んでいる栄養士の方のブログには以下のように書いてありました。

「フィチン酸はカルシウム、マグネシウム、鉄、亜鉛などの必須ミネラルと結合することで吸収を阻害するので、フィチン酸が含まれた食材(大豆を含む多くの豆類、穀類)を食べる時には前処理を十分に行うこと」

豆乳もフィチン酸が多いみたいです。
フィチン酸についての先のブログの別の記述はこちら↓。
http://nutmed.exblog.jp/8779106/

大抵の栄養士的な考えって西洋的な栄養学であんまり好きじゃないのですが、この方の文章を読んでると、栄養学って単なる足し算なんかじゃないんだなと改めて思います。もちろん私には、この方の文章の中身を精査するほどの知識はないのですが、その人の体質とか状態、食べ合わせ、摂取期間まで考えると、すんごい複雑な数式よりもっともっと難解なことなんだろうなっていうのだけは確信します。
調べれば調べるほど、これ食べてたら大丈夫!なんていう気持ちにはなれなくなります。

| 森 | 2013/11/07 15:47 | URL | ≫ EDIT


私が書けそうなことってそんなになくて、食餌学的なことでいけば、本当に受け売り状態なので、ちょっと脱線して書いてみます。

モグラではなく、野菜の皮を残したのはネズミです。以前、こちらでまゆみさんが記事を紹介されていた記憶があるのですが、傷ついた茄子は抗酸化作用が倍加するというような内容のもの、ありましたよね。そんな抗酸化作用がたっぷりでポリフェノールたっぷりの皮なのに、ネズミには不要だってことですね。
ちなみにモグラはミミズを食べる時、ミミズをひっくり返しながら食べるそうです。ミミズが食べた土や泥を下へこしながら、まず頭を食べ、ひっくり返して後ろを食べ、土や泥をミミズの真ん中に寄せてそこを残すんですって。野菜に付着した多少の泥や土もミネラルだ、なんて言って良いことしてる気になっている人に教えてあげたい。

直也君の畑のネズミの健康状態や暮らし向きは関知しないので、抗酸化物質なんて必要ない?若いネズミのケースなのかもしれないし、直也君の畑では害獣対策なんて一切してないので、ネズミにとっては食べ放題状態ですっごく飽食状態なのかもしれません。だから一概には言えないんですけど、ただ「一物全体だから食べるべき」だとか、「皮まで食べるのが自然だ」とかっていう理屈は少し強引過ぎる気がしますね。でもマクロビの内部でも、マクロビのあれを食べてもいい・食べちゃいけないっていうマニュアル化の風潮を、まるでミクロビオティックだと言って自己批判する声も出てきているようです。そういうのいいですね。

ポリフェノールは植物の苦味にあたるらしいですけど、緑茶を喜んで飲むのは(確認されている分では)ヒトだけだそうです。あの苦味を飲めるのは中毒性なんだって聞いたことがあります。寿命の長い生物が苦味を好むのかもしれないな、と妄想。寿命の長い生物っていうのはつまり「ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学」によるところの、動きの遅い脈拍の遅い生物ですね。ヒトでも小動物系の人は苦味成分はあんまり要らないのかも。

あと、関係ないのですが、よく「昔の人ってよくこんな食べ物が食べられるって知ってたよね」なんて言いますよね、毒性のあるフグとか。それで「ヒトって何が食べられるか自分で人体実験して学習してきたんだろう」って言いますけど、全然そうじゃなくて、私はずばり、ヒトは犬に毒見役をさせてきたって最近思っています。「犬も食わない」って言いかたしますしね。
犬は人間の相棒で、狩りを共にし、なんて言うけど、同時に「あいつは警察の犬」だとか犬を使った差別用語はたくさんあります。以前、ニュースで、故池田満寿夫氏が「飼い主が与える以外の餌は絶対に食べてはいけない」としつけていた飼い犬2頭を山で逃がしてしまい、数日後犬を見つけた時には、本当に何も食べていなくて餓死していたっていうのがありました。
現代、特に西側の人々もこの犬たちと同じような状態じゃないでしょうか。自分で食べるものを自分で考えられない奴隷のようなものなのかもなって。人類が総毒見をさせられているのかも。そういう意味で、「これは絶対体にいいよ」も「人体に害は認められない」も同じ質のものですね。そういうのは鵜呑みにしない。それが大前提かな、と。同時に、そういう類の事、ひとに言いたくないな。

