ノ ー ト

好 き な 読 書 を 中 心 に 考 え 中 を 記 録 す る ノ ー ト

美術・工芸・芸術など

極論 記号と信号

心理学を志す者と、精神病理学を志す者とでは
全く異なるのではないか、ということ。

前者は治療行為者としての自己満足を得やすいが、
(カウンセラーというのは実は自分が語りたいのだ)
精神病理学においては
満足感を得ることなど端から断念する事なんではないだろうか。

心理学的なカウンセリング行為とは
弱みを握ることに対する無抵抗感を同時に意味し、
心理学の入門はそれ自体、
性的な欲動への入門なのではないだろうか。

ノートに記されたいつかの誰かの言葉、
『言葉は自らに外在する何かを指し示しているという
“語るざわめき”であるのに対し、
絵画とか音楽は非記号である。
それらは1つの沈黙なのだ。
(自らに外在する何ものをも指さないから)

であるならば、
精神病の患者の言葉は、それがどんな激しい奇声であっても、
沈黙であるかもしれない。
記号ではなく、信号であるには変わりないけれども。
精神病理学者は常に自らの言葉の限界に向き合い、
言語の外にあるもの(排除されたもの)を
記号化(社会化)しようと苦悩する者である。

信号と記号に関しては
昨年読んだバフチン関連の本が面白かった。
「バフチン―“対話”そして“解放の笑い”」
バフチン―“対話”そして“解放の笑い” 新版
この本は松本中央図書館で借りて読んだのだけど、
汚してしまい買い取りました。
なので松本平の皆さん、すいません。中央図書館にはもうありません。

やっぱり

武士って結局、ただの役人だってことじゃないだろうか。
最近、「まるで武士みたいだ」とか言って
人をホメたりするけど非常に違和感を感じる。
武士なんて、
主君の死の際、側近が「一緒に心中するっ」ていう、
衆道(同性愛)がプラスされただけの役人に過ぎないんじゃ。
江戸時代は武士=官僚大国。
3千万人の農民が150万の武士と50万の公家を支えてたんだから、すごい負担。
いいかげんにしろ。
武士なんてろくなもんじゃない。
          ★

先日、NHKの「プロフェッショナル」で
当代樂吉左衛門さんのことをやってた。
楽さんの焼き物はテレビで見る限り、
あんまり好きな感じじゃない。
でも、楽さんが言ってることはすごく良かった。
最近思うのは、「物はどうでもいいんじゃないか」ってこと。

「物」って資源だし、自然を加工するわけだし、残るものだから、
作家や職人の人間性よりも、まず「作られた物」がどうかで判断すべき。
って考えが普通だけど、
なんか最近はやっぱり表現された物質的な形よりも、
その人の物を作るときの考えや心の動きの方が大事じゃないか
って思うようになった。
別にそれを、その人は誰にも伝えなくて胸にしまっててもいいわけで。
でも思うのは、物より心の方が本当は残るんじゃないかって。

結局、「形」や「色」に対する許容範囲のレンジって意外と狭い。
育ちや慣習なんかでそういう感覚ってついてしまうから、
ある意味生理現象に近いものがある。
だから受け入れる「幅」がない。
そのくせに、物を見てこれはいいとか悪いとか言うのも正直イヤナ感じ。
物だけの評価では所詮、相手を打ち消しあってしまう。
そんな、場所の占拠を競うようなことが、いいわけない。

楽さんはずっと葛藤している。それが大事。
葛藤し続けてきた人は変わり続けられる。
変わり続けてきた人じゃないと、年を取ってからは変われない。
それこそが1番、物を作る仕事の醍醐味ではないか、と。
物は結局なんでもいい。
器だろうが家具だろうが織物だろうが農作物だろうが。

ガンジーが言った
「全ての人が目標とするのは健康です」っていうのは
こういう事じゃないだろうか。
いい物を作るのが目的ではなく、
物を作るときに養われる心が目的になるべきかな、と。

錯視 「蛇の回転」

これはすごい! 立命館大学の北岡明佳教授の作。rotsnake

一点を見つめると止まって見えるのに。

なお、年齢が60歳以上になると、この錯視が見えない人が多くなるらしい。
それはなんでかまだわかってないみたい。

絵ってこういった錯視の技術ありきで成立してるのだろうか。
もしそうなら、画家も年齢によって描けることと描けないことが出てくるのだろうか。
それともやっぱり画家になる人って特殊な視覚が養われるのかな。
私はベートーベンが好きだけど、
ベートーベンが聴覚障碍を持つようになってから作った曲の方が好き。
なんでだろう。でも、
それを考えるとやっぱり世阿弥の「時々の花」は、核心をついてるなー。

一般的には味覚も年齢によって衰えるらしい。
苦味に対する味覚は大人になるとずいぶん衰えるらしく、
それで子供のころ嫌いだったピーマンが好きになる、とかがおこるらしい。
酸いも甘いもかみ分けて、なんて言って成熟した風に大人のことを言うけど、
本当は鈍くなってるだけなんじゃないだろうか。

苦味に対して鈍くて耐性のついた大人が、
「なんでも食べられないと!」と言って
ピーマン食べろと子供に強制するとか、
(何でもって、それじゃ、あなたはイナゴの甘露煮強要するかね?)
テレビ番組の“ピーマン克服する感動物語”とか、
結局、大人が採用している社会通念を
無理してでも受け入れる子供を作りたいだけ、でしかないよ。
子供にピーマンとか人参食べさせようっていうのは、
結局、食の問題じゃ全然ないんだけど。
食育でもなんでもないんだけど。

聴覚も、高い音の音感?だけは高齢になっても残るって言うらしいけど、
お年寄りが中年世代の言葉には「何?なんだって?」って聞き返すのに、
小さいこどもの話す高い声はよくわかるっていうのが納得できる。
「老いては子に従え」っていうのは社会的・文化的な格言とかじゃなくて
実は生物的な仕組みを言っているのかも?

最近、特に葉物の苦いものが美味しくてならない私。
ずいぶんとぶっこわれている。

忘れられないほどの辛くて苦い経験って、忘れられないんだって。
この耐性はなかなかつかない。
確かに忘れようとすると無理なストレスになるから、
しっかり覚えておいて何度でも思い出すことにしてみようと、
最近思いつく。
そうすると、思い出すたび、その都度の新たな情報が加わって、
なんか別物に変わっていきそうなんですけど。

ま、それはイタシカタナイ、ということにする。

先生2 ~ 単層から重層的に

私はそういうつもりで書いている訳ではなくても、
「全ては偶然ではない」と考えたい人の中には、
陰謀論の類が大好きな人も多くて、
それと混同されることもあるでしょう。

ただ私は、少数が多数を操っているような、そんな考えはどうも苦手なのです。
「前衛」対「後衛」という前世紀的な構図が、しっかり頭に染み付いた人が、
“真実に気付いている自分は少数派=前衛だ”なーんて自惚れるあまり、
「少数」対「多数」という発想パターンから抜け出れなくなっているんじゃないか、
と思ったりもする。

陰謀論にはいつも、ピラミッド状のヒエラルキーの構図が前提にあって、
そこは、全てがトップダウン的にしか作用しない世界に見える。
「1人の人間は所詮歯車でしかない」と腐って考える奴隷根性みたいで、
あんまりいい気がしない。
そんな一方向性だけの世界って本当にあるのかしらん?
自然界はこうも相互作用的なのに?
そして、
結局その「トップダウン」が理屈として成立するからには「頂点」と「中心」が必要なはず。
頂点と中心は、あくまでヒトの心が生む幻想であって、
「道をもって観ればものに貴賎なし」の心でいけば、
陰謀論に陥るのは、貴賎の意識があることを表明しているようなもの、
じゃないのだろーか。


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6月1日、歯医者さんに行った後、
まゆみさんが通っている絵の教室に見学に行かせてもらった。
まゆみさんから話を聞くにつけ、娘にその教室に通ってもらいたかったので。
そしたらなんと、ちょうどその日は園児クラスが開設される「初日」だった。
これも偶然ではないのだろう。


今春より娘は保育園に通っていて、
だからこそ保育園と並行して、別の「教室」に行かせたいと思っていた。
学ぶ場所が1つで、1つの価値観&仲間にしか触れられないのは息苦しいし、
そういった閉塞感が精神衛生的にとても危険なことを、自分で体験済みだから。
正直、それが絵の教室だろうが、音楽の教室だろうが、ジャンルは何でも構わなかった。
娘は絵がうまいんだけど(親バカ)、でも、
「絵画教室でその才能を伸ばしてやろう」とかそういう思惑からではないのです。

しかし、私にとって“世間(学校)の言うこと”と“父の言うこと”が、
あまりにも乖離していたので板挟みになり、
結果、そのどちらをも疑うようになる、ということが起きたように、
複数の異なる価値観の前で、娘が混乱するということもあるかもしれない。
けれど、この世に生を受けたからには、
「この世に生まれてきてよかった」と娘に思って欲しいのだ。

しかしながら、この「この世に生まれてきてよかった」というのは、 
ただ安楽や快楽の享受だけによって発される言葉ではないはずだ。
そんなものは、あくまでこの世の一部分でしかないから。
「この世」を全体としてとらえなければ、
本当の意味で「この世に生まれてきてよかった」なんて感慨には至れないのなら、
やっぱり娘には、この世の苦しい部分も学んでほしいと思う。


漱石は自分の奥方を馬鹿にするような人物だったので、
本当は好きじゃないんだけれど、
先の「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
 どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。」
であるならば、むしろ、
この「どこへ越しても住みにくい」という生き方は、
この世を、「住み<易い>ところ」と、「住み<難い>ところ」とに分断しない生き方
全体を生きる生き方とも言えるんじゃないだろうか。

「貧富の差(南北問題を代表とする)」や、
「農村と都市/地方と中央」といった対立項を超える、
「道をもって観ればものに貴賎なし」の精神性につながる生き方なのかもしれない。
本人はそうとう辛いかもしれないけれど。


けれど、今の私は娘に、「同時性と非同時性」ということを話してあげられる。
かつての幼い私には誰も話してくれなかったことだ。
この「同時性と非同時性」とは、シナジェティックス研究所の梶川泰司氏が使っている言葉で、
私には超ド級の画期的な言葉だった。(例えばーー「(続)非同時性」を参照のこと)
これと、同氏による、
「仕事と職業は完全に一致しない(※「テクノロジー」参照)」という言葉があれば、
大抵の失意は絶望にはならない。
というか、〝絶望も希望の一形態である(安部公房の弁)”ということもわかるだろう。


とにかくそんな色々な思いが、
娘にとっての“別の教室の存在”を中嶋君と私に検討させたのでした。

娘が絵画教室の“園児クラス”に参加させてもらっている間、
中嶋君と私は、
北澤先生(美術家であり、まゆみさんの絵の先生です)に鉛筆を使わせてもらった。
鉛筆を削るのと、線を描くのを少し教えてもらう。

まゆみさんから聞いてはいたけれど、
北澤さんの発する言葉がスゴイ。
スゴイというのは結局、“逃げた”表現だけれど、
でも、北澤先生の言葉は“含蓄がある”とか“深い”とか
言い換えて形容してみたところで、
そんな優等生的表現は感動から距離があり過ぎるのだ。それは高慢。
高慢になるくらいなら、まだ卑怯だと言われる方がいい。


本当にメモすればよかったと思うような“北澤語録”。
この日私たちが線を描くのは「剣道じゃなくて、チャンバラで良い」とか
(これを聞いてずっと「木枯らし紋次郎」の
〝画期的なリアリズム”と評された殺陣のシーンを思い出していた)、
「(描いて行って)成り立ったものをどうするかっていう世界」
(「成り立った」ということが偶然でないとしたら?なんて思った)
「ガラスのこちら側だけ拭いてもさ、向こう側の汚れが見えるでしょ」
「自由に書きなさいってことは誰にも言わない(子供にも)。」
(“自由”には基礎が要るってこと)
デッサンの練習は、
「火をおこすのと同じなんだよ。500回目に火がついても、499回までは火はつかないでしょ。
それがわからない人が多い」
などなど...


線を描くということは、絵を習うこととは、恐ろしいと思った。
1本1本が自分を表しているのだ。
火がつこうがつくまいが、全ての記録。
火がつかなかったことの記録であり、火がついたことの記録であり...
多分、刃を砥ぐことと似ている、と過去の自分の経験で一番近いものを思い出す。
あの、全ての砥ぎで受けた作用が、あますことなく刃の形状として現れることと似ていて...