お粗末な内容で相済みません。また何か思いついたら書きます。

| 森 | 2013/11/07 21:36 | URL | ≫ EDIT

「ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学」っていう本と、その書評を書いた池谷裕二さんの意見が私の中でごっちゃになっているのですが、殆どの哺乳類の寿命は心拍数○回目(忘れました)と相場が決まっているそうで、小動物になるほど心拍速度は速いし、動きも機敏で短命。でも寿命を迎えるまでの心拍数はゾウもネズミも同じなんだそうです。
その心拍数○回目っていうのを人間に置き換えると40歳前後らしいです。だから40歳以降は人間の技術が得た延命の時間なんじゃないか、と。そう考えると、なんとなく40歳以降はあんまり食べなくても生きていけるんじゃないかって気がするし、食べ物以外を糧にして生きていかなくちゃいけないのかなという気がしています。それを見つけるために勉強って必要なのかな、と。

皮を食べるかどうかっていうのも、日本みたいな水資源が豊富なところだと丁寧に洗浄できるけど、野菜を洗う水が制限されているなら、皮をむいた方が早いかもしれない。それをして「作物を無駄にしている」とも言い難いですね。
というか、作物と灌漑技術や水資源の開発っていうのはともに進んできたので、作物を本来どう食べるかっていう問題は、作物単体から紐解こうと思っても不毛なのかもしれない。地球の水資源の6割強は農業用水に使用されていて、地球上の人々の7割くらいの人が水不足に困っている。でも困っている人びとの何割かが、西側の暮らしや衛生概念を押し付けられたためにそう感じているのかもしれない。

多様性が保たれた生態系なら、生物が食べる時間というのは捕食者によって命が1番狙われ易い時間。だから無駄にむさぼり食べたりはしないだろうし、必要なものだけを食べるでしょうね。だからと言って人間みたいに、保身のためにその多様性を破壊しない、それが1つの知性であるのは間違いないかな、と思います。

| 森 | 2013/11/08 08:02 | URL | ≫ EDIT

可動

青字部分を追加

蕎麦屋は結局7か月で退職し、
以前勤めていたスーパーの鮮魚部門に舞い戻りました。
やっぱり庶民派のワタクシ、こっちの方が合ってるなー、と思う。

蕎麦はまぁ普通、飢饉の時の食べ物であって、
本来“ど庶民”の食べ物なんだろうけど、
勤めていた蕎麦屋はなんだか格調の高い?有名店だったので、
今のスーパー勤務とでは、結構、落差はある。

蕎麦屋の時は裏方の仕事で、主に2畳分しか動く範囲がなくて、
ヒマな時は女将とお茶を飲みながら話をしているだけで、
実際、からだが鈍ったし、体重も4キロ以上増加した。
働いていないのに、まかないとして蕎麦を3人前くらい食べるのも辛かった。
「働かざる者食うべからず」とはよく言ったものだとつくづく思った。
30代も半ばを過ぎると、
この言葉は怠け者を非難するものではなくて、
からだの健康のこと、自己管理を諭した先人の知恵ではなかったかと思うようになった。

スーパーに戻って、1番いいのは移動が自在にできるところ。
人手が足りなくて大忙しなのでからだをフルに動かせられる。
1か月で3キロ減量できた。

蕎麦屋の女将とはいろんな話ができたし、
文化的には、非常に毎日刺激的だったのだけど、
そういう精神の自由?があっても、
からだが囚われの状態であっては自由度を感じにくいのではないかと思った。
動物とは動くものだから、そもそもそういうものなんじゃないだろうか。
これは非常に勉強になった。

あとこれは毎日3人前蕎麦を食べた上での思いつきなんだけど、
「空腹こそが最高の調味料」と言うけれど、
なかでも蕎麦は、空腹時が1番美味しい食べ物ではないか、ということ。
うどんでは蕎麦ほどまでには空腹状態を要請しない気がする。
蕎麦は飢餓の時に食べた、という記憶が
どこかこのからだにも伝わっているんではないだろうか、と思う。