例えば言葉は、1部の詩歌を除いて、字面がそのまま景色である、なんてことは起きない。
(私の好きな詩人の詩は字面が景色になっているんだけども)
いつも言っているように、言葉には“和音”がないけれど、
(つまり、同時に複数の異なる単語を存在させて、新たに別の1つの概念を生む、
ということは出来ないということ)

線は即座に、景色‐和音‐ボリュームにつながるのだ。
特にデッサンでは、
例え消しゴムで線を消しても、完全に消し去ることは出来ないように思えた。
過去に引いた線はそこに残り、上書きされた線に確実に影を落とす。
「ボリューム」とはパソコン用語では
連続した記憶領域のことを意味するらしいと初めて知ったけど、
ボリュームと記憶領域、なんかしっくりする気がする。
描かれた線は触ることが出来る自分の考えや心、そんな気がした。
そして「過去」も「現在」として紙の上に現れること
(それがボリュームってことなんだけど...。)

つまり絵を習うことは、
単層的ではなく重層的なはたらきを学ぶこと
なんじゃないだろうか、と思った。


その日、
その絵画教室の、新たな講座や企画についてのパンフレットを頂いたのだけど、
それを見せてもらってまゆみさんがすぐに、
「(自分の)ブログで紹介してもいいけど、上手く伝わらないと嫌だから...
こういうのって難しいでしょ。
だから(パンフレットの内容の)HPがあれば、それを紹介すればいいんだけど...」
というようなことを北澤さんたちに思慮深く言った。

直観というのは、決して直情(径行)とは違う。
世間では誤解されているように思う。
一瞬にして重層的な配慮や考えが出来ることを、「直観力」と呼ぶんだろう。
そう、まゆみさんを見ていて感じた。

直観は、過去を余すところなく現在に表現する力、なんじゃないかしら。

例のアニメ「カンフーパンダ」のウーグウェイ導師のセリフに、
「昨日とは過去の物、明日とは未知の物、今日の日は儲け物、それは天からの贈り物」
というのがあったのだけど、
 元の英語のセリフでは実際こうだ↓。
 "Yesterday is a history, tomorrow is a mystery, but today is a gift.
That is why it is called the present."
本当は導師は「“天から”の贈り物」だなんてことは言ってなくて、
むしろ、
「今日の日はギフトです。だって現在形のことを「present(プレゼント)」と呼ぶでしょう?」
っていう方が近いと思う。
1つの言語内で充分に真実は語れる、という絶好の例。


この日は、歯科医師の先生と、北澤先生と、
娘の「園児クラス」の先生である仁科先生とまゆみさん
という4方の「直観力」に触れて、とんでもなく刺激的な1日だった。
「もしかしたら今日会ったこの人たちは、
分類したら、同じ人間である私ではなく、
むしろ野生動物の方が近いと言えるんじゃないだろうか。」
なんて考えていたら、中嶋君が、
「世の中のろくでもない大人だけじゃなくて、
あんな大人もいるんだってことを、情報として知っているだけでもすごいことだけど、
(娘が今日の4人を)直接知っているってことは、(娘の人生にとって)かなりのことだよ。」
と言っていた。


多分、四の五の言っても、
これがこの日の総括でしょう。



先生1 ~ 単層から重層的に

「この世に偶然などない。あるのは必然だけだ。」と言う人がいる。
それが真実なのかどうかという追求とは別に、
まず、「偶然はない」ということを前提にしてみたのなら。


そうしたら、
それが“前提である場合”と“ない場合”では、
まるで全てが違って見えてくる。

まゆみさんに歯医者さんを紹介してもらって、
6月1日の日に、
まゆみさんの住む町の、ある歯医者さんを訪ねました。
娘の虫歯がかなり進行しているのと、
娘の歯のかみ合わせのことでおうかがいを立てたのでした。

実は今まで、娘(現在4歳)は歯科検診というのを生まれてから1度も受けていない。
行政から案内される幼児健診は、徴兵検査か検閲のようで恐ろしく()、
過度の心労となった10ヶ月健診を最後に、受けるのを拒否してきた。

それを拒否することは当時の私の精神状態から言って、必要なことだったんだろうとは思う。
けれども、それが1つの現実逃避であったことには変わりがないし、
娘の虫歯を進行させたのは、
歯科検診まで拒否してきた経緯もそれを後押ししたんじゃないか、と
自責の念が絶えなかった。

漱石の「草枕」だかに出てくる、
「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。」
とは、よく言ったものだと思う。
娘と自分双方の、心身の健康を導き出そうと意図したつもりが、
あちらを立てればこちらが立たず、結局は何かが至らない。
本当に不甲斐ない思い。
でも、
そういえば、上の漱石の言葉はこうも続くのだった。
「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。」
と。
私には、こうしてブログで「書く」くらいのことしか起きないけれど。

娘が病気で床に伏せている時は、
アニメーションのDVDをレンタルしてきて観ることが多いのだけど、
最近見た「カンフーパンダ」は本当に良かった。
よく、文化の違う米国人が、
東洋思想をちらばせながらこんなエンターテイメント作品が作れたもんだと感心する。
カンフーの本場中国でも評価は高く、
中国政府の顧問委員会さえもが
「“なぜ『カンフー・パンダ』のような作品が中国で製作されないのか”というテーマで討論を行った」
とのこと。

ちなみに、「この世に偶然はない」というセリフは、
このアニメーションの中で、カンフーのウーグウェイ導師(ゾウガメ)も言っていたこと。

ならば、まゆみさんから紹介してもらったこのタイミングで、
(まゆみさんは実際自分で試した医者しか、他人には勧めない)
娘の初めての歯医者さんがあの歯医者さんだったことは、
偶然でないのかもしれない。


その歯医者さんは、
恐怖で泣いている娘の口に何を入れるにしても、娘にあらかじめ触らせてくれた。
「痛くないでしょ?これならお口に入れてもいいかな」と、その都度。
虫歯の進行を止める薬も、娘が嫌だと言ったら、何もしなかった。
奥歯と前歯がだいぶの虫歯なのだけれど、虫歯の状態を確認しただけで、
なんの治療行為もなかった。
今の娘の歯の状態の説明と、今後の見通し(2年先くらいまでの)を話してくださった。
とりあえず半年に1度健診を受けることで話はついて、
最後に、
「何かあったら、電話でも良いですから何でも聞いて下さい」と先生は言う。
医者で「(診察を受けずに)電話できいていいですよ」と言う人に、初めて対面した気がする。

(ちなみに米国には、日本の国民健康保険というような制度はないけれど、
子供の病気に関しては、電話診療や電話相談の無料サーヴィスが普及しているそうで、
その子が“病院に行く必要がある状況なのかどうか”などの判断を電話でしてくれるらしい。
何かが不足していても、別の何かが手厚くなっているならば、希望がもてるというもの。)

私も中嶋君も、娘の虫歯をここまでにしたことで、怒られるのを覚悟していた。
けれど、その先生は何一つ怒りもしないし、
娘の虫歯を見て「これはひどいねー」とかいった、“あいのて”のような、“時間つぶし”のような、
いわゆるたわいもない独りごとや感想さえ、一切口にしなかった。
何気ない医者の一言が患者を傷つける、ということはよくあることだ。
でも、先生はこちらが委縮するような、がっくりするようなことを何1つ言わなかった。

思い返せば、その医院は完全予約制で、1度に1人しか診察しないらしいので、
別の患者の歯を削る音を聞くこともなくて、
娘も過度に怖くならないで済んだのだと思う。
待ちあいの掲示物にも、
いかなる感染症の患者さんも受診できるよう、“病院に行って病気をもらってくる”ということがないように
「完全滅菌している」
と書いてあった。

「何をしてくれたか」はわかりやすいけれども、「何をしてくれなかったか」はわかりにくい。
けれども、目に見えない、引き算のようなサーヴィスこそが1番、
実践するのが難しいんじゃないだろうか。

どこをどうとっても、その歯医者さんには品格があった。
そしてその所作振る舞い、一挙手一投足の全てが偶然ではなく、
先生自身の意思と動機を体現しているのだろうと思う。

先生という1人の蓄積と歴史が、現在に華開いている。
それは非常に感動的だった。

その“有難さ”に、中嶋君も私も診療後、
まるで娘が生まれた時、産婦人科のスタッフの方たちに言ったのと全く同じような、
「ありがとうございます」を、先生に連呼していた。


まゆみさんにも心から感謝。


モニュメントは要らない 

※少し加筆しました。

週末を利用して、親子3人で伊勢旅行に行ってきました。

松本平に戻ってきてから、父に土産を渡す時、
伊勢神宮で「(東日本震災のことで)お祈りしてきたか?」と
尋ねられてハッとしました。

伊勢神宮の内宮に参じたものの、
個人的なことはもとより、一切何のお祈りもしなかった。
ただ行為として、二拝二拍手一拝をしただけ。
それで良いと思っているからなんだけど、
こんな非常事態なのだから、
多少は例外的にお祈りしても良かったんじゃないか、と一抹の後悔。

しかし、
私が伊勢神宮を歩きながら考えていたのは、
「原発を伊勢神宮に作ればいい」というようなことばかりだった。


今回の東日本大震災を受けて最初に思ったのは、
先の大戦のことと、法隆寺などを修復した宮大工の西岡常一氏の言葉だった。
忘れやすい私の記憶では、
世界最古の木造建築である法隆寺が1300年もの年月を経てもその姿を保っている理由として、
西岡さんは以下のことを上げていました。

・その建築方法
・木材(1000年持たせるには樹齢1000年の木材が必要である)
・四神相応の立地(土地風水によるもの)
 ※詳細は「木に学べ」
 この本は建造物の危機管理読本としてもその価値があると思います。
kinimanabe

<MEMO>
土地風水によると、中国では、世界の屋根ヒマラヤ山脈に隣接する、
コンロン山脈が大地のエネルギーの源となっていて、
そこから、エネルギーライン(龍脈)を通じ、世界にエネルギーが送られている
とするそうな。 
日本では、富士山が大地のエネルギーの源となっていて、
そこからエネルギーライン(龍脈)を通じ、 
国内にエネルギーが送られているということになっています。 
その送られた大地の気が凝縮している場を「龍穴」というそうです。
法隆寺や伊勢神宮などの寺社仏閣で、現存しているものの多くは、
天災の起きない、この「龍穴」の場所に建てられているそうです。


四神相応(しじんそうおう)
は、東アジア・中華文明圏において、
天の四方の方角を司る「四神」↓の存在に最もふさわしいと
伝統的に信じられてきた地勢や地相のことをいう(wikiより)。
・ 「玄武」
 山脈の中央にある、とがった大きな山。一般的には、龍穴の北面にある。日本も中国も共通。
・「白虎」
 玄武の左側にエネルギースポット(龍穴)を囲い込む形で伸びている山脈。
 日本では大道。一般的には、龍穴の西面にある。
・「青龍」
 玄武の右側にエネルギースポット(龍穴)を囲い込む形で伸びている山脈。日本では川。
 一般的には、龍穴の東面にある。
・「朱雀」 上記の三つの山脈で囲い込まれた場所。広い平地になっており、
 川の流れでさらに囲い込まれ、その向こうに山(案山)で囲まれている。
 日本では池や湾もありうる。一般的には、龍穴の南面にある。

この西岡さんの本を読むと、なまじ家なんか買いたいとは思わなくなると思うので、
この本1冊を学校の教科書にしたらいいのにと、どんなにか思う。
西岡さんは、日本一の宮大工を自負していた。
これは実に「天晴れ」であるのと同時に、
西岡さんの歴史観からすると「さも尤も」なことなのだけど、
この「日本一」は当代日本一という意味ではなく、日本通史日本一、なのだ。
細かく時代を刻もうとする小者と違って、西岡さんは常に通史で物事をとらえているのだ。

西岡さんは日光東照宮を装飾ばかりの「くだらん建物」と言いきってしまう。
室町以降の建築技法は、飛鳥時代のそれとは比べようもないほど酷いらしい。
江戸時代の建築なんて、もう目も当てられないほど酷いとか。
こういう西岡さんの文章を読んで知っていると、
江戸建築をちやほやする気にもなれないし、
まして近代・現代建築はなおさら、の話しになってくる。
巷の優等生が口にする、古けりゃなんでも評価してしまうような、
下手な「懐古主義」なんかも、浅くて程度の低いのは諦めたとしても、
いかにそれが無責任な言質なのかがよく知れるというものだ。


以下は西岡氏の言葉です↓

「飛鳥時代に学者はおりません。大工がみんなやったんやないか。
その大工の伝統をふまえているのだから、われわれのやっていることは間違いないと思ってください」

「鉄は、飛鳥時代のように、砂鉄から作ったものなら千年でも大丈夫だけれど、
最近の溶鉱炉から積み出したような鉄はあかん。」

「学者は、木一本一本のクセを考えず、寸法、形、様式で語ろうとする。話にならん。」

「(薬師寺)金堂の申請をしましたときに、白鳳様式といえども建築は昭和の建築で国宝ではない、けれども内部は世界的な宝である薬師三尊をまつるんやから耐震耐火のコンクリートにせよ、そして収納庫の周辺を木造で包むというやり方でやれということでしたんですが、わたしの意見は反対でしてね、コンクリートは村松禎治郎さん(建築学者)に聞いたら百年しかもたんと言いますねん。百年しかもたんものを千年もつ木造を使うてはあかんやないかと、コンクリートがあかんようになるとき木造もあかんようになるやないか、やめてくれと言うたんですが、そんな勝手なことを言うなら金堂を建てる許可をせんということでしたんで、しゃあないからコンクリートにしたんですが、あまり感心したことではありません。」
(結局西岡さんは、コンクリートの部分だけユニット的に取り外せるようにした。コンクリートの方が、木よりも先にダメになるので。)