小学校

娘が小学校に入学するので
体操着入れ、上履き入れ、座布団を作りました。

いかんせん手芸量販店で売っている布地が、
『キャラもの』か『渋谷系』か『演歌系』の三極って感じ。
娘が数年間使うには『キャラもの』では耐用年数が短いので
消去法で『渋谷系』に。
母が私に作ってくれたものは独創的なものだった。
布地のせいにしているが、所詮想像力の違いか。

あとは箸入と給食袋などを作るのみ。
P4060364
















★参考にした体操着入れの作り方はこちら
★上履き入れの作り方はこちら
P4060366
















★座布団&座布団カバーの作り方はこちら


小学校になるとPTAの役員がある。
高学年になると役員の仕事が煩雑になるので、
みんな低学年のうちに立候補するらしい。
なんと小学一年生の母親の全員が立候補に挙手。
あさましいなー。
そんなにやりたくないならPTA廃止運動すればいいじゃん。
それをやらないで自分だけ回避しようとするのは、
自分さえよければいいって発想。
そんなので子供が教育できるんでしょうか。
嫌なことは他人に押し付けていいんだよって親が体現してるんじゃ、
いかん気がするけどなー。

勿論、わたしもやりたかないが、やることになったら
6年生のPTAでもなんでもやってやろうじゃないの。
ってことでずっと立候補はしないことにしてみる。
立候補しないと最後の最後で順番が回ってくるんだって。

食べ物の値段を上げろ 


最近のワタクシのヒーロー、新妻エイジ(from 「バクマン。」)
好きで好きでしょうがないもの(彼にとっては漫画、)を見つけることと、
真面目で熱意のある仲間を持つことは、この上ない幸せのような気がする。

最近、パンは「SWEET」で買うことにしている。
うちの玄米も測っている「信州放射能ラボ」で放射線測定しているから。
原料に国産のものを使ってないから測れるんだよ、とか言う人いるけど、
おいしいかおいしくないか以前に、
食べ物はできるだけ安全なものを届けようとするのが基本だと思う。
SWEETの若社長も一人の父親なわけで、親としてもちゃんとしてる。
自分の作っているパン、こうなんだよって言って子供に食べさせられるのは、
全然違うと思う。

しかし、食べ物の値段が安過ぎるのが、諸問題の元凶のような気がする。
大正時代の非農家の給料の半分が食費に消えていたわけで、
そのくらい食費はかかってもいい気がする。
食べ物の値段がこんなに安くては、食育もへったくれもないと思う。
みんなハイオクのガソリン入れても、食用油は最低のものを平気で使ってるし。
アレルギーは4,5人に1人。自閉症は5人に1人、と言われる昨今において、
どの農家もそこそこ食べられるくらいなら、ここらへんの問題を対応できそうなのに。
自分家が農家なら、製造過程のコンタミの問題とか、就職の問題もなんとかなる。

子供の貧困層の問題で、母子家庭の85%は働いているのに、半分が貧困層だとか。
子供の貧困度は世界で9位だが、働いているのに貧困なのは世界で1位なんだそうだ。
学校で給食食べられないと、飢えてしまう子供がいる。
働いていても食べられないのは、人件費が安いからだし、
人件費が安いのは、食べ物の値段が安いせいじゃないのかな。
あと物々交換じゃなくて、貨幣が余計にそうさせるんだろうな。
見えないところで色つけるなんてできないから。
相手には知られないようにやる思いやりとか、
そういう余剰を切り捨てる結果にもなっている。

なんか今のメディアは、みんな糸井重里と関係ない人いないんじゃないかってほど
一元化を見せていて=渋谷系化していて、
どの街にも糸井重里系の中心人物がいて、幅を利かせている。
この一元化を拒否すると、たちまち食べられなくなるっていう閉塞感と、
今の日本の「働けど働けどわが暮らし楽にならざり」って閉塞感には
なんか共通する原因がある気がする。
(啄木は全然働いてなかったから、文学=フィクションだけど)
でも、啄木が歌ったくらい、そもそも日本は貧しかった。
民俗学は、なぜこんなに日本はずっと貧しかったのか、を紐解かなくちゃいけない。