「(法輪寺三重塔のとき)竹島博士の言わはることもわからんでもないのです。けれどももし鉄材を入れるんやったら、法隆寺金堂のときのように千三百年たってから入れたらどうでしょうかと。なにも新しい木に穴をあけるようなことはできんと。わたしは飛鳥の工法にこだわってるんやない、聖徳太子ゆかりの寺です、すこしでも木の命をもたすことを考えてのことですわ。けどまあ、決着はつきませんでした。で、仕方なしに(委員会の)鈴木嘉吉さんを呼んで、その立会いのもとに使わんということに決めまして、ボルトだけつけて、入れておいたことにして、中には(鉄材が)通ってませんにゃ。竹島博士は月一回しか(現場に)来ませんのでわかりませんねん。鉄を入れたあと埋め木しますんで知ってませんねん。飾りでボルトが付いているというだけで、へっへっへっ。」

ちなみに、西岡さんの当時の宮大工は民家には手を出さなかったそうだ。
仕事がない時は畑で農作業をしていた。

「宮大工というのは百姓大工がええのかもわかりません。田んぼと畑があればなんとか食っていけますんでな。ガツガツと金のために仕事をせんでもええわけですから。儲けを考えたら宮大工なんかできません。
やってはならんことです。食えても食えんでも宮大工は民家はやらんのです。
この家もわたしが作ったんやない、ほかの大工さんに作ってもらってるでっせ。」
とは西岡さんの弁。

これが本当の半農半Xじゃないでしょうか。
普段デスクワ―クしている人が、週末だけ畑をやれば「半農半X」なんじゃないと思う。

人間国宝が偉い訳ではないが、木工家の村上明氏は農作業をやっておられるらしいけど、
それは、木工をやるからには、
「植物を知らなければならない、もっと言えば、土を知らなければならない」
という考えに裏打ちされたものだと思う。
これは、現代的生活の申し開きのような、ニ重生活としての半農半Xとは全く似て非なるものだ。
「農」が、もう1つの自分の「X-しごと」の「証明」として機能するような関係、
それがあるべき「半農半X」の姿じゃないか、と思う。
そうじゃないなら、別に「農」に固執しなくても、
代わりに「生け花」とか「茶道」とか「アロマテラピー」だとかでも充分いいんじゃないだろうか。
そんなに「農」だけが特別な訳じゃないし。


話しが脱線しましたが、
同じ飛鳥の建築様式で建てられていても、法隆寺のように残っていないものもあるそうで、
そういう建造物は、立地がよくないそうです。
法隆寺は伊勢神宮や唐招提寺、京都と同様、
土地風水でいうところの「龍穴」というところに建てられているそうで、
西岡さんはこれも、法隆寺が1300年持った理由の1つに上げています。

建築技法や建材への配慮のみならず、土地の地勢や地相にまで配慮することは、本来当たり前だったことなんじゃないでしょうか。

この、本来は建築技法とセットであるべき、
「立地条件にたいする研究とセンス」というものが、
もし建設側にも、施設を受け入れる側の自治体や土地住民にもあったなら、
原発や福祉施設を、被災の可能性の高いところに建てるということは
自ずと避けられたんじゃないだろうか、と思うのです。

ただ、四神相応の龍穴の土地であった京都も、
「巨椋池が完全に干拓されてしまったために、京都の四神相応は破壊されている(wiki)」そうで、
土地を開発する勢力がいる限り、この四神相応は破壊され続けてしまう

だから、私は伊勢神宮を歩きながら、
原発なんて龍穴である伊勢神宮に作ればいい、と何度も繰り返し思っていたのでした。

伊勢神宮はモニュメントだが、原発だってモニュメントじゃないか、と。
伊勢神宮内宮で、私が「東日本大震災」について何の祈念もする気になれなかったのは、
そういうわけだと思う。


国家の安寧を願って作られた東大寺の盧舎那仏だって、
建立する時、水銀中毒で多くの人が死んだ。
5年間、50tの水銀を金と混ぜて仏像にメッキ加工を施す間、
平城京の人々は水銀で汚染された空気を吸いこみ、
水銀汚染された食物を食べ、神経や内臓がおかされて多くの人が死んだ。
これを当時の科学では説明できないから、
人は「祟りだ」と呼んだのだろうけど、
今、福島原発で起きていることや、その他の原発での働く作業員の置かれた状況は、
この奈良の大仏建立時の状況と変わりがないように思えるのだ。

収束し切れない・予防できない原発事故だって、
もはや現在の科学では対応できないってことじゃないだろうか。
平城京の大仏建立の時と何が違うというのだろう。

もう、人を害するモニュメントは要らない。
人を害する宣託を信じない。


今こそ、安部公房の言葉が生きてくる。
「もはやどんなシャーマンの御託宣にも左右されない、強靭な自己凝視のための科学的言語教育です。
存在や認識の「プログラム」を開く≪ことば≫という鍵を、
ついシャーマンの歌にまどわされて手放したりしないための教育です。
人間とはまさに「開かれたプログラム」それ自体にほかならないのですから。」


タピエスと松田功さん



前回の記事で文章を引用したスペインの画家、アントニ・タピエスは、
知っていると“ツウ”な画家でもなんでもなく、
多分スペイン(や欧州)では、有名すぎるくらいの画家なんじゃないかと思います。
美術界の事情とか、そういうのは全く知らないので、
これも当てにならないかもしれないけど。
どちらにせよ、タピエスと特別縁があるようなことを書いたけれど、
「ゴッホとは特別縁がある」なんて言うことが、白々しく響くものなのだとしたら、
私のも随分白々しいものだったのかもしれません。
だって、タピエスの原画は(記憶上)3枚しか見たことがないのだから。

私が最初にタピエスの絵を見たのは、イタリア旅行中だったのだけど、
偶然、タピエスの絵のある展覧会に立ち寄って観たのでした。
気に入ったのでその時名前を覚えました。16歳の時。

日本に帰ってきて、父の友人がタピエスにインタビューしているのを読んだ。
それが18歳の時。

以前働いていた旅館&喫茶店の常連さんだった松田功さんの、
坂城町の家に遊びに行った時に、タピエスの原画を見せてもらったのが24歳の時。
両手に挟んで、膝の上に絵を置いて眺めたタピエスは格別なものがあった。
その絵を聞きつけた画商が、何度もミロの原画と交換しないかと松田さんに言ってきたそう。
それを松田さんは全部断った。