A氏に

私の父が東北へ今日から旅に出かけた。
火焔土器や遮光器土器などを見に縄文遺跡を回る。
誰かも言ってたけれど、
この列島の人は自然を謳う以外は表現方法はないんだ。
自然を観察することが肝心要。
だけど「自然は自然を模倣しない」(らしい)。
結局、種や形の違いは「創発」の結果そのものだからなのかな。

蝶と蕎麦

先日の私の誕生日にサナギから羽化したキアゲハ↓
P7050197P7050194

最初、ドウダンツツジについている蛾の幼虫を、
勤めている蕎麦屋さんで娘がもらったのだけど、
ネットの図鑑を駆使しても、何の蛾の幼虫か特定できなかった。
直也君がセリなど、その他の草を投入してみたけど、
全く食指を示さないので、娘に話して飼うのを断念。
私たちが一概に呼ぶ「蝶や蛾の幼虫」も、
それぞれ種類によって餌は全然異なる。

その代わりに「これなら餌がわかるので」ということでキアゲハを飼うことに。
キアゲハの食草はせり科の植物や人参、パセリ、フェンネルなど、らしい。
直也君が田んぼからセリを取ってきてくれた。
でも、このキアゲハは夕方に羽化してから飛び立つまで、1晩かかった(多分)。
なかなか羽が乾かなかったのだ。
飼育器にラップをかけて飼っていたから通気性がなかったわけではないだろうけど、
この時期は梅雨や台風があって、外では風が強い日が続いていたので、
外にいたらもっと通気性があったんだろう。
こんな時に羽化するキアゲハは、
その風の吹き方を想定していたんじゃないか、と思った。
サナギの中だって完全な密閉空間じゃないだろうし、
サナギの状態でも多少風を受けている必要があったのではないか、と。

やはり、生き物を飼うのは控えよう。
不自然の中で飼っていても、自然は一向にわからない。
飼うと本当の意味での観察からは遠のいてしまう気がした。

ちょうどシナジェティクス研究所の梶川泰司氏のブログに、
以下のようなテキストがありました。
「青虫」って概称は、「雑草」という概称に等しい。

全世界について

「キャベツにつく青虫はキャベツが全世界だと思っている」
ーーーーーーーユダヤの格言

この格言は動物行動学を反映していない。

もしキャベツが全世界ならば
モンシロチョウは産卵のために
ミカンやサンショウではなく
キャベツを選ばなかっただろう。

事実、アゲハチョウの幼虫は
キャベツの中では
何も食べられないので餓死する。

ーーーーーーーーーー
↓の写真は、
茹でて残った蕎麦に少量の小麦と水と塩を加えて、
フライパンでノシて焼いたもの。
ごま油で焼くと、より美味。
蕎麦屋の女将さんに教わった食べ方。

P7070201

メモ

http://kenko100.jp/news/2012/07/11/02から。削除される前に。

全文転載開始
ーーーーーーーーーーーーーーー

やっぱり母は偉大? 声と心音で早産時の健康状態が改善

米研究

母の声


 早産児の場合、新生児集中治療室(NICU)で一命を取り留める確率は高いものの、NICUは子宮と全く同じ理想的な発育環境というわけではない。米ブリガム・アンド・ウィメンズ病院新生児研究所のLaura Doheny氏らは、NICUに入院した早産児に母親の声と心拍音を録音して聞かせると、無呼吸や徐脈などの心肺イベント(心臓や肺に関する事故)の発生率が減ったとの研究結果を、英医学誌「Journal of Maternal-Fetal and Neonatal Medicine」(電子版)に報告した。

在胎期間33週以上の子供で高い効果

 NICUには熟練した看護者が付き、気温と湿度が調節できる保育器も備わっている。しかし、Doheny氏らは「NICUに足りないものは、胎児が子宮の中で聞いていたであろう母親の声と心拍音だ」と考え、聴覚に働き掛ける処置が心肺イベント発生率に及ぼす影響を検討することにした。

 研究では、同院NICUに入院した早産児14人(在胎26~32週で出生)に、NICUの入院期間を通じて母親の声と心拍音の録音した音声を1日4回聞かせた。

 その結果、母親の声と心拍音を聞かせた場合、通常の病院内の騒音や音にさらされている場合に比べ、全体的な心肺イベントの発生率が低下することが分かった。この効果は、在胎33週以上で生まれた子供で統計学的に著しく低下したという。

 Doheny氏らは「今回、母親の声と心拍音を聞かせることで早産児の心肺イベントの発生率が低下し、短期的には早産児の健康を改善できることが示唆された」と結論。しかし、「症例数が14人と少なく、こうした介入が早産児の健康に影響を与えられると結論するには、さらなる研究が必要だ」と付け加えている。


(編集部)

ーーーーーーーーーーーーーー
転載終了

覚書 ~ 祝祭など

「脳のゆらぎ」が
「夢をみること」または「夢の内容」を左右している
んじゃないだろうか、と勝手に想像。

ーーーーーーー

例えば、コップを取るという行動において、
「コップを取ろう」と思う以前に
本当はすでに脳がコップを取る準備をはじめているらしい。
つまり、過去の経験によって形成された反射などによって
脳が準備することに、ヒトの意思が追随しているのだとしたら、
物理的には自由意思など存在しないことになるらしい。
けれど、実際にはその行動を「おこさない」という自由はあるらしい。
ヒトにあるのは「自由否定」のみだ、と。
もちろん、他人から制限されない場合のことを「自由意思」とするなら
それでもいいわけだけど、
そうなるとこの場合の「自由意思」とは、単に倫理的な「自由意思」でしかないみたい。

誰かを見て、「あの人、太ってるな」と反射的に思うとして、
太いっていうのはあくまで相対的なもの、つまり、
私にとっての「太い」とは、今までの自分の経験が勝手につくりだした感覚でしかない。
この感覚から自由になるなんてことは、そうそう私はできない。
でも「あの人、太い」と思っても、口に出さない、ことはできる。

だから、反射的な行動を否定するっていうのが
唯一ヒトにとっての自由なのかも...
とこれまた文系的な曲解をしてみたりする。
「やろう」よりも、「やらない」の方が本当は難しいのかも。
太極拳は反射運動の否定だから、なのでなおさら可能性を感じるわけです。

ーーーーーーー

「祝祭」は多くの人が基本、好きなはず。
普通、社会的なストレスがたまると祝祭は当然必要になるもの。
デモやどんちゃん騒ぎは嫌いでも、祇園祭が好きとか花火が好きとかは、ある。
脳的には、前者に参加している人も後者に参加している人も
同じ脳の部位が活性化しているに違いない。

ではどうして、ヒトは前者と後者を区別できるだろうか。
それはやっぱり日頃からそれらの違いを習慣的に考えているか、
でしかない気がする。
“普段”から“不断”に考え続けていないと、
脳は反射的に祝祭を肯定するだけだろう。

祝祭に進化や洗練などは必要ないように、
多分デモやストに進化や洗練はない。
最初の形が最終形でしかないと思う。
だから、未熟でも稚拙でも最初の1歩だから仕方がない、
今後につながるだろう、というのは多分違う。

数(体制)に対抗するために、
数(デモや署名)を戦術に採用するのだとしたら、
それは同じ方法論の踏襲である以上に、
この限られた時間の中では2度手間だ、ということなのだろう。

私たちの投票は結局「委任状」を出した程度のことでしかない。
私たちは大事なことを決める時に、
進んで欠席をすることを選ぶ社会に住んでいる。
デモは、自分や自分の親が欠席してきたことを棚に上げて
欠席者が集まって、決められた内容に不服を申し立てている。

まず「委任状を出さない方法」「大事な時に欠席しない方法」
が可能かを考えてみたい。

メモ 太陽

金環日食の朝、生理が始まる。
といっても最近ずっと大潮に生理が来るので、
当たり前といえば当たり前か。

あまり日食を見るのはいけないと思いつつも、
職場の人と金環日食を見に思わず駐車場に出てみた。
しかも裸眼で。
太陽は1秒も直視していられなかった。
偶像崇拝って太陽崇拝から最初に生まれたんじゃないだろうか
ととっさに思う。
月は直視できるけど、太陽は直視できないし。
太陽を崇めるにも、太陽の似姿・媒体物が必要な気がする。