当時松田さんはロートレックにご執心で、
面白い面白いと画集を見ては私に語ってくれた。
松田さんは当時84歳くらいだった。
でもその後、わりとすぐに亡くなってしまった。
私にとって、
他人で、お通夜やお葬式まで参列した相手は、菅沼さんと松田さんの2人しかいない。

松田さんには心臓に病があって、
松本市の信州大学付属病院に定期的に通ってきていたので、
私が働いていた旅館には泊まりがけで来ていた。
松田さんに部屋で聞かせてもらった戦争体験の話やら、茶道の話し、
その他諸々を話し合える、私にとって大事な友人でした。
戦争が終わって今日からみんな平等ですよ、と言われた時、
今までだって一等兵同士はみんな平等だった、何が違うのかと思った。

と言っていた松田さんは、戦後、政治によってもたらされた「平等」というもの自体を、
信じていなかった気がする。
それは政治によって与えられるものではない、という確信があったからだと思う。

松田さんは坂城町のご自宅に自分で茶室を造り、庭木を植えていた。
茶道について(所作ではなくその心意気だけだれど)も教えてもらった。
旅館に泊まりに来る時も茶道具一式持ってきてくれて、お茶を点ててくれた。
以前このブログで書いた、
“ウンチクぬきに抹茶を淹れてくれる友人”とは松田さんのことです。

私は基本的に頂いた手紙は時期が来ると全部捨ててしまうのですが、
松田さんから貰った手紙やはがきを処分したことだけは、いつも惜しいと思う。
だから、
何故か私の習字が好きだった松田さんがくれた、硯と筆だけが形見。

上記の旅館のご主人が亡くなったと聞いて、
まずその旅館に問い合わせたのが、
松田さんが自費出版した「生き残った兵隊の綴方」という本の行方。
旅館のご主人と喫茶店の従業員用に2冊、生前の松田さんから頂いていたのだ。
旅館のご主人が亡くなったら、もう、松田さんの戦争体験を語り継ぐ人はいないと思った。
あの本をもう一度読んで、誰かに伝えていかなくちゃ、と思う。
松田さんには、家族が、年老いた独身の妹さんしかいなかった。
その妹さんとも連絡が取れないので、もう亡くなったのかもしれない。
けれど、その旅館には松田さんの本はどこを探してもないのだそうだ。
どうも電話で察するに、先方は「私が持ちだしたのでは?」と疑っているようでもあった。

でもさっき、もしかするとと思って、
「上田地域図書館情報ネットワーク」で検索したら、1冊だけ旧真田町の図書館にあるらしい。
松本平もそうだけど、上田地域の図書館で借りた本はどこの図書館に返してもいいので、
坂城町から真田町まで動いているということは、どなたかが借りて読んだ方がいるのだろう。
それがとても嬉しい。

でも思い起こせば、松田さんの茶室にも一枚の大きな油絵の抽象画が掲げてあって、
それはある有名な画家のものらしかった。
松田さんは、若い美術家や工芸家の世話を随分してきたので、
彼らから託された作品をたくさん持っていた。
だからきっと、松田さんの人柄とその戦争体験は、どこかで脈々と語られているのかも。
そう信じたい。

松田さんは若い人たちと接するのを大事にしていて、
死ぬ間際も、ある悩んだ若者を外に連れ出そうと、旅をしていた。
「命に関わるから、そこまでしなくても」と周りに言われても、
病気を押して出かけていた松田さんは、とり憑かれているようでもあった。
その旅行から戻って体調を悪化させ、すぐに松田さんは亡くなった。

当時、その旅館では勤務時間の長さから言って、私は中心的な役割だったのだけど、
私は精神的にムラがあり、とたんに付き合いが面倒くさくなったり、
集団の中で楽しくやるということに極端に嫌気がさす時があるのですが、
それを松田さんにはよく叱られた。
「元気が出ないんですもん」と言う私に松田さんが返した
元気っていうのは出すもんだ」という言葉をよく思い返す。
色々言っても、あなたの今やっていることは丸茂(その旅館です)でしょ。
他に本当の自分がいるわけじゃないんだ。まず目の前の職場を変えていけないなら、
偉そうなことは言えないよ。

というようなことも度々言われた。

物理学の本(と言っても、ブルーバックスの初心者用に書かれた本)を読んでいる私に、
物理なんて、結局人を大量に殺めるために機能してきただけじゃないか。
そんなの読んでも平和にならないよ
」と松田さんが言ってきたので、
喫茶店で他のお客さんの前で口論になったことがある。
どうしてわかってくれないのか、と当時は思ったけれど、
意見の合意や正しいことを言うことが松田さんの目的ではなかったんだろうと思う。
「松田さんは何でも戦争のことに絡めて考えすぎだよ!」という私の気持ちを
見透かしていたと思う。
でも、生き残った兵隊、それこそが松田さんにとって生涯の自己規定だった。
最後まで、私の前でも松田さんは「生き残った兵隊」として語ってくれたのだと思う。
首から心臓病の薬であるニトロ入りの錠剤を常にぶら下げていた松田さんは、
ここに爆弾が入っているんだよ」と皮肉に笑っていた。

ある美術評論家は“書くことと描く事の一致を夢見て(長崎県美術館のサイトから引用)”、
タピエスと詩画集(「物質のまなざし」)を出していて、
その中に以下の一文があるそうです。
泥の上をのぞけ おまえの身分証明を 見つけること 最低のを。
これを松田さんは知っていたのだろうか。

どうして松田さんが、明るい色彩のミロではなく、
暗い色彩のタピエスを手元に置くことを選んだのか、今はよくわかる気がする。
再現としての絵画ではなく、物質そのものとしての絵画を目指すタピエス。
芸術作品の価値は、その効果によってのみ計られるべきである」と言ったタピエスの絵を、
結果として兵器に利用される物理学に疑いの目を向けた松田さんが、
大事にしていた意味。

何としてでも、いつかまた必ず見つけ出して、
松田さんの書いた「生き残った兵士の綴り方」に辿りつかねば、と思う。
思い出す松田さんの顔はいつも笑っているのです。

幾つかの感想(と憶測)

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↑まゆみさんと娘の共作の絵です(クリックすると大きい画像が出ます)

先週の土曜日、初めて※まゆみさんにお目にかかりました。
(※本当は、沖縄に行かれる前にやっておられたお店には何度か行ったことがあります)
そして翌日曜日、私たちの家に、友人2人を伴って遊びにいらっしゃいました。