古代エジプトの神様にケプリっていう神様がいて、
頭がフンコロガシ。
フンコロガシの糞を転がしているさまが
天体を転がしているみたいだから、
「太陽の運行を司る」天の神様なんだって。

堀金物産センターで買った太陽柄のふきん↓
てーぶるピカ子ちゃん 「堀金かえでの家」
P5240575

ピカ子はいい仕事をしそうだ。

アセロラジュースで

昨日飲んだアセロラ・ジュースで喉が撃沈した。
アセロラのど飴とか「アセロラは喉によい」なんて言うのに。
ジュースに含まれる添加物などが原因かもしれないけれど、
多分私は「口腔アレルギー症候群」であることが分かった。
(あくまで自己診断だけど)

昔から生のメロン・キウイ・ブドウ・パイナップル・すいかなどの
果物や野菜を食べると喉がイガイガしてたまらなかったのだけど、
なので最近敬遠してたのだけど、
つい飲んでしまった。「墓穴」とはこのこと。

メロンやパイナップルに含まれるプロテアーゼというたんぱく質分解酵素は、
たんぱく質でできている舌や口の中の細胞を溶かしたりするそうだ。
でも、これが原因かはわからない。
南方系のフルーツにはラテックスが含まれている場合があるので、
ゴムアレルギーかもしれないし、
芯に含まれているというプロフィリンってやつかもしれないし、
残留農薬かもしれない。
どっちにしても「生」の果菜。

このフルーツアレルギーは、花粉症を発症したのちになったり、
合併して起きたりするようだ。
もちろん子供の時に多食するとなったりする場合もあるらしい。
「健康のために」って言って
親が熱心にバナナを食べさせている家の子供の大半が
症状は出なくともアレルギーになっているんだそうだ。

この口腔アレルギー症候群は合併症としても厄介で、
花粉症よりもずっと症状が重くなるらしい。
確かに、風邪をひいて喉が痛いときよりも喉が痛い。

スギ花粉がダメな人はトマトもダメなケースが多いし、
気を付けないとトマトアレルギーになるんだって。
私がダメな果菜は、ブタクサがダメな人が気を付けなければいけない系。
確かに花粉症であれば、果菜のアレルギーを起こしても不思議はなかった。

最近、不織布のマスクしていても、
鼻部分に入っているワイヤー?でしっかりかぶれてしまうし、
ブラジャーのワイヤーなんてもっての外で、
すぐに強烈な肩こりになることもあって、
ブラジャーはもうとっくの昔に止めてしまった。
年中ノーサンキュー。

NGなものが年々増える。

錯視 「蛇の回転」

これはすごい! 立命館大学の北岡明佳教授の作。rotsnake

一点を見つめると止まって見えるのに。

なお、年齢が60歳以上になると、この錯視が見えない人が多くなるらしい。
それはなんでかまだわかってないみたい。

絵ってこういった錯視の技術ありきで成立してるのだろうか。
もしそうなら、画家も年齢によって描けることと描けないことが出てくるのだろうか。
それともやっぱり画家になる人って特殊な視覚が養われるのかな。
私はベートーベンが好きだけど、
ベートーベンが聴覚障碍を持つようになってから作った曲の方が好き。
なんでだろう。でも、
それを考えるとやっぱり世阿弥の「時々の花」は、核心をついてるなー。

一般的には味覚も年齢によって衰えるらしい。
苦味に対する味覚は大人になるとずいぶん衰えるらしく、
それで子供のころ嫌いだったピーマンが好きになる、とかがおこるらしい。
酸いも甘いもかみ分けて、なんて言って成熟した風に大人のことを言うけど、
本当は鈍くなってるだけなんじゃないだろうか。

苦味に対して鈍くて耐性のついた大人が、
「なんでも食べられないと!」と言って
ピーマン食べろと子供に強制するとか、
(何でもって、それじゃ、あなたはイナゴの甘露煮強要するかね?)
テレビ番組の“ピーマン克服する感動物語”とか、
結局、大人が採用している社会通念を
無理してでも受け入れる子供を作りたいだけ、でしかないよ。
子供にピーマンとか人参食べさせようっていうのは、
結局、食の問題じゃ全然ないんだけど。
食育でもなんでもないんだけど。

聴覚も、高い音の音感?だけは高齢になっても残るって言うらしいけど、
お年寄りが中年世代の言葉には「何?なんだって?」って聞き返すのに、
小さいこどもの話す高い声はよくわかるっていうのが納得できる。
「老いては子に従え」っていうのは社会的・文化的な格言とかじゃなくて
実は生物的な仕組みを言っているのかも?