「まゆみさんはとてもきれい好きだ」とかねがね直也君から聞いていたのですが、
私からすると直也君自身も超きれい好きで潔癖症なので、
その直也君が言うくらいなのだから相当だろうと思って、
まず掃除をせねば、と思った。
以前まゆみさんのブログで、
ヤモリが紹介された時の写真に映りこんでいた、まゆみさん家のピカピカの台所が思い出される。
なので朝から(娘と)はりきって掃除しました。

日曜日は朝から快晴で、
夏の間垂らしたまんまにしていたお勝手の、南側の窓ののれんを上げたらまぶしくて、
普段気にならなかったホコリや汚れをきれいにすることが出来た。
この日は、多少緊張もしたけれど、ひさしぶりに優雅な気分で時間を過ごす。
掃除をしたことで家がより居心地よくなったからかもしれない、とも思う。
「あそこも掃除しなくちゃいけないのに」と気になりながらも居る、
ということをしないで済むから。

あと、私たちは週末は大抵ほとんど家の中にはいないので、
久方ぶりに家の中でゆっくりした、というのもある。
娘が、初めて会ったまゆみさんにすぐなついたし、
一緒に来てくれたお2方ともに娘は何度も会っているので、
娘の遊び相手が私だけでなかったのも、くつろいだ気分の一因だったかもしれない。

直也君は随分前から腰などを悪くしていて、疲れもたまっているので、
まゆみさんはそれをとても心配してくれて、お灸とマッサージをしてくれました。
私が普段やれるようにと、やり方の指導もしてくれました。
多分、私や直也君の親の誰よりも、
直也君を本気で心配してくれているのは、まゆみさんだけだと思った。
「直也君が倒れると大変だから」とウチの家計のことも含めて心配してくれました。

まゆみさんが新しく住処にした土地は温泉地なので、温泉の話やそのマナーの話しが出て、
曰く「女湯をみんなに見せたい」と。
「化粧を落とし衣服をはぎ取ると、女性は個性がない」ので。
女湯は大抵マナーが悪くて、場所取りをするしゴミを平気で残していくし、
露天に入る際に足を洗ってはいる人なんて皆無だし、ドライヤーを使うのは良いけど、
落としていった長い髪はそのまんまでも平気ときているから、私も女湯ではいつも嫌な思いになる。
まゆみさんが言うとおりで、女湯は素性が出ると思う。
多分男の人の想像をはるかに上回る酷さなんだと思う。

娘が周りを気にせず思ったことを何でも口にしちゃう、という話をしていたら
まゆみさんが「本当のことをみんなが口に出したら、ずっとよくなるよね」と言っていた。
それでふと、スペインで生活していた時のことを思い出した。
彼の地の人々はクラクションをすごく鳴らすし、
窓から顔を出して大声で叫んで要求しあったりするのだけど、
運転という行為は殺傷性もある危険な行為なのだから、
そのぐらいはっきりとした意思表示は、お互いにあっていいはずだと思う。
車に拡声器をつけて、思ったことを何でも言い合ったら交通マナーは良くなる、と思う。
誰が何をどう感じているかを互いに言い合うしか、
自分も相手も気付けないことは沢山あると思うから。

車の装備がよくなればなるほど(特にカーステレオやバックモニターなど)、
公道という場所を走っていても、本音を隠して内へ内へと自閉していくばかりなのかもしれない。
これは、消費によって目先を変えさせる事で、本当の問題から目をそらせるのと同じやり方な気がする。

それでこの「本当のことをみんなが言ったら」というのは、
身体に戻って考えれば1番わかりやすいんだろう、と思った。
身体はその人の全てを表わしている。
あなたが普段何を食べているか言いなさい、あなたがどんな人間か当てましょう
という有名な言葉や、
ある思想家の「専門家(職人)がある体の部位ばかりを使いすぎて病気になるんだとしたら、
専門家だってそんなに立派なもんじゃない。バランスが悪いんだ

という言葉などなど。
“素”を隠したまま他人と接することは出来ると、みんな錯覚しているけれど、
見る人が見れば、その人の素はすでに露わになっている。

ある宮大工が職人を募集した時、使っている鉋の刃の砥ぎの状態ではなく、
鉋台(ボディー)の方を見て採用か不採用かを決めたそうだけど、
刃がどんなに鋭利に砥げていても、刃と木材が水平に当たるかを決めるのは鉋台なので、
その鉋台の仕上がりに手を抜いている人は、
“普段から責任ある仕事をしていない人”だとわかるらしい。

自分の身体の状態や相手の身体の状態について包み隠さず話したら、
「本当のことをみんなが言」うことにもなるんじゃないだろうか。
自分の身体の本当のこと、相手の身体の本当のこと、
コミュニケーションというものが、本当にそこまでを扱うものなのだとしたら、
自分と他人という境界は意味がなくなってしまうだろう。

まゆみさんを見ていて、そう思いました。

私は卵巣のう腫があるのだけど、まゆみさんいわく、
ある針の先生に言わせると、子宮の病気は夫に不満があって、
乳がんなどは子供に不満があるとできるらしい。
それで「でも、森さんは直也君に出会う前から卵巣のう腫があったんだもんね」と言うので、
「でも、私はずっと直也君に出会う前は父親とずっと一緒に生きていくんだと思っていたので、
父親に対して不満があるのかもしれないです」と返した。

ウチは父子家庭だったので、両親が揃った家庭と比べると、
やっぱり父には特殊な依存の仕方をしてきたと思うので。
まゆみさんから、
「その針の先生のところに試しに行ってみたら?
でも針だけじゃなくて、病気の根本を直さないといけないから」
との勧めを受けた。
私と父親との問題を正していかなくてはいけない、ということ。
親子関係の問題は本当に終りがない。ずっと変容していくんだなぁ、とつくづく。
(まだ何もしていませんけども)

直也君とはるかぶりに再開したまゆみさんの、直也君の印象は、
「前より精悍な顔をしているけど疲れている」
その直也君の身体に対する指摘と、
私の、父親との関係が影響しているかもしれない卵巣のう腫の問題。
今の私たちの問題がはっきりした感じになりました。
同時にそれに対しての“とっかかり”もまゆみさんからもらった。

私が直也君の健康に対して随分力不足なんだと自覚できたし、
直也君も私に対して力不足なところもあるんだろう。
前の記事で、
社会的意義のある誰かの為の労働でもなく、
自分の健康を養う為の労働でなければ、隷属を解決することは出来ないのかもしれない。

と自分で書いたけど、本当に私たちが自立するには、
この身体の問題の改善が、まずやるべき仕事なのだ。

たとえば、直也君に「少し休んだら」と私が言っても、直也君は聞かないけれど、
まゆみさんがお灸とマッサージの後「直也君は休んだ方が良いよ」と言うと、
直也君はおとなしく休むのです。
まゆみさんに説得力の違いを感じました。