最近、特に葉物の苦いものが美味しくてならない私。
ずいぶんとぶっこわれている。

忘れられないほどの辛くて苦い経験って、忘れられないんだって。
この耐性はなかなかつかない。
確かに忘れようとすると無理なストレスになるから、
しっかり覚えておいて何度でも思い出すことにしてみようと、
最近思いつく。
そうすると、思い出すたび、その都度の新たな情報が加わって、
なんか別物に変わっていきそうなんですけど。

ま、それはイタシカタナイ、ということにする。

過換気症候群一歩手前

最近、呼吸が浅い気がする。
動悸も早い。
パートの作業中、時間までにこれとあれをやって、と
急いで作業していると、吸っても吸っても息が吸えてない感覚に陥る。
だから余計に息を吸おうとして
それで逆に過呼吸になっている感じ。

息を吸っているときは脈が早くて交感神経を使い、
息を吐いているときは脈が遅くなって副交感神経を使うわけだから、
息が浅いと寿命が短くなると思う。
昼ばかり長くなって夜がない感じ。

息が浅いと精神状態にもよくないらしい。
統合失調症もまず、不眠から始まる。
つまり昼の拡大ってことかな。
もちろん夜の拡大もまずい。
引きこもりは夜の拡大かな?

WORLD ORDER 「MACHINE CIVILIZATION」


ここ何日か、world orderの動画ばかり見てしまう。
格闘家でありながら、同時にこんなに脆さと繊細さを表現できるなんて、
どうなってるんだろう。
それが不思議で、思わず見入ってしまう。

須藤元気さんにとっては「格闘技も非日常の世界だから」、
ダンスで非日常性を表現して提供するのは難しくないらしい。

日常的な人の歩く速さから遅れて見せるだけで、
こんなにも非日常が表せるなんて。

人間の「歩き方」などの日常動作は、
長い歴史と生活史を経て選択・適応して残ってきた「1つの文化」なんだとか。
正解というよりも、1つの人間の地点。
文化だから、それから外れている人は自然と監視されてしまう。
だからこそ、動作を通じて、遠目にも他人から病的なものを感じたり、
非日常=異常なものを感じとったりするんだろう。

ちなみに、歩行動作照合による本人確認は、
指紋照合による本人確認よりもさらに精度が高いらしい。
自分と同じ歩き方をする他人は、ほぼ「いない」らしい。

実際1人1人違う歩き方をしているというのに、
どこからどこまでが正常で、
どこからが異常だとかって感じてしまうんだろう。

むしろ、個別性を感じない歩き方をしている人を見ると不安になる、
っていうことなのかもしれないな。
個別性がないってことは「分身」を感じさせるから。
分身に自分が奪われてしまうような危機感なのだろうか。

うちのお兄ちゃんは2人とも、
統合失調症を発症後に歩き方が変わったと思う。
うまく言えないけど、「統合失調症の人だな」って歩き方をする。
その人の「まなざし」と「向かっている方向」と「足運びの速度」、
そういうもののバランスがとれてない感じ。
少し「この世のものではない雰囲気」を漂わせながら、歩く。

He isn't you ~ インプットとアウトプット

先日、太極拳を始めようと思い立ちました。

それで頭でっかちにも、最近太極拳の本を読んでいて、
読むたびに感激の嵐という読書体験。
こういうのは久しぶりだから嬉しくて、
もったいなくて1冊ノートを作り、書き写しながら読んでいるので、
ちっとも全然進まない。


最近、インプットばかりでアウトプットがないと、
人はバランスを崩すんじゃないか、と思うことが多々あって、
これは私自身の経験からもそうなのだけど。
私にとって、祭りや「お笑い」というのも、
要は人間が野生のようなものを取り戻す、バランスを回復する運動だと思う。

Bさんが、有用性のみを評価する人間の経済は「限定的な経済」だ、と言ったように、
人間の経済は自然の経済とは異なる。
しかし、人間とて自然の一部だから、それを回復したくて祭りを行う。
これはhttp://blog.livedoor.jp/kurakura50241/archives/51200232.htmlでも書いた。
だから社会がバランスを崩している以上、祭りは必要とされる、と。

どんなに良い本を読んでも、どんなに良い人と縁があっても、
つまり、どんなに良いインプットがあっても、
アウトプットがなければ、かえってバランスを崩す。
ストレスになったら、おしまいだもの。


だから、この太極拳の本からは、ただ読む(インプット)だけじゃなくて、
読んだところを、どうして自分がそんなに感激したのか、
口頭で説明できるようにブツブツ声に出してみたり(アウトプット)している。
思い返してみれば、10代まで、私にはこの癖があった。
だからか、10代のころの私は相手がだれであろうと、
気にせず自分の思うことを話せたものだった。

客観的に見れば、この癖はある種、病的だけれど、
2人の兄が統合失調症になっていることを考えれば、
統合失調症に移行する可能性大な境界性人格障害傾向を持っていた私が、
発症を踏みとどまったのは、
こういう変な癖を持つという療治を、自分で見つけて施していたからじゃないか、
という気もしてくる。
癖もバランスを崩した結果なんじゃないかな。
だから癖だけ直そうと思っても治らない。


太極拳では(?)、受け取る器官が頭部にある感覚、
つまり、視覚・聴覚・嗅覚・味覚のことを総じて
「特殊感覚野」と呼ぶのだそうだ。
それに対して「一般感覚野」とは、
皮膚感覚である触覚、内臓感覚、筋肉の感覚などのことを呼ぶのだそうだ。

特殊感覚野は、外的な刺激によって起こる感覚。
一般感覚野は、自分の内側から起こる感覚。

太極拳は、一般感覚野を磨くもの、という気がする。

太極拳以外の他のスポーツや武術は技の応酬であり、
(相手との競争において、)
過去培った経験則から反射的に最善の選択を生み出すことを目指すものだけど、
太極拳は過去の自分の経験則をも疑わなければならないそうだ。
そこが大変面白い。
太極拳でたいせつなのは、
あくまで経験則や反射で動かず、すべての動きを改めて意識的に行うことを鍛錬するものだ。
だから太極拳はスピードが遅い必要があるのだそうです。
早いと無意識で体を動かしてしまうからです。


しかも、他のスポーツや武術は交感神経優位でやるものだけど、
太極拳は副交感神経優位でやるもの。
スポーツ選手が脳梗塞で亡くなったりするのが多いのは、
それだけスポーツが交感神経を使ってやる高血圧運動だからでしょうか。
スポーツ=健康ではないのは、だからでしょう。

太極拳は、自分の考えている動きと、実際の自分の動きの差をうめていく訓練だそうです。
自分の考えている理想の動きというのはインプットで、
実際できる自分の動きはアウトプット。
これらのインプットとアウトプットのバランスを極めようとするものが太極拳なのかな、と。
そこに心の落ち着きが生まれる、と。

理想の動きと実際の動きとの間に乖離があると、
それを「自意識過剰」と呼ぶのだそうです!太極拳では。
(と言っても流派がたくさんあるので全ての太極拳でそうだとは言えませんが)

「自意識過剰」が私の永遠のテーマ(?)なので、
だから太極拳に非常に魅力を感じているのです。


で、心の落ち着きがないと、一般感覚野は磨けないんですね。
一般的に、特殊感覚野の方が情報が多いし、
そちらの方に傾く方が容易なんだそうです。
現代人の特殊感覚野過多は、だからではないでしょうか。
ストレスがそうさせるんでしょう。

応酬では人は救われないと思う。
まず、自分の中の応酬傾向を見直さなければ、国家間の応酬はなくせない。
『インプットとアウトプットのバランスを、自律的に見直そう。』
それが昨今の目標。


あれ?また書こうとしていたことからそれてしまった。

なので、つづく。


最新コメント
記事検索