「ことばがつよい」とか、“言葉に説得力がある”っていうのは、
やっぱりうわっつらの“ことばの力や働き”なんではなくて、
ことばにその人の“生”がにじむからなんだと思う。
“心配して相手に力が吸い取られる”というような事態は、
まゆみさんを見ていると別になんの誇張もなく、本当に起きるだろうと思った。

普通のおしゃべりは、その場しのぎで表面的で、
沈黙を埋めるだけの為に発せられたりするもので、
だいたいのおしゃべりがこの手のものだと思うけれど、
昔は「噺家とジャズ演奏家は永生き出来ない、
毎度即興であるそれらのライブは命を切り売りするようなものだから

なんて言ったみたいに、
本気でしゃべったら・ことばを使ったら本当に消耗するんだと思う。
批評家の小林秀雄もかつて、
絵を真剣に鑑賞したら15分もすればぶっ倒れるはずだ
(だから誰も真剣に絵なんて見てはいないのだ)
」というようなことを言った。

私と直也君は毎度人と会うととても疲れるのだけど、
まゆみさんたちが家に来た日の夜は本当に疲れを感じた。
まゆみさんを見ているのと、まゆみさんの話を聞くのに多分すごく集中したと思う。
加えて、私は朝から掃除をしたこともあるかもしれないし、
直也君はお灸とマッサージをしてもらったせいもあるかもしれない。
でも、絵を真剣に見るような集中力を使った気がする。
身体のことについての時間は、特に。
だから同じ長さの時間でも充実感があったのかもしれない。
でも、相手が真剣でなければこちらも真剣になんてなれないのであって。

今日、バイトからの帰り道、
「鑑賞」と「観賞」のことばの違いが頭に浮かんだ。
どうして「鑑(かがみ)」と「観(みる)」で区別するのか。
それで大好きなスペインの画家アントニ・タピエスの言葉を思い出した。
(タピエスとは不思議な縁があるので、特にいつも気になる存在なのです。)
 
「アルタミラの洞窟からベラスケスを経てピカソに至るまで、絵画は常に抽象化作業であった。
熱狂的なリアリズム信奉者に、私は、何度も繰り返して言ったものだ。
現実というものは絵画のなかにはなく、鑑賞者の頭のなかにのみあるのだ、と。
 芸術は記号である…ものである。我々の精神のなかに現実を呼び起こす何かである。
この、現実という概念を呼び起こすという点では、私は抽象と具象の間になんの違いも見出さない。
目が映し出す現実とは、現実の貧弱な影にすぎない(1955年)」 

 「ある作品の意味は、鑑賞者の協力の可能性の上に成り立っている。
常に、それを鑑賞する人の精神がどれほど発達しているかに依存しているのである。
イメージを持たない人、つまり、
心の内部で思考と感情が結びつくために必要な想像力や感受性が欠如している人は、
何も見ることができないのである(1960年)」 

「私は、芸術そのものに内在的な価値があるとは思わない。それ自体は無に等しい。
重要なのは、その、知を得るためのバネ、トランポリンとしての役割である。
色、構成、作業…こういうことを積み重ねて「芸術を豊かにしよう」とする試みを
私がばかげていると思うのは、そのためである。
作品とは、瞑想の支えにすぎない。
注意を喚起し、思考を安定させたり刺激したりするための装置にすぎない。
芸術作品の価値は、その効果によってのみ計られるべきである

「鑑(かがみ)」は、対象を観て自分の心に反射されたものを内省するような意味らしいから、
単に対象物として“観る”のとは違う。
これは世阿弥が言った「まね」の考え方
そもそも能を見ること、知る者は心にて見、知らざるは目にて見るなり。
 心にて見るところは体なり。目にて見るところは用なり。

にも通じるかもしれない。

カーステレオで音楽を聴き、外の音や声を遮断して車を密室化するのや、
自慰的な消費活動を通じて引きこもり自閉していくのと同じで、
「鏡(かがみ)」ばかりをのぞきこんでいる電車内の少女や若者は、
表面的な自分の状態ばかりを反射させて自閉していくばかりで、
心でとらえたものを「鑑」にする機会が奪われていっているのかも。
用(様)は体から生まれるのに、用(様)ばかりにとらわれていると体を見失う。
「鏡」が「鑑」という経験を塗りかえていってるのかもしれない。

そういえば、まゆみさんは
「病気になるときって必ず片方だけだよね、なんでなんだろうね」
と言っていたんだけど、
双子の統合失調症患者は(兄の場合も)、絶対両方が悪いor良いということはない。
片方が良い時、片方が悪い。
対のバランスが崩れる時、それを病と言うのかも。
鑑と鏡もバランスを崩しているのかも、なんてふと思う。
「唐書(魏徴伝)」に著された「三鑑」とは、手本とすべき三つの「かがみ」のことで、
衣冠を正す鏡と、世の移り変わりを知る歴史と、是非を明らかにしてくれるすぐれた人物
のことらしいけど、衣冠を正す「鏡」ばかりじゃいけないってことでもあるのか。
これはまた今度ゆっくり考えます。

タピエスの芸術論に戻って。

「作品をどう見ようと自由だし、作品の価値は相手の中にあるのだから、
その作品がどのように受け入れられるかまでは、作者は干渉しなくてよいorできない」

という考え方はもっともらしいようで、
実は“ボタンの掛け違い”をしてしまっていて、
作品の価値は相手の中にあるのだからこそ、
“芸術作品の価値はその効果によってのみ計られるべき”ならば、
その効果まで配慮に入れることが芸術の仕事なのだ、というのが本当なんじゃないだろうか。
タピエスは表現と鑑賞は一体であると言っていると思うし、
そういう意味では、
自他の境界を超えた“全体的な運動”の中にしか芸術は存在しない、とも言えるかもしれない。
その日私が感じたところのまゆみさんは、正にそういう人でした。
そして、まゆみさんにとって興味のある事は「本当のこと」でしかないということ。
嘘もへつらいも社交辞令も、まゆみさんの相手ではない。

「まゆみさんのおかげで優雅に過ごせた」と言ったら、
誇張だ・言い過ぎだと思う人もいるでしょう。
でも良い絵を見て感激して「おかげで良い時間を過ごせた」と言うのを、
おかしいと思う人はいないでしょう。
鑑賞したい絵がある美術館に足を運ぶのに自分なりのドレスアップをして、
絵を見て、その後、館内のショップで図録を買い、家に帰ってきて発する言葉は多分、
「あーいい絵だった」。
絵1枚にはそれだけの広い力があります。
そして人にも。

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